作戦開始

第6話

 事件発生から二日目の正午。予定時刻ぴったりに作戦準備を完了した機動隊は、すぐさま行動を開始した。


 まず第一段階として、放水と催涙ガスで正門のバリケードを突破した第一、第二、第三機動隊が、特科車両隊の遊撃放水車を先頭に暴徒へと襲いかかる。


 大盾を構えて密集陣形を組んだ機動隊員に、暴徒は容赦無く角材で殴りかかり、石や火炎瓶を投げつける。


 警察の作戦通り主攻を正門だと判断した暴徒は兵力を正門付近に集中させており、防御の整えられたそこへと真っ直ぐ突っ込んでいく機動隊への攻撃は苛烈を極めた。


 乱闘服を火炎瓶の炎にやられて火だるまとなった機動隊員が地面を転げ回り、放水車が燃え盛る炎に向けて水を吹き付けた。


 東大学内へと大きく食い込んだ機動隊を追い払おうと突撃した暴徒が、放水車の高圧放水に吹き飛ばされ、倒れたところを機動隊員によって逮捕される。


 ガス筒発射器から放たれた大量のガス筒が催涙ガスを放ちつつ地面を跳ね、暴徒たちはたまらず咳き込みながら逃げ出した。


 とはいえ機動隊員だってガスマスクなど支給されていないため、撒き散らされた催涙ガスはスカーフで口元を覆っただけの機動隊員にも容赦なく襲いかかる。


 機動隊員たちは涙と鼻水を流しながらも、一歩たりとも退かずに突撃を続けた。


 投擲された鉄パイプ爆弾が炸裂し、飛び散った鉄片を受けた機動隊員たちが痛みに呻きながら倒れ込む。


 赤十字の腕章を巻いた機動隊の衛生隊員が、泥まみれになりながら担架を持って混戦状態の最前線を駆け回っている。


 周囲の状況を把握しようとバイザーを上げた機動隊員が投石に顎を砕かれ、衛生部隊に担架で運ばれていく。あの重傷では、今後の生涯ずっと食事に難儀するだろう。


 暴徒に引き剥がされて孤立した機動隊員や力尽きて地面に倒れた機動隊員にも、暴徒は容赦なく角材や鉄パイプを振り下ろす。


 血走った目で無秩序に暴力を振るうその姿は、学生というよりも醜悪な鬼に近かった。


 対する機動隊側は、何度も繰り返した暴徒鎮圧訓練を可能な限り再現しつつ、襲いかかる暴徒を次々と押し返し、逮捕していく。


 暴徒側による苛烈な攻撃により機動隊員113名と暴徒75名が重傷を負い、機動隊側は三名もの死者まで出たが、その犠牲を代償に200名もの暴徒を逮捕することに成功した。


 機動隊は一時間ほど交戦を行った後、逮捕者と重傷者を車両に乗せて後退していく。


 暴徒は撤退していく彼らに石や火炎瓶を投げ、機動隊を追い払ったと勝利の声を上げた。


 だが、正門での戦闘はあくまでも陽動に過ぎない。


 最重要目標は、あくまでも医学部棟を占拠するテロリストの逮捕と人質の奪還だ。


 機動隊は、拳銃などで武装したテロリストを可能な限り生け捕りにし、人質を全員無事解放せねばならない。


 それを実行するのが、第四機動隊から選抜した機動隊員四十名とライフル隊十名、さらには特科車両隊員十名の計六十名で編成された決死隊だ。


 正門で苛烈な戦闘が行われている頃、決死隊の乗り込んだ防弾車は裏門のバリケードを踏み潰し、そのまま全力疾走で医学部棟へと向かっていた。


 裏門側の大学内には鉄パイプやら火炎瓶やらが転がってこそいたものの、暴徒の姿はほとんどなく、たまにいたとしても、猛進する防弾車を身を投げてまで止めるほどの度胸がある者はいない。


 暴徒は機動隊の作戦通り、裏門の兵力を大幅に減らしていた。


 裏門の警備に当たっていた少数の暴徒については、決死隊に続いて裏門から突入した第四機動隊の主力が対処する。


 裏門と医学部棟さえ制圧してしまえば、残った暴徒を殲滅することは難しくない。


 今回の作戦の可否が機動隊の勝敗を決定付けると言っても、過言ではないだろう。


 晴矢警視は、込み上げてくる緊張に唾を飲み込んだ。


 防弾車内の隊員たちも、皆一様に緊張した表情を浮かべている。


 全員が拳銃で武装し、ライフル隊の隊員については高倍率スコープを取り付けたライフルまで持っていたが、それでもなお不安は拭えない。


 テロリストは武器も人数も不明なのに、こちら側の装備は一般公表している物が全てなので、テロリストは全て知っている。


 もし向こうが防弾ベストや自動小銃を入手していたら、今回の作戦を実行するために臨時で編成され、ろくに訓練も積んでいない決死隊はすぐに壊滅してしまうだろう。


 あまりにも理不尽な状況だ。


 だが、銃器運用部隊を使用することは機動隊としてのプライドが許さないし、そもそも警視庁上層部の意向があるので使えない。


 そして機動隊員たちは、この程度のテロリストであれば銃器運用部隊の力を借りずとも機動隊のみで解決できると信じていた。


 確かにテロリストの行動によって二人の死者は出ているが、使用された銃器は小型の拳銃で、ジェラルミンの盾でも十分に防げるような代物だ。


 それに、警官らの血肉を代償に得た戦技は、過激な学生運動が鳴りを潜めた現代でも未だ衰えていない。


 何より、この決死隊には過去最悪の被害が出た銃器犯罪である、軽沢山荘占拠事件に参加した隊員も複数名いた。


 晴矢警視は、分厚い手袋に包まれた手を強く握りしめる。


 今回こそうまくやって、楽一に謝ろう。


「晴矢隊長の下で死ねるなら、俺も文句はないです」


 長田県警の機動隊に所属していた時、楽一はそう言ってくれた。だからこそ、彼女は軽沢山荘占拠事件で二人の関係が決裂した後も、陰ながら楽一をサポートし続けた。


 警視庁ではエースとして期待され、少なからずコネも持っている晴矢の尽力がなければ、銃器運用部隊の設立など夢のまた夢だっただろう。


 だが、それだけの努力と贖罪すら、つい数時間前の会議で全て打ち砕かれた。


 楽一は、まだ自分を恨んでいる。だけど、今度こそ私だって。


「到着です!」


 運転席から特科車両隊の隊員が怒号を飛ばす。


「了解、総員下車!行動開始!」


 晴矢警視は、即座に指示した。


 防弾車の後部扉が一斉に開き、大盾を構えた機動隊員が次々と下車していく。


 彼らはやや手間取りつつもバリケードを乗り越えて、次々と医学部棟の建物へと突入していった。


 ライフル隊は防弾車の銃眼から銃口を出して医学部棟の窓に狙いを定める。彼らには、テロリストが顔を出したら即座に射殺するよう晴矢警視から指示が出されていた。


 正門に集中している暴徒が戻ってきたら、機動隊の前線から突出している決死隊の壊滅は避けられない。


 時間が味方してくれない以上、決死隊は迅速に人質を救出して撤収する必要がある。


 医学部棟へと突入した機動隊員たちを迎え撃ったのは鉄パイプ爆弾だった。


 爆発音と共に飛び散った破片が、あちこちに設置されたバリケードのせいで大盾を上手く扱えない機動隊員たちに容赦無く襲いかかる。


 至近距離で爆発を受けた機動隊員一名が重傷を負い、やや離れた場所にいた隊員も耳を爆風にぶん殴られて一時的に聴覚を奪われる。


 そして舞い上がった砂埃が機動隊員たちの視野を塗りつぶした。


 直後、突入して数秒で多数の重軽傷者を出した機動隊へと、テロリストが銃器の照準を向けて、一斉に引き金を引いた。


 何挺もの自動小銃の織り成す弾幕が機動隊員たちを襲う。テロリストの主武装は、小型拳銃ではなかった。


「なんだと!」


 機動隊員たちは慌てて盾を構えたが、ジェラルミンでは小型の拳銃弾ならともかくライフル弾を撃たれたら容易に貫通してしまう。


 医学部棟の玄関ホールに赤い鮮血が飛び散り、機動隊員は一人また一人と地面に倒れていった。


 なんとか拳銃で応射しても、自動小銃の圧倒的な火力を前にしては豆鉄砲と変わらない。


「晴矢警視!奴ら防弾ベストを着ています!」


 胴体に拳銃弾の当たったテロリストが涼しい顔で射撃を続けているのを見て、機動隊員の一人が晴矢警視へと報告した。


 晴矢警視はバリケードの影に隠れて弾を避けつつ、拳銃を構えて応射する。


 医学部棟の玄関ホールは吹き抜けになっており、テロリストたちは二階や階段から機動隊員たちを狙い撃ちしている。


 陽の光が差す解放的な玄関ホールに、機動隊員たちが身を隠せる場所などなかった。


「分かっている。頭を狙え!」


 晴矢警視は、そう指示した。


 飛び交う無線で医学部棟内の状況を把握したライフル隊は玄関ホールで戦う機動隊員たちを助けるべく、防弾車から降車して医学部棟へと突入していく。


「ライフル隊は来るな!死ぬぞ!」


 晴矢の警告は間に合わず、ボルトアクション方式のライフルを抱えたライフル隊の隊員たちは、テロリストによる十字砲火へと飛び込んでいくことになった。


 降り注ぐ弾幕が大盾を持たないライフル隊員を容赦なく切り刻んでいく。


 連射性能の低いボルトアクション方式の銃しか持たない機動隊ライフル隊が、自動小銃を持つ敵に正面から挑んで勝てるはずもなかった。


 玄関ホールに、乱闘服を着た死体の山が積み上げられていく。


「こちら決死隊。テロリストは自動小銃を持っている。増援を要請する!」


 無線で本部に増援を要請していた隊員は、テロリストからの狙撃で脳を貫かれ倒れた。脳髄が床に飛び散る。


「クソっ」


 晴矢は歯を食いしばる。軽沢山荘占拠事件と同じ失敗だ。


 警察側の戦術だって進化しているが、テロリスト側の方が進歩はずっと早かった。自動小銃を持った相手に、拳銃程度しか持たない機動隊員が勝てるはずもない。


 そして十字砲火を受けている現状では、撤退することも難しいだろう。


 このままでは壊滅する。晴矢の心臓が早鐘を打った。


 死ぬのか。あの日の優奈警視みたいに。


 嫌だ。死にたくない。こんなことになるなら、警視庁の反対を押し切ってでも銃器運用部隊を投入するんだった。


 だが後悔は、もう取り返しがつかない段階でしか生まれない。


 晴矢が壊滅を覚悟した次の瞬間、タクティカルブーツが大理石を蹴る足音が、大学構内に響いた。


 短機関銃の小さな発砲音がタタタと鳴り響き、自動小銃の発火炎が一つ減る。


 生き残った機動隊員たちは、驚いて振り返る。


 そこには、警視庁銃器運用部隊の戦闘員五名が銃を構えて立っていた。


「作戦開始!」


 楽一の号令で、戦闘員たちは連携を取りつつ玄関ホールへと突入していく。


 銃器運用部隊による射撃と増援に勢い付いた機動隊員による反撃に、テロリスト側は少しずつ数を減らしていった。


 狙撃銃並の精度と高い連射性能を誇るMP5が、弾丸をばら撒いてテロリストを牽制する。


 テロリスト側の応射は、岩水が構えた防弾盾によって弾かれた。


 セミオート式の狙撃銃を構えた静海は、自身を狙って放たれる弾丸にも一切動じることなくテロリストたちを冷静に無力化していく。


「早く逃げろ!急げ!」


 部隊の指揮を行っていた楽一警部が、射撃を続けようとする機動隊員たちを叱咤する。


 機動隊員たちは、その声で悔しそうな表情になりながらも後退を開始した。


「生存者離脱!遺体収容完了!」


 丸メガネの西田副隊長が、玄関ホール内を見回して楽一警部へと報告する。


「よし、撤退!」


 楽一警部の号令で、戦闘員たちは牽制射撃をしつつ玄関ホールを離脱する。


 彼らは小型防弾車に乗り込むと、先に離脱した決死隊に続いて離脱を開始した。

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