第11話

 事件開始から四日目の早朝。


 楽一警部は、蒸し暑い指揮車の中で目を覚ました。


 夜通しの作戦会議を終えて仮眠をとっていたのだが、いつの間にか夢も見ないほどの深い眠りに落ちてしまっていたらしい。


 普段なら任務中にぐっすり眠るようなことはないのだが、流石の楽一警部も、長期に渡る任務でかなりの疲労を感じているようだった。


 楽一は眠い目をこすりつつ車内を見回す。


 各部隊の指揮官たちや参謀たちもぐっすりと深い眠りに沈んでいたが、晴矢警視の座っていた席には誰も座っておらず、空になっていた。


 どうかしたのだろうか?少し不安になった楽一は立ち上がると、指揮車の外に出た。


 涼しい朝の風が楽一の頬を撫でる。


 晴矢警視は、青と白のペンキで塗装された指揮車に背中を預けて、機動隊員たちが忙しく動き回る公園を眺めていた。


「晴矢警視」


 楽一がそう呼ぶと、晴矢警視は少し顔を上げた。


「ああ、楽一警部。少し嫌な夢を見て眠れなくてな。起きてしまったよ」


 晴矢は、少し疲れたように笑った。


「そうですか。やはり緊張していますか?」


「当然だ。次の作戦も前線に出るつもりだからな。やはり指揮官こそ前に出ないと」


「怖くないんです?」


 楽一は聞く。その言葉に晴矢は少し悲しげな表情になった。その質問は昔、晴矢が長田県警ライフル隊の隊長だった時、その隊員だった楽一にされたことがある。


 すでに答えたことがある質問で、その後、楽一にはその時の答えを何度もからかわれた。


 かつて誰よりも信頼していた相手が自分のことを忘れている。忘れられたことがほんの些細な物でも、晴矢は寂しさを感じずにはいられなかった。


「怖いよ。自分が死ぬことも、仲間キミが死ぬことも」


 晴矢は、長田県警時代はよく口にしていた言葉を、警視庁第四機動隊長となってからはほとんど口にしなくなった言葉を呟く。


 長田県警時代は部下にも上官にも同僚にも恵まれていた。失いたくなかったから死にたくなかった。


 今でも死にたくはないが、その理由は喪失に対する恐怖ではなく、生物としての生存本能に過ぎない。


 晴矢はただただ虚しさを感じていた。


「そうですか」


 興味なさげな楽一の相槌が晴矢を心をさらに深く抉る。


「大丈夫ですよ。俺もついてますし、必ずテロリストを無力化して、決死隊員全員の生還をサポートしましょう」


 楽一は、同じ組織に所属している仲間に対する口調で、晴矢にそう言った。


「……そうだな。どうせ敵は派手に動かないだろうし、近接戦闘なら的は目の前だ。間違っても外すなよ」


「当然です」


 あの日、雪山の戦闘が終わった後、楽一と交わした会話が晴矢の脳裏をよぎった。


 楽一は、まだ私を許していないだろう。


 晴矢は自嘲する。


 当然だ。私の判断ミスで優奈警視は死んだのだから。


 ◇◇◇◇


 楽一は寂しげな、それでいて自嘲するような晴矢の表情に戸惑う。


 なぜ俺にそんな顔を向ける?あの日、ろくに狙撃すらできなかった俺に、晴矢警視は何を期待しているんだ?


 楽一の心に、そんな戸惑いが広がる。


 軽沢山荘占拠事件が警察側に死者5名、重軽傷者52名という莫大な損害を出してようやく終結したあの日。


 撤収作業を迅速に済ませて、後始末を増援の管区機動隊と鑑識に任せ、長田県警機動隊が完全に撤収した後。


 人員輸送車に乗って山荘のある雪山を下山して警察署へと帰還した隊員たちは、沈痛とした雰囲気に包まれていた。


 長田県警機動隊は優奈警視を含む三名、警視庁機動隊は二名、両機動隊合わせて計五名もの死者を出し、さらに多数の重傷者を出した機動隊員たちは、勝利の喜びに酔いしれる前に仲間を喪った悲しみに沈んだ。


 人望の厚かった優奈警視の死は、学生運動全盛期で殉職も当然だったようなベテラン機動隊員ならともかく、仲間の死を現実の物として考えていなかった、あるいは考えていても本質的には理解できていなかった若手警官には、とても受け止めきれなかった。


 そして楽一巡査部長もその一人だった。


「なぜ優奈隊長にライフル隊による狙撃を進言したんですか?我々の狙撃技術が低いことなんて、少し考えれば分かったはずでしょう?」


 事件に関わった警察官たちを集めて開かれた反省会の途中で、楽一巡査部長がライフル隊隊長だった晴矢に対し思わずそう口走ってしまったのは、ある意味仕方のないことだった。


 まだ若く経験も浅い楽一に、自分が弾丸を外したせいで上官が殉職したという事実は、あまりにも重すぎたのだ。


 それに大きな作戦ミスがあったことも事実ではある。


 だがその言葉は、晴矢の心を鋭い刃のように切り裂くと同時に、警官たちの中に沸々と込み上げていた怒り、憎悪、絶望に火をつけた。


「貴様が当てていれば、決死隊がテロリストと刺し違えるなんてことは起こらなかったんだぞ!」「なんだと!」「いや、決死隊の立案者である優奈警視にも問題がある!」「ライフル隊による狙撃支援は警視庁の幕僚が言い出した話だろ!」「何?警視庁に責任を転嫁するつもりか!」「そもそも何で無線が使えなかったんだ!」「知るか!」


 怒号はすぐに掴み合いに変わり、若く屈強な機動隊員たちによる本気の殴り合いになる。


 机が音を立てて倒れ、誰かに踏まれたプロジェクターが壊れた。ばきりと音がしてプラスチックの破片が飛び散る。


 自分の放ってしまった言葉に後悔し、それをなんとか取り消そうとした楽一は、助けを求めるように晴矢の方を見る。


 彼女の表情は、全てに見放された絶望に満ちていた。


 それから楽一はすぐに長田県警から警視庁に移籍し、晴矢との連絡も絶った。


 悲惨な結末の責任を大切な仲間に押し付け自らの保身に走った自分自身を、楽一は何年も経った今でも、許していない。


 ◇◇◇◇


 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。


「なあ、将来的に銃器運用部隊はどうしていくつもりなんだ?」


 晴矢は、重たい沈黙を破ろうと質問した。


「そうですね。全県警に同様の部隊を設置しようと思っています。短機関銃と防弾装備を配備した部隊がいれば、もう銃器を使用したテロで警官が死ぬことはない」


 楽一も、沈黙が破れたことにほっとしつつ答える。


「ライフル隊じゃダメなのか?」


「隊員の練度です。ナイフから短機関銃、狙撃銃まで毎日訓練している部隊と、年数回、止まった的に撃つだけの部隊では技術に天地ほどの差がある」


 それは軽沢山荘選挙事件で明らかになった通りです。楽一はその言葉を飲み込んだ。この言葉は晴矢を傷つけてしまう。


「……そうか。応援するよ」


 晴矢はそう言った。


「ありがとうございます……。あの、」


 楽一が口を開こうとした次の瞬間、指揮車から第一機動隊長が飛び出してきた。


「大変です!現在、大学内への侵入を試みる1100人程度の暴徒が、最外周で警備に当たっていた方面機動隊の一個中隊と衝突しています。現在、県警からの増援部隊と管区、第九機動隊が増援に向かっていますが、多数の暴徒に次々と突破されているとのことです!」


 第一機動隊長は晴矢に敬礼しつつ状況を報告する。


「分かった。待機している機動隊を投入して対応しろ!」


 晴矢警視はそう大雑把な指示を下し、指揮車内へと駆け込む。


「俺は銃器運用部隊に戻ります!」


 楽一はそう伝えて走り出す。


「分かった!」


 晴矢は返事をして、指揮車のドアを閉めた。




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