第14話 感触と気持ちと。


 書類に没頭していると、訓練場の水の音はどんどん遠ざかるように思えて不思議だった。

 この場所で資料を広げていることも、この場所でヒューと待ち合わせしていることも、全部が不思議でしょうがない。でもそうやって紡がれていくものがあるんだなと理解もしている。


 少しだけ高鳴る鼓動のまま、ヒューを待っていた。



「ごめんね、待たせちゃった」


 ぽたぽたと滴る雫を着ているTシャツの裾を持ち上げて拭きながら、ヒューが階段を降りてきたのはそれから暫く経ってから。

 手にアイスティーのコップを持っていたから、受け取ろうと手を伸ばすと


「先に魔力見せて」


 そう言ってカップは椅子の端に置き、すぐさま私の両手首を取った。

 ヒューの手のひらは少しひんやりとしたけれど、すぐに熱を帯びた。いつの間にか、この距離にも慣れてきたなぁと思いながら私も目を閉じた。


「……うん、安定している感じ。大丈夫そうだけど、何か違和感とかある?」

「大丈夫。一切なかったよ、むしろ調子が良い感じ!」

「良かった!」


 パっと顔を上げたヒューが、とにかく安心した顔をしたので私も嬉しくなった。

 私たちはふわりと微笑みあって、ちょっとの沈黙の後、ふいにヒューが小鳥のようなキスを私の唇にに落とした。

 それは二人で嬉しいことをもっと喜んでいてくれているみたいで。


 唇はすぐに離れたけれど、暫く見つめ合っていた。それはとても不思議な時間みたいに思えた。



「……残りの魔力も起こしちゃう? 後日にする?」

「私は大丈夫だけど。ヒューの見立てはどんな感じ?」

「大丈夫だと思う。今日起こしちゃって、今日と明日で整える感じがいいかも」

「うん。じゃあそれでお願いしてもいいかな」

「勿論!」

「ありがとう」


 ヒューがまた目を閉じて集中し出すと、ほどなくやわらかい何かにふわりと包み込まれたような雰囲気に自分が包まれたのが解った。体内を駆け巡る何かが私にも解らないぐらいの私の奥底の蓋を動かすような感触と、揺れ動く内側と。


 あまりにも優しくて、あまりにもやわらかいから浮遊しそうになりながら、内側の変化を受け止めていく。まるでこれがあるがままだったかのように。


 そして懐かしい温かさみたいなものと一緒になる感覚に、全身が包み込まれた。



「……うん、これで全部かな」


 少しかすれかけたヒューの声で目を開けると、ヒューの額に幾つもの雫があった。

 それは最初からの雫だったか、新たにかいた汗なのか解らなくて。


「ありがとう、ヒュー、大丈夫?」


 慌ててわたしが聞くと、ヒューはふわりと笑って大きく頷いた。


「大丈夫。もう少し整えちゃうね、そうしたらあの海へ行くんだよね、行こう」


 微笑みと、熱を帯びたままの手のひらと。

 また集中する為に閉じられた瞳、長いまつ毛に朝露みたいに雫がのっていた。綺麗。



 どこか遠くで呼吸の音が聞こえるような気がして。


 一回私の魔力がヒューの中へ一部吸収されて、隙間が空いて余裕をもつ場所ができて。

 そこがゆっくりと馴染ませられて整えられていく。それはしっかりと土台があるべき場所に整えられていく感じで、とてもとても心地がよくて。


 今すぐに抱き締めてありがとうって伝えたくなる。


 そしてゆっくりゆっくり戻されていく一回吸収された魔力が、整えられた土台の上を滑らかに流れ込んできて。温かさでいっぱになるから。

 早く首筋へ絡みついて、その髪を撫でたくてしょうがなくなる。

 愛しさでいっぱいになる。そうか、これが。そうなんだ。不思議とストンと腑に落ちた。



「うん、できた!」


 漂うような浮遊感から抜け出せたのは、ヒューの満足そうな声だった。

 私も目を開けると、やっぱりヒューはとても嬉しそうで私も心から嬉しくなる。


「ありがとう!!

「うん。こちらこそありがとう。何か違和感とかあったらすぐに言って」


 ヒューは握っていた私の手首を、一回ギュっと力を入れて一瞬力をこめてから離して。


「はい」


 思い出したようにカップを取り、アイスティーを私に渡してくれた。

 今日のカップは1つ。……あれ? ヒューのは? と思うと


「着替えてくるね、ちょっと待ってて。暗くなる前にあの海へ行こう」


 そう言うと、立ち上がった。

 私は頷いてアイスティーをこくりと飲んで唇からコップが離れた瞬間、私の目線まで屈んだヒューにすかさず唇を奪われた。



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