第22話

 西洋史を専門とするヒサエは現地人への聞き取りから市民の経済状況を推察したことに続き、生物学者のアガタが立ち上がる。

「皆さまも食事で気づいているでしょうが、この国には米も小麦も、芋もありません。今日の昼もここの料理を頂きましたが、同様でした」

 昨日の食事会でヒサエとともに米が欲しいと嘆いていたことをジュンは思い出す。味付けは濃いのだが、肝心の主食がないのが辛かった。

「炭水化物を摂取しない。そして食事の頻度も日に1度で済む。これだけ聞くと、この世界の人間は非常に燃費が良く思える」

「エネルギー効率が良いわけではないと?」

「解剖すれば消化器の発達に違いはあるかもしれませんが、もっと根本的な部分で違いがあります」

 アガタは鞄から資料を取り出して見せる。何やら数字が羅列されたそれは、長期的に何かを記録したデータのようだ。

「魔法省の第三研究棟では複数種類の魔物を保有しており、その生態を調べているようです。ぜひとも生のデータを見せてほしいと言うと喜んで翻訳してくれました」

「いったい何のデータなのですか?」

「魔物の接種魔素量、漏洩魔素量、そして保有している魔素量の観測データです」

 ジュンはここまで話されて、何を言いたいのか大方予想がついた。

「この世界の人間は皆が仙人みたいなものだと?」

「察しがいいですね、ジュン君」

 横ではコウセイがまだ疑問符を浮かべながら、まじまじと提示された観測データを読んでいる。

「一体、何が......?あれ......?これって魔物に何かやらせたりしたデータなのですか?」

「いいえ、コウセイさん。むしろ魔物はただ飼育ゲージに入れられて、魔素を含んだ水と塩など最低限の食事を与えられているだけなのです」

「コウセイさん、データから何か読めましたか?」

 少し離れた席に座っていたヒサエは何が分かったのか解説を求める。

「コウセイ君、当てようか」

 ジュンは立ち上がってコウセイの下へ歩く。

「接種魔素量から漏洩魔素量を引いた値よりも、随分と保有魔素量は少ないんじゃないですか?」

「ジュンさんの言う通りです」

「この世界の生物、少なくとも魔物は魔素を消費して生命活動を行っています」

 アガタは資料から読み取れた結論を述べる。

「そしておそらく、人間もそうなのでしょう。魔素からエネルギーを得ることで炭水化物を消化吸収する必要がない。大気からも、水からもエネルギーを得ることが出来る生物です」

「ATPだのなんだのと、生物学的なお話は分かりませんが」

 ジュンは前置きをして、自身の感覚を話す。

「私はアリアに教わり、少しだけ魔素を感じ取ることが出来量になりました。体内の魔素は、平時には全身へ均等になるよう分布していようです。一方で今日、観測塔を登った際には下半身や腰に多く集中していました」

 高濃度の魔素を含む水が、高低差のある移動でどの程度魔素を消耗するのかを確かめるために塔に昇ったジュンだった。しかし、自身の持つ魔素も同様に減るはずだろうと考えて体内の魔素へも意識を割いていた。 

 その結果、階段を登り、筋肉に乳酸がたまるように魔素も稼働量の多い筋肉に集中してくことを見つけた。

「私はまだ魔素の操作まではできません。よく動かすからと、意図的に魔素を移動させたわけではなく、自然とそのように分布が変化しました」

 ジュンの説明を聞いてアガタが目を丸くしてみている。

「つまり、この世界の生物の機能ではないと?体内に含まれた魔素がエネルギーの消費する部位に集まる性質を持っている。そしてその環境に身を置いていたため、そもそもエネルギーを摂取する必要がなかったということですか」

 アガタは最初、この世界の生物だけが魔素に適応しエネルギーへ変換することができると考えていた。だが実際はどのような生物であっても、魔素を取り込むことで自身の生命活動に利用できるということに驚きを隠せないでいる。

「この世界に居ればだれでも仙人ですよ、アガタさん」

「入れ歯になっても安心な世界ですなぁ」

 驚きにより脳が活性化したのか、暴走したのか真面目な空気でも冗談が出てくる。


「ヒサエさんのおっしゃった、経済活動への影響も小さくありません。この世界では必須ミネラルやビタミンを除けば飲食物は嗜好品だらけになります。もとから市場規模が小さいのですよ」

「納得です。もとはジュン君の言う仙人のような生活をしていた市民が、国家が安定し侵略の不安のない中、文化が発展していった。生活必需品よりも嗜好品が経済の主流であるならば、嗜好品を求める人間の間でしかお金は流れない。そんな世界を知らなかった人間たちも、見聞で知ることになれば欲がでてくる。結果としてマグナスに人が集まるわけか」

「この国の歴史書でも読めば、飢饉の有無も分かるでしょう」

「国交が樹立された暁には、大学へ交換留学させてもらいたいですね」

 今回の使節団の目的を考えれば、そこまで調べさせてもらう余裕はないだろう。そう考えて口にしたヒサエの言葉に対して今度はコウセイが指摘を入れる。

「ルナダリアにおいて研究という業務はすべて魔術省が担っているようです。歴史に関しては政務省が保管していると聞きました。そして、残念ながら大学という仕組みはこの国にないようです」

 地球で最初の大学はイタリアのボローニャ大学と言われている。17世紀には学生と教師による活動が行われていた。ルナダリアの国家体制はヒサエが17世紀相当だと推定していたが、国家成長の過程に応じたねじれが生じている。

 

「アリアさんに道中の馬車で伺いました。ルナダリアは国外からも優秀な人材を雇っていると。重要なのは魔法相ではそのような人物を集め研究をさせているにもかかわらず、研究の発展は芳しくないそうです。研究に携わる皆さんは原因がお分かりでしょうか」

 コウセイがマグナスに着いてからも、その疑問を解決すべく国の教育体制について聞いてみた。アリアの言う通り、初学者向けの学校に相当するものはあるようだが、学ぼうとする人間は決して多くないようだ。

「大学がないということは、前例が少ないということです」

 アガタは自分の中でおおよその答えが出ているのであろう、自信のある口調で答える。

「この国は長く停滞してきました。初代ルナダリア1世により建国され、土地を侵されることはなく、おそらく敵国と呼ばれる存在も多くはなかったのでしょう。その結果、発展はゆっくりとものだったはずです」

「外敵が少なく、土地が侵されなかったという意味では日本もそう変わりません。どこに違いが?」

「産業革命」

 コウセイの質問にはヒサエが答えた。まさしく彼女の専門分野であろう。

「人類のエネルギー利用に大きな変化が起こった。日本はその外的要因に促されるように、開国後は経済発展を遂げていった。開国前の成長速度はそこまで劇的ではないでしょう」


「魔素が、魔術があったから技術的進歩は必要なかった。、産業においても魔術を用いたものづくりが基本であった。彼らの考えるものは基本的に加工可能であり、苦悩がない」

「そんな環境で、だれが、何を学ぶ必要を感じるのかということですか。アリアさんは学問によって魔術を使用できる種類に幅を持たせることが出来ると言っていましたが......」

「知らぬものを魔術で生み出すことはできないでしょう。また魔法省で確認したことですが、魔術で生成したものはその維持にも魔素を要求されます。なので魔術による加工が産業の基盤となるのです」

「それなら、勤め先の人間に教わる方が仕事も覚えられて一石二鳥ということですか」

 アガタ、ヒサエ、コウセイの三人がなぜ大学が設立されていないかという疑問へ答えを出す間、ジュンは喋らず、何やら思索にふけていた。

 

「ルナダリアにも産業革命に似た衝撃をもたらせば、文化に大きな変化が生まれるのでは?」

「石油を使った技術がルナダリアにも伝われば、ものづくりに幅が生まれるのは間違いありません。加えて宇宙開発等の知識を見せてやれば、我々を見る目も変わるかもしれませんねぇ」

「実はもともと、技術提供をする目玉として人工衛星を上げていたのです」

 日本の技術を伝えれば交渉はうまく行くのではないか、そう考えるヒサエとアガタに対してコウセイは日本で練られていた計画を話す。

「気象予報や電話、ネットといった通信技術はルナダリアでもまだ見ていません。なので、このまま交渉に赴くのでしたら、そういった技術提供を全面に押し出す形となります。」

「それじゃあだめだ」

 コウセイの説明に大臣が口をはさむ。

「相手はひどくこちらを見下している。現地ですぐに機能を見せるものでなければ、インパクトを与えきれない。人工衛星なんて物を運んで打ち上げるまでどれほどかかるというんだ。ヒサエ君の言う衝撃という言葉には到底足りない」

 交渉のためには、良い技術であることを前提として相手に見せる手段が重要である。銃もバイクも、ドローンもルナダリアにおいては魔術による再現は用意であろう。

「相手が目を見張るものを突き付け、交渉の席に正しく座らせる必要がある。みなさんの意見が必要なのです」


 大臣の言葉をうけ、何を見せればよいのか地球の技術をあれでもない、ヒサエやアガタ以外の研究者も、あれでもないこれでもないと意見を交わす。

「ジュン君は、何かいいアイデアはあるかい?ぼかぁ正直、一度帰って準備のやり直しも考えたいよ。それならラジオの一つや二つ作ることぐらい簡単だろう?そうか、隊員さんらの無線機とか――」

どうだろう、とアガタが口にするのを遮って長く無言だったジュンが口を開く。

「大臣、向けるべきは地球の技術ではなくルナダリアの方かもしれません」

「今日一日ずっとルナダリアを見てきたじゃないか。これ以上調べる時間はないよ」

「一晩で調べてください。仮説ですが、もし私の考えが正しければ、ルナダリアは交渉どころじゃないかもしれまんせんよ」

「なに?」

「肝となるのは、さんざん口にしてきた”エネルギー”です」

 魔素や魔術があるのになぜ?とその場にいる全員が頭に疑問符を浮かべる。ジュンはリアクションを気に留めず、これまでルナダリアで得てきた知見を基に立てた仮説を述べた。

 

 

 

 

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