記憶

第10話

 雪山の中、山荘に立てこもったテロリストと機動隊が激しい戦闘を繰り広げていた。


 大量のガス筒が建物へと向けて放たれ、バリケードで覆われた山荘の窓からは黄色い催涙ガスが立ち昇っている。


 放水車による放水もあって、その状況は火事現場によく似ていた。


 だが、空を切る拳銃の発砲音と、乱闘服の上から防護装備と防寒コートを着込んだ機動隊員たちが、ここでの敵が炎では無いことを示している。


 布切れで口元を覆ったテロリストの一人が、窓から身を乗り出して拳銃を発砲した。


 拳銃弾が空気を切り裂くヒュンという音が機動隊員たちの耳を掠め、装甲車の鋼板に弾かれた弾丸は、ギンという音を残して雪に突き刺さる。


 積み上げた土嚢に身を潜める機動隊員たちは、ガス筒発射器を構えてテロリストの射撃に応射した。


 だが、精度の低いガス筒発射器で拳銃に対抗することは無謀にもほどがある。それが、頭蓋骨に直撃すれば相手を死に至らしめるほどの威力を持っていたとしてもだ。


 土嚢に弾丸が突き刺さり砂埃が巻き上がる。機動隊員たちは土嚢の影に身をすくめ、いつ死ぬか分からない恐怖に耐えていた。


 乱闘服の隙間から忍び込んでくる寒さは容赦なく素肌を撫で、重たい盾を構える機動隊員たちから手足の感覚を奪う。


 だが逃げることも隠れることもできない。それが彼らの仕事だ。


 機動隊員たちは決死のを続けていた。


 山荘の正面で機動隊の主力が必死の戦闘を続けているのと同じ頃、山荘の裏手に広がる森に浸透したライフル隊の隊員たちは、狙撃準備を整えていた。


 彼らはシーツやカモフラージュネットで自身の姿を覆い隠し、息を殺して狙撃用のライフルを構える。


 やがて、その時はやってきた。


 室内に立ち込める催涙ガスと激しい放水に耐えかねて、少しでも新鮮な空気を吸おうとしたテロリストたちが機動隊員の少ない裏手の窓から大きく身を乗り出したのだ。


 だがテロリストたちは、乱闘服の上から偽装を施して身を潜め、自分らに狙いを定める県警ライフル隊の隊員たちに気付いていなかった。


「狙撃開始!」


 ライフル隊長による号令に、機動隊員たちは一斉に引き金を引く。


 だが練度の低い県警ライフル隊の放った弾丸は、その大半が窓枠に突き刺さるか室内に飛び込むかして犯人に命中することはなく、テロリストを誰一人として無力化できなかった。


 運良く当たった弾丸も、テロリストの動きを止めるには至らない。


 突然の狙撃に、テロリストたちは慌ててガスの充満する室内へと身を隠す。


 薄暗い室内に隠れたテロリストを狙撃できる隊員など、新設されたばかりの上に戦術らしい戦術も持たず、訓練頻度も少ないライフル隊に存在しているはずもなかった。


 金色の瞳に焦りを浮かべたライフル隊長は、腰の無線機を口元に寄せ叫んだ。


「こちらライフル隊!狙撃失敗!繰り返す。狙撃失敗!決死隊は直ちに突入を中止せよ。繰り返す。直ちに突入を中止せよ!どうぞ!」


 だが無線機は雑音を流すばかりで、本部からの応答はない。


 降り積もる雪、寒さ、そして木々が生い茂る山岳。無線を阻害する要素をほぼ全て兼ね備えた長田県軽沢市は、旧式の無線機で連絡を取り合うには少々過酷すぎた。


「決死隊、突入!」


 その号令と共に、ジェラルミンの盾を構えてテロリストらの立てこもる部屋へと突入した決死隊の隊員たちを、自動拳銃による弾丸の豪雨が襲った。


 催涙効果のある薬品が混ざった水に、銃弾を受けた機動隊員たちの血が広がった。


 絶叫、怒号、発砲音。


 暴徒鎮圧用の盾は容易に貫かれ、機動隊員たちは次々と被弾し床に倒れていく。


 オレンジの発火炎が、催涙ガスの中にチカチカと光る。


 悍ましい戦闘の音は徐々に小さくなっていって、やがて消えた。


 ライフル隊長は、スコープで山荘の玄関を見つめる。


 まず、救助された人質が機動隊員たちに護衛されつつ出てきた。次に、両腕を抑えられた犯人らが続々と引きずり出されてくる。


 どうやら作戦は成功したらしい。


 だが、人質救出と犯人確保という戦果など興味もないというように、ライフル隊長はひたすら玄関を見つめ続けた。


 やがて、重傷を負った機動隊員たちの救助が開始される。


 次々と運び出されてくる担架には、重傷を負うか、あるいは殉職してしまった機動隊員たちが乗せられていた。


 その中に鮮やかな桃色の髪を見つけたライフル隊長の金瞳が、大きく見開かれる。


 鮮やかな桃色の髪を持つ機動隊員は、担架に乗せられていた。


 その首筋からはどくどくと血が溢れ、赤十字の腕章を付けた機動隊員が、傷口を手で押さえている。


 だが桃髪の機動隊員はすでに意識を失っており、肌は死体のように青白かった。


「優奈警視!」


 ライフル隊長は思わず叫ぶ。


 その声は雪山にこだまして、やがて消えていった。

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