第43話 二日目② (ヒュー視点)
初めての街を、一人ただゆっくりと歩いた。
どこの道も店も街角も垣根も建物も、好きな人がきっといつも通ってると思うだけでとても意味のあることのように思えた。一つも見逃していいものなんて無いように思えた。
彼女が南部に居て一緒に過ごした七日間のことは、彼女が去ってからも鮮明に思い出せた。
何度も何度も思い出して、反芻するかのように頭の中で繰り返した。
それでいても、会えないだけで寂しさと不安で押しつぶされそうになる毎日だった。南部から一度も出たことがなかったけど、ここから出ることがまず第一歩だった。迷いはなかった。
彼女が小型通信機を預けていてくれたことが、ただ心を落ち着かせた。
これがなかったら、気が狂っていたかもしれないとまで思った。
そのぐらい、愛しくて。
好きで。
好きすぎて、本当は苦しかった。言わなかったけど。
仕事のとき以外は、その小型通信機を常に左の手の中に隠し持った。
それは期待したよりなかなか鳴らなかったけど、それが手の中にあるだけでちゃんと絆がある気がして、気持ちはだいぶ穏やかになった。
通信がくると鈴の音のような音がして知らせてくれた。
いつの日からか鳴らなくても鳴ったらいいなと思うだけで、彼女と過去に話した内容が頭の中に鳴り響いた。
待ち遠しかった。ただ会いたかった。
この初めての街で、地図に丸をつけて貰った雑貨屋に入ると、彼女がどんな歩き方でどのような視線で物を見て回るのかなんとなく想像できた。その答え合わせをしに一緒に来れる機会を思い浮かべると、胸の真ん中がじわりと温かくなった。
こうやって会いに来ても、顔を見ても、まだまだ不安はたくさんある。
いつか手を伸ばしても触れられなくなる日がくるのではないかとか、彼女に自分よりいい人が見つかってさよならを告げられるんじゃないかとか、あの北のご当主に反対されて手を離さねばならなくなるとかそれは数えきれない。
だからそう思ってしまう分も、彼女が喜んでくれることを探そうと思った。
なかなか見つけられないけど。
笑ってくれたこと喜んでくれたことを一つ一つ思い出して、とりあえず卵を買って明日の朝もごはんを作っていいか聞こうと決めた。
夕方近くなり、商会の近くのカフェに入って手のひらに隠し持った通信機が鳴るのを待った。
そこは小さいお店だったけど、白い壁と白いテーブルと椅子、たくさんの植物の鉢があちこちにあり居心地が良かった。フィーが来たら大喜びしそうだなとも思った。
ぼんやりと昨晩ニナと見た地図を見返していると、急に声を掛けられた。
「ねぇ、その香り、南部の人だよね? 君、格好いいね」
ただ驚いて声がした方が向くと、にっこりと微笑んだ女性が目の前の空いている椅子を引いて素早く腰掛けた。
あまりにそれは瞬間的で、咎める暇はなかった。
この香りだけは、解る人には隠せない。その女性は俺を見つめたまま首をかしげながら俺が肯定するのを待っていて、その様子にひたすら苛立ちが募った。
「……そうだけど」
「私も南部出身なの。ねぇ、南部のどの辺り出身? 私はソマリテの海岸の方」
渋々肯定すると、女性は下から覗き込むような角度で、顔を近づけてそう言った。
ソマリテの海岸は俺の故郷からはだいぶ離れていた。それを良かったなと思うと同時に、質問には答えたくないなと思った。
だからそのまま席を立って店を出ようと、カタンと椅子を下げると、
「ヒュー?!」
入り口の方から、待ちに待った人の声が響いた。嬉しかった。
慌てて自分の荷物をかき集めて、「ニナ!」彼女の名前を呼びながら近付き、肩を抱き寄せて
「ごめん、大切な人に誤解されたくないからこれで」
椅子に腰かけたままの女性に向いてそう答えると、
「え、ブスじゃん」
目を逸らしながら小声でそう言ったのが聞こえて、瞬間的に頭に血が上ったのが解った。
言った主は素早く席を立ち、早足で先に店から出ていった。
今度こそ咎めようと出ていった方へ足を踏み出そうとしたら、ニナが俺の腕を強く掴んで「いいよ、放っておこう?」と言ったから。
ただひたすら一生懸命に苛立ちを押さえるしかなかった。
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