自衛隊

第16話

〈九時になりました。NHK夜のニュースをお伝えします。本日、東大学を包囲する機動隊の指揮所が、テログループによって攻撃を受けました〉〈こちら消火中隊、午後2時31分、火災鎮火完了〉〈こちら救急中隊。負傷者全員搬送完了。現時点で死者120名、負傷者多数〉〈こちら第32普通科連隊、第二中隊。東大学を包囲する機動隊と合流〉〈こちら交通機動隊。首都高速にて検問の設置を完了〉〈こちら第一施設大隊。駒田公園に指揮所を建設。ここを第32戦闘団指揮所とし、本作戦における司令部とする〉


 深夜3時。寝静まる閑静な住宅街を、多数の装甲車や高機動車が駆け抜ける。


 住宅地の中心に存在している駒田公園に設置された第32戦闘団指揮所のテントで、警察幹部と自衛官幹部たちが地図を睨んでいた。


 周囲にはずらりと長机が並べられていて、迷彩服姿の自衛官たちがパソコンのキーボードを叩いている。


 コピー機やモニター、受話器などが置かれたその風景は、大きなテントの中に民間企業の事務所をそのまま持ってきたようにも見えた。


 本来、警察は自衛隊を国内での治安維持に関わらせたがらない。それは警察のメンツという意味も大きいが、それ以上に自衛隊の立場という意味も大きい。


 軍事組織が治安維持に関与すると碌なことが起こらないことは歴史が証明している。


 特殊な歴史と政治体制の上で設立された自衛隊は、他国から侵略でもされない限り、率先して国内の治安維持にまで関わろうとはしない。


 そもそも、テロ対策が自衛隊の任務に追加されたのがつい最近の話だ。当然ながら戦術もそこまで煮詰まってはいない。


 本音を言えば、警察は自衛隊を出動させたくなかったし、自衛隊も出動したくはなかったし、内閣だって、苛烈な非難に晒されるリスクを冒してまで史上初となる治安出動命令など出したくはなかった。


 が、今回ばかりはそうも言っていられない。


 なにしろ警察は百名以上の死者を出した上に、指揮官の大半を失ったのだ。


 状況はどう考えても警察力で対応できるレベルを超えていたし、対応しようにも警視庁がこれ以上の被害を出せば、首都の治安維持能力が著しく低下しかねない。


 状況を重く見た内閣総理大臣は渋々ながら治安出動を命令し、東大学占拠事件と名付けられた今回の事件を、自衛隊の手に委ねることを決定した。


 とはいえ、自衛隊だっていきなり丸投げされては困る。


 だからこそ、いかにも戦場といった様子の物々しい自衛隊指揮所に、制服姿の警察官が並んでいるという、非常に珍しい状況が生じているのだ。


 警察と自衛隊による共同作戦は、図上演習を含めても今回が初となる。


 迷彩服姿の自衛官たちの中で、警察幹部たちは居心地悪そうにしていた。


「我々は今回、銃器運用部隊を投入する予定だったのですが」


 第32普通科近衛連隊を中心に編成された32戦闘団の指揮を任された第32普通科連隊長の林一等陸佐は、警察官たちの並ぶ長机の一番端を見る。


 そこには『銃器運用部隊 楽一警部』と書かれた紙が貼られていたが、実際に座っているのは楽一警部ではなく、気まずそうな表情の西田警部補だ。


「なぜ楽一警部がいないのです?」


 林大佐は、一応敬語を使って西田に聞いた。


 年齢的にも階級的にも、西田警部補より林一等陸佐が偉いことはまず間違いない。


 だが、合同作戦を想定していない自衛官と警察官の階級は対になっておらず、そして林一等陸佐はかなり几帳面な性格だった。


「彼は先の戦闘で重傷を負い病院に搬送された晴矢警視、いえ第四機動隊長の見舞いに行ってるっす……失礼。行っております。そのため現在は不在です」


 西田警部補は、周囲の視線に萎縮しながら報告する。


「なんだと!」

「いくら上官とはいえ、そんなことしている場合ではないだろう!」

「何をやっているんだ楽一警部は!」

「高岳警視長。これは許しがたい事態です。楽一警部になんらかの処分を下すべきかと」


 西田の報告に、警視庁の面々はいきりたつ。


 自衛隊との共同作戦という警察のメンツがかかった会議で、指揮官の不在という不手際を晒すことになった警官たちの怒りは相当なものだった。


 私生活を犠牲にしてまで首都の治安を守り続けてきたというプライドが数日にしてズタズタにされた警視庁幹部たちのストレスは、もう限界に達していたのだ。


「いえ。我々自衛隊としては副隊長の西田警部補殿と会議ができれば十分ですので、問題ありません。それに上官を思い遣って見舞いに行くなんて、いい部下なんじゃありませんか……。まあ、とりあえず会議を進めましょう」


 林一等陸佐は、燃え上がる警視庁の警官たちを落ち着かせようと試みる。


 楽一の態度は明らかに有事という状況において間違った行動だし、糾弾されるべきではあるが、それは今じゃない。


 無意味な批判で会議を停滞させることこそ、有事に最も避けるべきことだ。


「林一等陸佐殿、これは警察の問題です。自衛隊は引っ込んでいていただきたい」


「そうだ。そもそも国内での治安維持に自衛隊が関わるということ自体が異例だ。その上にこちらの人事にまで口を出す権利なんて、貴官らにあるのか!」


 だが林一等陸佐の言葉は、むしろ警視庁らの怒りに火を付けたようだ。


 身も蓋もないことを言えば、長年にわたって国内の治安維持を担ってきた誇りを持つ警視庁の面々にとって自衛隊の参加など屈辱でしかない。


 警察幹部たちが今にも怒鳴り合いを始めようとしたその時、鋭い声が響いた。


「貴様ら見苦しいぞ!今回は我々の警備が失敗したから、こうして自衛隊に出てきてもらう結果となったんだ!そのことを理解せんか!」


 指揮所内に沈黙が広がる。


 高岳警視長が、厳しい表情で警官らを睨みつけていた。


「高岳警視長……」


「申し訳ございません。警視長」


 警視総監から任命された、本事件における警察の最高責任者である高岳警視の言葉に、流石の警官たちも口を閉ざす。


「失礼。ではよろしくお願い致します」


 高岳警視長は林一等陸佐に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。それでは、作戦を説明させていただきます」


 林一等陸佐は机の上に置かれたパソコンのエンターキーを押す。スクリーンに大学内の地図が表示された。


 林一等陸佐は、自衛隊最高の頭脳集団である統合幕僚監部が大筋を計画し、近衛連隊と謳われる第32普通科連隊の参謀たちで微調整された作戦案を発表する。


 内容を元々知っている自衛隊側からは特に驚きの声も出なかったが、警察側ではどよめきが広がった。


「これは……」


「国民からの非難は免れんな」


「ですが、このままでは機動隊側も暴徒側もいたずらに死者を増やすばかりです。ですがこの作戦であれば、ほとんど被害を出さずに人質救出を成功させることができます」


 林一等陸佐は力強く主張する。


「分かった。だが多数の負傷者が暴徒側から発生することが予想される。これはどうするんだ?救出は至難の業だが、流石に放置はできないぞ」


 高岳警視長は冷静に聞いた。


「重傷者は第一線救護の訓練を受けている自衛隊衛生科部隊に救助させ、大学の外で待機する消防へと引き渡します」


「なるほど。消防への手配は?」


「それは警察にお願いする予定です。構いませんね?」


 林一等陸佐の言葉に、高岳警視長は深く頷いた。


「それに実弾の扱いも問題だ。大規模な乱戦になれば、銃が奪われる可能性もある」


 警視庁の参謀が、そう問題提起する。


「それについては、緊急時に射撃要員を迅速に退避させるため装甲車を投入します。ですが、それでも間に合わない部分は機動隊にカバーしていただきます」


「なるほどな」


「だが、現状無傷の機動隊はなし。各機動隊長はほぼ全員が負傷し、特科車両隊については保有車両の半分を破壊されている。それに壊滅状態に陥った部隊すらあるんだ。自衛隊のカバーなんてできるのか?」


「とはいえ我々機動隊には無傷の人員が数千人は残っている。指揮権の移譲を行えば、ほぼ全ての部隊が作戦を続行できる」


「それでは、自衛隊の支援はよろしくお願いします」


「ああ、それぐらいは任せてくれ」


 重要な会議が粛々と進行していく中、チクタクと音を立てる時計の長針は日の出へと少しずつ近づいていく。


 事件は五日目に突入していた。



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