12 揺れる日常と新しい先生

 月の光が寮の窓から差し込み、レントレートは目を覚ました。

 昨日のミレイユ学園長との会話が頭をよぎる。真祖会議が自分に注目しているという事実は、まだ現実味を帯びていなかった。


「おはようございます、レントレート様」


 ナナミの声が聞こえ、レントレートは我に返った。


「おはよう、ナナミ」


 レントレートは微笑みを浮かべたが、その目には不安の色が残っていた。


「今日もお変わりないようですね。無理をなさらないでくださいね」


 ナナミの声には心配が滲んでいた。


「大丈夫だよ。それより、今日の準備をしないと」


 レントレートは気を取り直しいつものナナミの血を青血化して飲む日課をこなし、そして制服に着替え始めた。


 教室に向かう途中、いつものようにアレクと出会った。


 「……レントレート。今日はちょっとましな顔してるな」


 アレクの言葉に、レントレートは苦笑いを浮かべた。


「そうかな。まあ、少しは落ち着いたかも」


 教室に入ると、いつもの喧噪が広がっていた。エリザベスさんとカテリーナさんが談笑し、他の生徒たちも各々の話に花を咲かせている。しかし、レントレートには何か違和感があった。


 授業が始まり、グレイストーン先生が教壇に立った。


「今日は多重階層魔法陣の応用について学びます。ヴァエルくん、昨日の復習はできましたか?」


 突然の問いかけに、レントレートは一瞬戸惑った。


「あ、はい。ナナミと一緒に勉強しました」

「そうですか。では、基本的な三層構造について説明してください」


 レントレートは深呼吸し、昨日ナナミから教わったことを思い出しながら答え始めた。


「多重階層魔法陣の基本構造は三層に分かれています。第一層は魔力の供給と制御を担当し、第二層は魔法の効果を決定します。そして第三層は魔法の発動と維持を行います」


 グレイストーン先生は満足げに頷いた。


「よく理解していますね。では、それぞれの層の相互作用について……」


 授業は続き、レントレートは集中して先生の話を聞こうとした。しかし、時折、背後から誰かに見られているような感覚に襲われ、集中力が途切れることがあった。


 休憩時間、エリザベスさんがレントレートに近づいてきた。


「レントレートさん、最近どうかしたの? なんだか落ち着かない様子ね」


 レントレートは一瞬、真祖会議のことを話すべきか迷ったが、結局言葉を濁した。


「ちょっと疲れてるだけだよ。心配かけてごめん」


 エリザベスさんは不満そうな表情を浮かべたが、それ以上は追及しなかった。


「そう……。でも何かあったら相談してね」


 カテリーナさんも近づいてきて、レントレートの肩を軽く叩いた。


 「そうだぞ。私たちは仲間だろう?」

 

 レントレートは二人の言葉に胸が熱くなった。しかし同時に、彼らを危険に巻き込みたくないという思いも強くなった。


 今日の後半の実技訓練では、訓練場での多重階層魔法陣の実践が行われた。

 レントレートは自分の番が来るまで他の生徒たちの様子を観察していた。


 アレクの番になると、彼は見事な三層魔法陣を展開し、火と氷を同時に操る魔法を披露した。周囲から歓声が上がる。


「さすがヴラド家の血筋ね」


 エリザベスさんが感心したように呟く。


 レントレートの番が来た。深呼吸し、集中力を高めて手を前に伸ばすと、魔力が指先から溢れ出し、空中に魔法陣を描き始めた。

 第一層が形成され、魔力が安定して流れ始める。第二層では、レントレートは風と光の要素を組み合わせることにした。そして第三層で、魔法の発動準備が整った。


「発動」


 レントレートの声と共に、魔法陣が輝きを放つ。

 風と光が渦を巻き、美しい光の竜巻が訓練場内に現れた。

 しかし、その瞬間、レントレートの意識が揺らいだ。背後から強い視線を感じ、集中力が乱れる。魔法陣が不安定になり、光の竜巻が制御を失いかける。



「レントレート様!」


 ナナミの声が聞こえた。

 レントレートは歯を食いしばり、何とか魔法を制御しようとする。しかし、魔力の暴走は止まらず、光の竜巻は次第に大きくなっていった。


 その時、グレイストーン先生が素早く動いた。彼は瞬時に自身の魔法陣を展開し、レントレートの魔法を抑え込んだ。

 光の竜巻が消え、教室内は静寂に包まれた。


「ヴァエルくん、大丈夫ですか?」


 グレイストーン先生の声には心配の色が混じっていた。

 レントレートは膝をつき、大きく息を吐いた。


「はい……申し訳ありません」


 クラスメイトたちの間で、ざわめきが起こる。


「あれ、レントレートが失敗するなんて...」

「まぁ所詮は準男爵家ってことでしょ?」

「大丈夫かな……」


 グレイストーン先生は咳払いをして、クラスの注目を集めた。


「皆さん、魔法の失敗は誰にでもあります。これも良い経験になるでしょう。では、次の人……」


 授業は続いたが、レントレートの心は落ち着かなかった。自分の失敗が、クラスメイトたちにどう映ったのか。そして、あの視線の正体は何なのか。

 放課後、レントレートは一人で寮に戻ろうとしていた。


「レントレート」


 振り返ると、アレクが立っていた。


「今日のこと、気にするな。誰にだって調子の悪い日は……ある」


 レントレートは微笑んだが、その笑顔はアレクには力なく写っただろう。


「ありがとう、アレク」


 アレクはしばらくレントレートを見つめていたが、何か言いたげな表情を浮かべつつも、結局何も言わずに立ち去った。


 寮に戻ったレントレートは、ベッドに倒れ込んだ。今日の出来事が頭の中でぐるぐると回る。

 ノックの音がして、ナナミが部屋に入ってきた。


「レントレート様、お食事をお持ちしました」

「ありがとう、ナナミ。でも、あまり食欲が……」


 ナナミは心配そうな表情で近づいてきた。


「今日のことは、気になさらないでください。誰にでも失敗はあります」

「でも、あの視線……何かがおかしいんだ」


 レントレートは思わず本音を漏らしてしまった。


「視線……ですか?」

「ああ、誰かに見られているような……そんな感じがするんだ」


 ナナミは真剣な表情になった。


「もしかしたら……真祖会議の調査が始まったのかもしれません」


 レントレートは身を起こした。


「そうか……でもなんで私なんだろう」

「おそらく、レントレート様の力に興味を持ったのでしょう。特にアレク様との戦いの後……」


 レントレートは深いため息をついた。


「どうすればいいんだろう……」


 ナナミは静かにレントレートの隣に座った。


「まずは落ち着いて、普段通りに過ごすことです。そして、何か異変があればすぐにミレイユ学園長に報告しましょう」


 レントレートは頷いたが、心の中では不安が渦巻いていた。

 その夜、レントレートは悪夢にうなされた。夢の中で、無数の赤い目に取り囲まれ、逃げ場を失う。


「お前の力が欲しい……」

「我々のものになるのだ……」


 冷たい声が耳元で囁く。レントレートは必死に逃げようとするが、足が動かない。


「いやだ……離せ!」

「レントレート様! レントレート様!」


 ナナミの声で、レントレートは目を覚ました。全身が冷や汗でびっしょりだった。


「大丈夫ですか? 悪夢を見ていたようで……」


 レントレートは震える手で顔を覆った。


「ナナミ……怖いんだ。何が起こるか分からなくて……」


 ナナミはレントレートの肩に優しく手を置いた。


「大丈夫です。私がついています。何があっても、守護騎士である私が、レントレート様を守ります」


 その言葉に、レントレートは少し落ち着きを取り戻した。


 翌日、レントレートは重い足取りで教室に向かった。

 昨日の悪夢の影響か、まだ体が重く感じる。

 教室に入ると、いつもと違う空気が漂っていた。生徒たちの間で、何やら噂話が飛び交っている。


「ねえ、聞いた? 新しい先生が来るんですって」

「えっ、本当? どんな人なんだろう」


 レントレートは席に着きながら、その会話に耳を傾けた。

 グレイストーン先生が入ってくると、教室は静まり返った。


「皆さん、お知らせがあります。今日から、新しい先生が我々の学園に加わることになりました」


 生徒たちの間でざわめきが起こる。


「どうぞ、お入りください」


 教室のドアが開き、一人の男性が入ってきた。長身で、銀色の長髪を後ろで束ねている。深い青色の瞳が、静かに生徒たちを見渡す。


「初めまして。私はダニエル・ルナーテという者です。これからみなさんに魔法理論の特別講義を行わせていただきます」


 その声は高く柔らかく、教室中を包み込むように優しく甘く響く。


 レントレートは、この新しい先生を見た瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。この人物こそが、自分を見つめていた視線の主なのではないか。そう直感した。

 

 ルナーテ先生の目がレントレートに向けられた。

 その瞬間、レントレートは息を呑んだ。その目には、人間離れした深い叡智と、計り知れない力が宿っているように感じられた。


「では、早速授業を始めましょう。今日のテーマは、“魔力の本質”です」


 ルナーテ先生の授業が始まると、教室は緊張感に包まれた。その説明は明快で、しかも深遠な内容を含んでいた。生徒たちは、魅了されたように先生の言葉に耳を傾けている。

 レントレートも、不安を感じつつも、その授業内容に引き込まれていった。しかし、時折ルナーテ先生の視線が自分に向けられるたびに、心臓が高鳴るのを感じた。


 授業が終わると、ルナーテ先生はレントレートに近づいてきた。


「君がレントレート・ヴァエルさんですね。噂には聞いていましたが、実際に会えて光栄です」


 レントレートは緊張しながら答えた。


「は、はい……よろしくお願いします」


 ルナーテ先生は微笑んだ。その笑顔は優しげだったが、レントレートには何か不気味なものを感じた。


「君の力には大きな可能性がある。私も楽しみにしているよ」


そう言って、ルナーテ先生は立ち去った。

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