第30話
「雲が昇る地点の調査記録を見せてほしい」
そう言われたエリカはジュンが不在の間に調べていた資料の中からいくつか取り出す。
「使節団が入った洞窟以外は奥行きもそこまでなかったみたいだけど」
それは以前、取調官に言われた内容と同じ回答だった。
「人工物が見つかったというのは?」
「一箇所だけ、石造りの像があるわ。他の洞窟にもあるならともかく、その例だけだったの。考古学者にでも聞けばいつのものか分かるかもしれないけれど、夕張には専門家がいなくて」
エリカが手渡した1枚の写真。そこには人間よりもずっと大きな像が写っている。彫刻のように彫った形跡はなく、構成する石材は関節で切れ目がある他は一切滑らかであった。
「魔術によって加工されたものは、こういった継ぎ目のない構造になる。ルナダリアではそこら中で見たものだ」
「じゃあ、魔術で誰かが作ったの?わざわざ像を?」
「アレーヌ族という者は全身を岩で覆っているらしい。写真じゃなくて絵画で見ただけだが、おそらくそれだ」
それを聞いたエリカは元々大きなその目をさらに開いて丸くする。
「じゃあこれ、生きてるの!?」
「動いたとか、記録はないか?」
「ないわよ!」
ジュンは資料に目を通すが、全身をあちこち撮影されても動いたり会話をした記録はない。
「ルナダリア1世は人類で初めてアレーヌ族とコミュニケーションと取ることができたそうだ。それで魔術を教わり、人類に伝えたとされている」
「この像が魔術を教えてくれたと?」
「そう。きっと魔術の素養がなければアレーヌ族とは話せない。だから洞窟の調査では気付かれなかった」
「わざわざそれを調べる理由は?」
「ダンジョンは彼らの家らしい。それを何らかの形で転用されたのが地球に生まれたダンジョンだ。向こうの世界ではPCがなかったから、それもルナダリアで加工された部分なんだろう」
得心のいったエリカは何度かうなずきながら地図を広げた。
「つまり、ルナダリア製ダンジョンへの対策を本家本元へ聞きに行こうってことね」
「もう1つ目的はあるんだが、概ねそんな感じだ。それで、ここからどのぐらいの距離に?」
「夕張岳の中腹見たいね」
「ヘリを出してもらうか、車で近くまで行ってそこから徒歩か......」
ジュンは顎に手を当てて数分の間黙りこくる。あの取調官に頼めばヘリを飛ばしてもらえるだろうか。彼女らは現在、突如生えてきた塔の対処に忙しいだろう。航空機も間違いなく必要となる。雪上車一台を出してもらう方が穏便に済むだろうか。
そう考えているとエリカがゴソゴソと戸棚をあさっている。奥の方にしまわれていた物を取り出すとドンと机に置いた。それは登山用のリュックだった。エリカは次々に雪山用の装備をゴロゴロと机に並べる。
「待て、それをどうするつもりだ?」
「どうって、雪山でしょう?ヘリで降りるにしても、登るにしても装備は必要よ」
「ルナダリアに行くときも言ったが――」
ドンッ!
ジュンの言葉はエリカが机にカラビナを叩きつけた音で遮られる。
「いい加減にして。その足、だいぶ痛いでしょ。一人で行かせるわけない」
「夕張岳なら何度か登ってる。問題ないって」
エリカは髪を振りながらジュンを向く。睨めつける目には涙が溜まっている。
「ただ標高1,668mを登るだけじゃない。洞窟が確認されたのは1,200m地点、それも稜線から外れたポイントで雪が深い。洞窟の位置は雲が昇る時に若干移動するから、その座標も正確じゃない。あのあたりは熊の目撃情報もあるし、危険すぎる」
「くまぁ?この極寒の中でどう生きてるってんだよ」
「川の氷を割って、氷漬けになった魚を食べているところが目撃されているわ。それでも食料が足りるはずはないから、人間が近づけば間違いなく襲われる」
「まぁ、熊ぐらいならどうにかしてみせるさ」
「どうにかって?」
ジュンは懐から一つの魔結晶を取り出して見せる。エリカが机に並べた登山道具からロープを掴んでみせると、空中で手を放す。ロープは自然落下せずに空中にとどまる。
目の前で重力という常識を捻じ曲げられエリカは驚愕し、浮かんだロープを掴む。ロープは途端に重力を思い出したようにうなだれる。
「今のは......」
「ルナダリアの魔術だ。アリアに教わった。アレーヌ族は魔術の素養がないと会話できないと言ったろ?人類で話ができるのは今のところ俺だけだ」
それを聞いたエリカは手に持つロープのようにうなだれてしまった。髪に隠れ表情が見えないがプルプルと小刻みに震えている。
「ついていくから」
「え?」
「一人だけずるい!私もついてく!」
それだけ言うとエリカは黙々と準備を始める。ジュンが声を掛けようとも一切の返事をせず、むくれた横顔を見せるのみだった。
*
やはりヘリは出せないとのことで、雪上車に乗り夕張岳の標高800m程度まで到着する。なるだけ平坦な地形を選び雪上車を停めておく。ここから先にはなだらかな道が少なく、徒歩で登る必要があった。
「雲が昇るまであとどのぐらいある?」
ジュンの問いかけにエリカが腕時計を確認する。
「1時間から2時間ぐらい」
「よし、ここから1,100mまで登るぞ。それから先は雲の柱が立ってからだ」
夕張岳は元々山道がある程度整備されていた。雪上車の走りやすい地形から、山道に一度出ることで積雪による影響があれど、冬山装備を整えてきた二人にはさほど問題とはならなかった。
二人は黙々と登り続けた。前をゆくジュンが雪道を踏み固め、その後ろにエリカが続く。
ノシノシ、ザクザクと進んでいくと定期的に強い風が吹き、地吹雪に見舞われる。ヘッドライトが照らす景色は真っ黒か真っ白のどちらかだ。
太陽を失って以降、気候は大きく変動した。降雨量は年々低下し、反面に風は強くなった。元より強い山風はさらに強力となり、二人を横凪に襲う。顔が濡れ、目を開けているのもやっとになる。
「方角、だいじょうぶだよな!」
風音に負けぬよう声を張り上げると、エリカも大声で返してくる。
「この稜線に沿っていけば大丈夫!」
星明かりの中、登山用GPS装置を手にしたエリカは後からジュンをナビゲートする。以前に夕張岳を登頂したことのある彼女は自信を持って案内していた。
目指していた標高1,100mに到着する頃には1時間半以上が経過していた。月も沈みかけており、そろそろ日の出だろう。
二人は登山道から少し外れ、風よけになる植物が多い一帯に移動する。二人はシラカバが赤茶色くなったような木の曲がった幹が丁度腰ぐらいの高さにあるのを見つけ、そこに腰かけた。
「さすがに喉が渇いたな」
リュックから水筒を取り出し口をつける。
「なんだか懐かしいね。こうやって二人で登るの」
「就職してからはお互い忙しかったもんなぁ。若手研究者に暇なしだ」
「同じ研究室の出身で、似たような研究をしてたし。もっと会う機会はあったと思うんだけどね」
「大学の頃は本当に助けられたよ。俺はバイトばかりで研究室に顔あんまだしてなかったから」
「嘘。嫌いな先輩がいたから来なかっただけでしょ」
「......やっぱバレてた?」
「バレバレ」
エリカは手に持った水筒を眺めている。ジュンは色付きのゴーグルの奥にある表情までは読み取れなかったが、エリカの言わんとしていることは察しがついた。
「コロニーに来るまで一度も会わなかった......。それは正直、俺が自分の限界を感じていたんだ」
「え?」
エリカが顔を上げてジュンを見つめる。
「所属していた研究所のメンバーはみんな優秀でさ。インドからわざわざ来た化学者やら、賞をいっぱいもらって世界中飛び回っている主任やら。自分がそうなる将来を思い描けなかった。」
「でも、コロニーで会ってからは私の研究室に出入りしていたじゃない」
「部外者としてな。そこに責任は一切ない。気楽に、趣味で研究をやっているうちは楽しいさ。職業としているエリカとは違うよ」
「ジュンだって、研究費もらったり、貰ったり。コロニーに来る前は優秀だったじゃない。私みたいに父のおかげで、ポストに居座っている人間とは違う」
「何があろうと続ける人間が一番偉いよ。俺は、研究に専念できない環境を受け入れてしまった。そうある方が楽だと思ってしまった。エリカの所でやっていたPC研究だって、世界中で秀才たちが取り組んでいたんだ。俺なんかが入る余地はないと思いながら手伝ってた」
エリカがジュンの肩をガシっと掴む。痛いぐらいに指が食い込み、投げ捨てられた水筒が雪に沈む。
「なんでそういうことを早く言わなかったの?」
「頑張っている人間の足を引っ張るつもりはない。親の七光り?結構じゃないか。エリカの努力を否定するものではない。研究は個人の才能と努力、人脈や時の運。その全部が必要だ。エリカだって分かっているだろう?」
「悩みを打ち明けられない関係だとは思わなかった」
エリカは掴んでいた手を放し、背を向ける。
「母さんが死んだとき、葬式に来てくれたろ」
「う、うん。お父さんも一緒にね」
ジュンは父を事故で亡くした。母はPCによる環境変化で体調を崩し、徐々に麻痺していく医療機関では抱えきれなくなってしまい退院を余儀なくされた。容態は悪化し続けそのまま亡くなった。
「俺の親族は母さんが最後だった。兄弟は居ないし、遠い親戚は今どこにいるのかも分からない」
「そんなの......今の時代、ありふれた話じゃない」
「そう!ありふれた一人ぼっちになった。」
雪に埋もれた水筒を拾い、エリカに渡す。
「あの時、エリカの親父さんに言われたんだ。エリカと同じポストでコロニーに来ないかって」
「え?じゃあなんで」
「断った。少なくとも、あの時の俺は完全に研究への熱量を失っていた」
二人の間に沈黙が流れる。ジュンのもとにも、人脈や運が回っているのではないか。たとえエリカを経由したものであっても、それで構わないじゃないか。そう考えるエリカは徐々に憤りを覚える。
「ジュンがアリアさんを連れてきた時。随分楽しそうだったじゃない。ルナダリアに行くってなった時も。帰ってきた時も!」
「そう、。あの時、心が躍ったよ。枯れかけた熱量が湧き上がってきた」
「第一人者になれるなら、やる気は出るってこと?」
「現金な男で結構。名誉も誇りも面倒だ。俺が何かを得て、それでどうする。俺が一人で賞賛されても何も意味がない。だが、残せる相手がいた」
今度はジュンがエリカの肩を掴む。
「そもそも、まっとうな研究者じゃない俺が使節団に居ることは都合が悪い。そして、あくまでも今回の使節団にはエリカの代役として加わっている。公的にはその功績をエリカのものとする方が、大臣らも扱いやすいだろう」
「は?」
「日本の!そして世界の雲を晴らした救世主!そうやって称えられるのは、これまで頑張り続けてきた人間の方がふさわしい。それにエリカの親父さんなら、世論をまとめ上げることも得意だろう?」
「そんなもの人に押し付けて、ジュンはどうするつもり?」
「言ったろう?趣味が丁度いいって。そうだなぁ、シンイチ大臣が生きて帰ってこられたら、どっかの企業に押し込んでもらうか。ルナダリアと和平が結べたら、向こうで余生を過ごすのもいいかもな」
「それじゃ、私は――」
ボンッ!
二人から400mほど離れた地点で黒い柱が立ち上る。巻き上げられた白い雪が風にのり二人に降り注ぐ。
「近くでよかったな。時間だ、行こう」
「......」
不機嫌を隠さないエリカは手に持った水筒を乱暴にリュックに押し込める。
二人が黒柱の根本にたどり着く頃には、雲が昇りきって洞窟が大きな口を開けていた。
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