第32話

「僕が協力する気がないと知ると、彼らは次善策としてあの雲を作り出した。ただ、作り出すだけじゃ足りないんだ」

「足りない?」

「太陽光を魔素に変換し、ダンジョンに食わせる。それだけじゃあルナダリアに魔素が増えない。だからあの塔を建てたんだろうね」

「エリオットは、あれが何か知ってるのか?魔素観測のものに似ているけれど」

「そう、雲がダンジョンに戻り魔素を吐き出す流れを観測する。そしてそれに干渉し、魔結晶化する。魔結晶を作り出す技術はダンジョンの固定化で生まれた副産物みたいだね。随分と効率は悪そうだけれど」

 よその世界でエネルギーが枯渇しようが知ったことじゃない。そう考えただろう第一王子の策とは地球を魔結晶の産地とすることだった。


「ジュン。君にそれをあげよう。それがあれば雲のコントロールを一時的にでも奪うことが出来るだろう。戦いに使うといい」

「エリオットは協力してくれるのか?」

「ルナダリア......ルナとの出会いは楽しかった。どうせ僕は故郷に帰れない。だから第二の故郷と思えるようにと、ルナは国を作ってくれた。」

 エリオットはくるりと回り、ジュンに背中を向けた。見ると何やら小さな文字が書いてある。ルナダリアの言葉だろう文字はジュンには読むことが出来なかった。

「アレーヌ。永遠を生きる”友人”。そう書いてある。だけれど......僕は疲れてしまった。故郷を、友を失った。友の子孫を見守ってきたが、もう十分だよ」

 長い時を生きるエリオットの苦悩は、ジュンの想像もつかないものだ。長命であるが故に、命の終わりを自分で決めなければならない。果てしない葛藤の末に決断された選択を、ジュンは受け取った。

「エリオット。ありがとう」

 礼を言って立ち上がる。黄色く光る球体を手に持ちエリオットと向かい合う。自身のすべき選択をジュンは決めていた。

「これは借りておく。帰ってきたら、今度は魔術を教えてくれ」

「ジュン、僕は......」

 エリオットの言葉を無視してジュンは球体に意識を集中する。球体がいっそうに輝くと、魔術によってつくられた意識の空間が瓦解し始める。

「死ぬ前に、地球観光に連れてってやる。日本だけでも飽きないぐらい色々見せてやる。世界中とくればもっとだ。そして俺がお前を故郷に連れて行ってやる。散った仲間も探してやる。安心しろ、地球の科学はすごいんだ。きっと、見たことも聞いたこともない手段がわいてくるさ」

「ジュン......」

 エリオットの返事を待たず、世界の瓦解が加速する。彼が何か言ったような気がしたが、すぐにジュンの視界は暗転した。


「ジュン!!ジュン!?」

 ジュンは身体を大きく揺さぶられ、頬を叩かれる痛みで目が覚めた。

「エ、エリカ......?」

「動かなくなったと思ったら、今度はいきなり倒れて。私、何もできなくて......」

 ぽつぽつとジュンの顔に涙が降ってくる。

「ごめん......。でもうまくいったよ」

「ばか!ばか!」

 精神的疲労により動けないジュンはエリカの膝の上を枕に横たわっていた。

「故郷か......」

 エリカの涙が枯れるまで罵倒浴びせられたが、ジュンはどこか居心地の良さを感じていた。

 

 ややしばらくして、泣き止んだエリカは少し恥ずかしそうにジュンから距離を取っていた。

「それで、この子との話はついたの?」

「あぁ、PCみたいにエネルギーを魔素へ変換できるものを借りたんだけど......あれ?」

「どうやって会話してたのか知らないけれど、1ミリも動いてなかったよ?どうやって貰ったのさ」

 そんな筈はと身体をまさぐる。ポケットになければ、足元にも転がっていない。一体どこにとペタペタ触っていると、感触に違和感を覚えた。しかしその違和感はどこを触っても感じる。まさかと思い右手を見ると掌に異物が埋まっている。

 エリオットと会話した世界で見た黄色い輝きを持つ球体は2cm程度に小さくなり肌から少しだけ頭を出していた。

「それが?」

 驚きで固まっていたジュンはエリカの声でようやく我に返る。

「まさかこんな渡し方をされるとは思ってなかった」

「痛くはないの?」

「まったく」

 ヘッドライトの明かりを頼りに観察をしてみる。角度を変えて見たり、つついてみたり、魔素の操作を試みてみる。すると洞窟の大気中にあった魔素が掌に集まってくる。

「ルナダリアが使ってるのは、これの模造品と言っていたな」

 独り言の後にジュンは決断する。

「山頂まで登ろう」

「ちょ、いきなり何!?目的はアレーヌ族に会って雲の制御法を知ることでしょう?」

「どれだけ上手くいくか分からないが、やる価値はある。細かいことは道中で話すよ」

 二人は荷物をまとめ洞窟の出口へ向かう。

「またな。エリオット」

 ジュンは後ろを振り向き、別れの言葉を伝える。その石像は変わらず暗闇の中で一人立っていた。

 横で疑問符を浮かべるエリカに、エリオットとの会話を教えながらジュンは頂上へ向かった。


 *


「エリオット君、かわいそう......」

「君なんて呼ばれる年齢じゃないだろうけどな」

「じゃあエリオットおじいちゃん?」

 洞窟から出た二人は稜線に沿って数時間歩き、無事登頂した。

「とうちゃ~く」

「エリカ博士は運動不足か?」

「しょうがないでしょ。コロニー内で大した運動なんてできないんだから」

「それじゃあ、みんなが外でランニングできるようにしてみますか」

 ジュンは荷物を置くと1つの魔結晶を取り出す。アリアに譲り受けた魔結晶の中で唯一、魔術の方向づけが行われていなかった魔結晶。右手の球をあてがい、魔結晶から魔素を抜き取る。

 魔結晶をまとった手を天に向け突き上げると、手から魔結晶のヒモが伸びていく。細くてもいい。エリオットとつながった時のように、濃度を保ちながら伸ばしていく。

 標高1,668mの夕張岳から雲の最下層までおよそ400m。ヒモはどんどん細くなりながら天に向かう。最初は手を包んで余るほど見えた魔素は髪の毛よりも細く、目を凝らしてようやく見えるほどになる。

「届いてくれ。頼む」

 手元にある魔結晶から抜き出した魔素は、雲まであと数mで届くだろうというところで尽きてしまう。

「この球の機能は魔素の操作だけじゃない。本質はエネルギーの転換だ」

 ジュンは自身の肉体へと意識を集中する。体内で1つグルコースを2つATPに変換し、ATPが加水分解によりADPとする。ジュンの肉体に残されたエネルギーのストックを消費してヒモを伸ばす。数cm、数十cmと伸びたところで止まってしまう。

「最高のダイエット法かもな」

 今度は肉体を構成する脂質とタンパク質に手を出す。無論、これらの分子がもつ静止エネルギーをすべて取り出せば莫大なエネルギーが得られるだろう。しかし、それにはナノ秒単位で魔素変換を行わなければならない。少しでも失敗すればジュンの肉体は爆弾となりはじけ飛ぶだろう。その危険にジュンは手を出すことが出来なかった。あくまでも肉体の理屈に従い、エネルギーを横取りしながら魔素へ変換する。

 

 肉体の分解、そして魔素の操作に集中するジュンは気づかなかった。自身の顔がやつれ、身体が一回り小さくなる。登山により浮腫み始めていた脚は、むしろ細くなる。

 あと少し、もう少しで届くというところで強い風が吹く。これまでと同じ感覚で踏ん張るが、まったく敵わない。風の吹くままに、簡単に倒れてしまいそうなところでエリカが支えてくれた。

「ジュン!?大丈夫なの??ひどい顔してる」

「あと少しだ」

 支えられたジュンは左手をエリカの腰に回す。文句は言われまいと、本人の了承を得ずに脇腹の脂肪を分解し始めた。

 そうして、ようやく極細のヒモが雲に届いた。

「さあ、ため込んでいる物全部貰おうか」

 雲が昇ってから、洞窟で過ごした時間と道中にかけた時間で4時間近く経っていた。雲の含む魔素がリセットされているとして、1日の日照時間の3分の1程度は溜まっているだろう。

 ジュンは少しずつ雲から魔素を吸収していく。目視も難しいほど細かったヒモは髪の毛程度に太くなり、それからどんどんと太さを増していった。

 雲から魔素を抜き取るにつれ、空からは微小で透明な粒子が降ってくる。サイズは違えど、それは魔結晶から魔素を抜き取ったものに似ていた。透明な雪はジュンの頭や足元に積もり、同心円状に広がっていく。


 腕を上げたまま20分ほどが経過し、すっかり空が晴れわたる。遠くに雲がまだ見えるが近くから魔素を吸収していく関係上、遠くのものまでは対処できなかった。そもそも雲を操作できたわけでなく、無理やり魔素を奪っただけだからだ。

「だいたい終わったな」

 ジュンは取り込んだ魔素を少しだけ体内に取り込み、顔色が良くなる。失った筋組織までは回復できていないが、とりあえずの活動に問題なさそうだ。

「すごい......青い空なんて」

 雲の晴れた空は太陽こそ陰っているものの、人類が3年間失っていた青が広がっている。

「あぁ、最高だ。今は一時しのぎでも、いつか空を取り返せるかもしれない」

 支えてくれているエリカを見るとまた目を赤くしている。

「エリカは泣いてばかりだな」

「うるさい」

 涙を流しながらも、笑顔を向けられてジュンもつられ笑ってしまう。

「ごめん、ごめん。それじゃあ帰ろうか。コレがあればあの塔も――」

 何か分かるかもしれない。そう言おうとした時、ジュンは空が急激に暗くなることに気づく。雲に開いた青い穴はみるみる周囲の雲に浸食され、埋められる。

「やっぱりダメか」

「仕方ないよ。色々試そう」

 大げさに肩を落としてみせながら、荷物を背負いなおす。

 縮んでいく青空を見ていると1つの黒い点に気づく。黒い点は次第に大きくなり徐々に輪郭が見えてくる。突起の生えた丸い影はジュンの見覚えがあるものだった。

「逃げるぞエリカ!」

 ジュンは魔素を全身に巡らせてエネルギーに転換する。やせた筋肉に無理やり仕事をさせてエリカを抱え跳びあがる。

 次の瞬間には二人が立っていた地点に飛来物が衝突した。轟音とともに魔素が雲と雪が舞い上がる。

 白銀のホコリから何かが飛来する。咄嗟に力場の魔術を使い、何とか防ぐことができた。

「このナイフ!」

「なんなの?」

 困惑するエリカに離れていろとだけ伝えて、ジュンは懐の魔結晶を確認する。

「今度は逃がさない」

 飛びかかってきた物は再び雪煙の中へ戻っていく。舞い上がった粒子が落ち着き、中から1人の男が出てきた。

「ジュン先輩」

 そこには顔に雷紋を浮かべたアキラが立っていた。

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