第13話 抱擁。


 ひとしきりはしゃぐ双子を、私はアークと二人並んでまるで親のような気持ちで見守った。

 手の中の氷を「冷たい冷たい」と言いながら二人で包んで体温で溶かして、その溶けた水をすくって眺めて上からかけて、何をしてもとてもよく笑っていた。年相応の若者に見えて微笑ましかった。


 ふと静かになったと思ったら。

 二人は手を握りあったまま、向かい合わせに立っていて。なんて絵になる二人。見つめ続けても良いのか迷いながらも目が離せないでいると、そのままフィーがヒューに問いかけた。


「無事に終わったんだよね、何の問題もなかった?」

「ん? あ、うん」


 ヒューを意のままに振り回しているように見えたフィーが、ヒューの保護者みたいに見えた。

 突然の問いかけにもヒューは笑顔で答えてから、うつむいて何かを考えるようにきゅっと唇を噛んで。ちょっと顔を上げてフィーを見た後、少し前に屈み、目を閉じて自分のおでこをフィーのおでこにこつんとくっつけて絞り出すような声を出した。


「フィー、俺あの魔力を知ってたよ」


 フィーはただ「うん」とだけ答えて、一歩ヒューに近づいてもう一度「うん」と言った。


「あのね、憧れてたあれも解ったよ」


 なんのことだろう。疑問に思ったけれど、ヒューのかすれかけた声、泣き出しそうな表情に気付いてしまって何もできずにいた。フィーはもう一度「うん」とだけヒューに言った。


 ヒューにはフィーの全ての気持ちが伝わっているように見えた。

 フィーもヒューのことがほとんど全て解っているように見えた。

 それは兄たちを思い出させた。

 他を少しも入らせないその雰囲気に私はやっぱり目が離せないまま、二人が穏やかでいられるようただ祈ってた。きっと無言のままだったアークもそんな想いだったに違いない。



 少しの沈黙の後。

 下に落ちた氷は全て水に変わってそれぞれの方向へ流れていったから。残ったらフィーに火の魔法で溶かして貰う予定だったけれど、そのまま帰ることにした。


「ニナはもう少し様子を見てから帰るようにして。宿泊先、一人でしょ? 突然急変することもあるかもしれないし」


 ヒューはそう言って、アークとフィーを先に帰した。


 日が暮れて他に誰もいなくなった訓練場は、日中とは違う場所のように静かだった。

 使った椅子や備品を片付えるヒューを手伝って訓練場にある倉庫に運び、横の控室の中に入った。


 ヒューが冷蔵庫からアイスティーを取り出し、昨日と同じ金属のカップに注いでくれる。私はすかさず氷をいるか聞くと、笑顔で「いる」と言うのでカップへゆっくりと出した。


 ヒューは少し疲れているように見えた。

 だから「冷たくて美味しい」とカップを両手で持って笑ってくれたことが私をホっとさせた。


「氷、ありがとう。……どう? 体調でおかしいところとかない?」

「大丈夫。むしろ魔法がとっても扱いやすくなった感じ。丁寧に馴染ませてくれたからだよね、本当にありがとう。大変だったでしょ」

「俺がね、やりたかったの。だからありがとう」


 目を細めて笑うその表情が、今までに見たことがないやわらかい微笑みで、急に心臓が高鳴った。

 笑っているのに、泣いているみたいにも見えて。

 鮮やかな色の赤い瞳が、ふゆりと揺れた。


 この人が抱えている何かを。

 あの手のひらで溶かした氷のように溶かせたら。


 私は急にそんなことを思って、そっと彼の頬に指で触れると。すいっと頬を指に添わせるように擦り寄ってくるので、ただただ可愛いなと思ってそのまま彼の髪も撫でた。

 ラディ兄さんと同じ黒の髪は、兄さんのよりやわらかかった。それは今まで感じたことのなかった触感に思えて、私はゆっくり指を動かし続けた。


「フィーさんの魔法も見たかったな……」


 私がぽつりと言うと、「……ん、言っとく」と眠たそうな声でヒューが答えた。



 誰にも懐かなかった猫が急に懐いてくれたかのような状況が嬉しくて、気が付くとヒューの髪も頬も額もゆっくり撫でまわしてしまっていた。やわらかくて、やさしい。

 ヒューはくすぐったそうな顔をしたり、微笑んで目を細めたり、眠そうな顔をしたりしていた。


 時計の秒針の音だけが響いて。

 ふと時間を気にして時計を見た瞬間、ゆっくりと背を起こしたヒューに撫でていた私の手首をそっと掴まれた。

 私の指からヒューが離れた瞬間、ふわりと抱き締められた。私の身体の形を確認するかのようにやさしく私の背中を包む腕が、とても温かかった。


 だから私もヒューの背に腕を回した。

 一緒にいられるのも、こうやって抱き締め合えるのも今だけだとしても。

 今こうしていたくて。

 その気持ちに逆らわないよう、このずっと覚えていた体温を奥底まで感じられるよう、ただ目を閉じた。




 このヒューがくれる、この温かい南部での甘さを、どうしよう。

 ぎゅっと腕に力が入り、抱き締められているのを実感する度に時々我に返った。距離が近くて。心臓の音が聞こえて。でも数日後に、私は北部へ帰る。

 

「……さっき氷出してくれたから。整えていい?」


 この体制だと顔が見えなくて。

 さっきも長い時間かけて整えて貰ったから疲れていないかな、大丈夫かな……と心配になり、どうしようと返事に迷う。


 すると身体が離されたと思ったらすぐ、縋り付くように両頬を包まれて。請うような赤い瞳が私を見ていた。ああ、それが何を意味しているかなんてすぐ解ったから。頷くしかなくて。


 官能的なキスと、ゆっくり整えられていく魔力が交互にぐるぐる私を支配した。



「明日も会える……? 九年前、何があったか聞いてもいい……?」


 何回目かのキスの後、熱い息をつきながら唇が離れると、ヒューが少し弱々しく聞いてきたけど。

 貴方の要望ならもう何でも。私は今の私に出来る精一杯の笑顔で答えた。


「あの海に行きたい。そこで話せる?」


 ヒューはすぐに頷いて、私の額と唇にキスを落とした。

 それからもう一度だけ私たちは抱き締め合った。




 四日目。南部の商会の会議に出席して、取引先を回り、倉庫に顔を出して、夕方に訓練場へ着いた。夕方になったとはいえまだ日差しは強くて、無意識に日陰ばかりを探してしまう。


 訓練場の隅からヒューを探すとすぐに目が合って、階段の下に居てとジェスチャーで言われたので駆け足で向かい、いつもの長椅子に腰掛けた。

 ここは人の声や人の立てる音が少し遠くに聞こえて、まるで閉鎖された空間のようだった。


 私は氷を一粒だけ出して、福が濡れないよう手を前に出して手のひらの中でゆっくり溶かした。

 指の隙間から水が滴り落ちていく。

 それをなんとなく三回程繰り返して、ヒューがまだ来そうな気配がなかったので午前中に参加した会議の資料をパラパラとめくった。そしてその資料の脇に帰ったらやることを箇条書きにした。


 あと数日後、いつもの日常に戻る。



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