第19話

 翌朝、ジュンは頭痛と吐き気を感じながらモゾモゾと起き上がる。ベッドの脇に置かれた水差しを手に掴むと、コップに注がず喉へ直接流し込む。

「あらま、ジュンさん。お下品ですよ」

 先に起きていた同室のサトルが茶化す。

「あの程度のアルコールじゃ酔わないと思ってたんだけどね。飲み慣れないものだったせいか、随分とひどい二日酔いだ」

 喉が潤ったジュンは再び枕に顔をうずめる。言葉にならない声を上げながら、頭痛に悶えるジュンを見てサトルはゴソゴソと鞄をあさりだした。

「はいこれ、痛み止めです」

 一錠の薬を手渡されながら、再びゆっくり起き上がる。薬を一瞥した後、目を閉じたまま水差しに手を伸ばして掴む。喉を鳴らしながら嚥下し、ついに水を飲みほした。

「ほんっと、どんだけ飲んだんですか。それに、目をつむったまま良くつかめますね」

「2,3杯だよ。他の人もこうなっていないと良いけれど。」

 ようやく立ち上がったジュンは、それでも頭の痛みを抑えるためコメカミを押さえる。

「それから、昔から空間把握は得意でね。登山でも方角を見失ったことはないよ。」

 ジュンは目をつむったまま器用に着替えを始める。

「便利ですね、それ。訓練で方位磁針と地図で自分の位置を特定することはやりましたけど、方角を把握したままってのは聞いたことないですよ」

「やって見せようじゃないか、ほら北はあっちだ」

 まさかと思いサトルはポケットから方位磁針を取り出す。ジュンの指さす方向はピタリと、針の向く方向と同じであった。

「馬車に乗っている間はアガタ先生と一緒だったから、ずっと周りを観察しながら談笑してたんだ。植生と太陽は切って話せないだろう?ず~っと方角を気にしながら移動してきたから、帰り道で迷子にならないですむぞ」

「本格的に交渉決裂で、国外追放だとかにならなきゃ案内は付けてもらえるでしょう?縁起でもないこといわないでくださいよ」

「悪かったよ。話しているうちに、薬が効いてきたみたいだ。頭痛もだいぶ良くなった。」

 目を開けたジュンは窓の外を見やる。

「朝飯くったら魔法省だな」

 ここが本番だとばかりに、ジュンは目を輝かせる。年下のサトルから見ても、遠足を前にした少年そのものだった。

「二日酔いの少年っすね」

 ボソっとジュンに聞こえないように見たままの言葉を漏らすサトルだった。


 ジュン、アガタ、ヒサエをはじめとした研究者数名と護衛の隊員らはぞろぞろと廊下を歩く。継ぎ目のない石造りの廊下は、精緻に書き込まれた模様で飾られている。いわゆる龍や、ジュンが全くみたことのない生き物が人間と共に描かれた絵はルナダリアの歴史に関わるものだろうか。中には巨人か、大きなロボットに見えるよな絵まであった。

「ここがルナダリアの誇る魔法省第一研究棟になります」

 魔法省はいくつかの研究棟が連絡通路で結ばれていた。入口からいくつかの分岐を経て到着した第一研究棟の扉を開けると、これまでの廊下とは異なり質素なつくりであった。継ぎ目のない無機質な床や壁は、歩く人間の距離感を惑わせるほどだった。

「ようこそいらっしゃいましタ。異界からの客人の皆様。私は第一研究科の科長をしておりますパンタと申しマス。」

 パンタと名乗る男は太り気味の体系に真っ白なケープを身に着けており、食いしん坊がエプロンをしているようだというのが、ジュンの第一印象であった。そしてなぜか片言に翻訳されている。ルナダリア出身ではないからだろうか。アリアはいろいろな言語を聞き取っていたが、違いを感じてはいたということか。

「第一研究科では魔素の観測やコントロールを主題としております。道中の観測塔はご覧いただけましたカ?」

 一行の先頭を歩きながらパンタは説明を始める。

「都市全体の魔素濃度から、細かな区画ごとの魔素濃度まで、この施設で測り政務省へと伝える構造になっています。これにより魔素の過剰利用を防ぐことができマス」

「魔素は濃度が低くなると、濃度の高いところから流れたりしないのですか?」

 質問したのはヒサエだった。文系畑であろうと積極的に質問する姿勢は研究者として感心する。

「魔素にそういった性質はありまセン。魔素は生成された地点から基本的に動きまセン。そして移動させるためには魔素を消費しマス」

 魔素を動かすためには、魔素を消費する。ジュンにとってこれは違和感のある話であった。

「例えば、人間が食事によって体内に魔素を取り込んだとして、その人間が移動するとどうなります?」

「まず移動のために消費する分の魔素が体内から漏れ出しマス。その後、この漏洩魔素は消失しマス。消失するまでは時間差がありますガ、その魔素は”魔素の移動のために使われる”と方向づけられたものデス。再利用はできズ、消えるのを待つだけデス」

「じゃあ水平方向への移動と垂直方向への移動に魔素の消費量に差は?」

「存在しマス。魔素に質量はありまセン。そもそも物理的に触れることはできまセン。しかし、重力の拘束から抗おうとすレバ、その分だけ魔素を消費しマス。」

「どの程度消費するのですか?」

「魔素が多ければ多い程、移動に伴う漏洩魔素も増えマス」

「高いところから降ろしたときは?」

「魔素の消費量は少なくて済むでショウ。もちろん増えるなんてことはありませんガ」

 ジュンはたて続けに質問を続けた。質問の意図はただ一つ。魔術によって永久機関が成立するのかを確認するためだった。

「わかりました。話の腰を折ってしまい申し訳ありません。」

 少なくとも、魔素と重力の組み合わせで永久機関を作ることはできない。重力以外の力を使っての検証まで聞くのは今やるべきことでないだろう。

「構いまセン。世界は違えど研究を生業とする者同士ですカラ」

 パンタは人のよさそうな笑顔を作りジュンに向ける。

「では、実際に観測塔に行ってみましょうか」

 ジュンの積極的な姿勢に気をよくしたのか、もともとの計画であったのかは分からないが、一行は都市で一番高い観測塔へと案内されることになった。


 観測塔は第一研究棟へ連絡通路が設けられており、歩いての移動はそれほど時間がかからなかった。

「こちらが観測塔の内部になりマス。地階では観測データの処理が行われていマス」

 パンタが示す方にはマグナス全域の地図があった。地図には色が付けられており、雲量予報のように濃度の差がわかるようになっていた。

「ここが、我々の今いる塔になりマス。ここや、ここは区画ごとの測定に用いる観測塔がありマス。すべての観測データを統合し、より精度の高い濃度分布がこの地図に表記されているのデス」

 複数の観測点から得られたデータを参照できる地図はコンピュータのようにモニタに表示されることなく、厚い洋紙に直接描かれている。数分ごとに書き換えられる洋紙は現代人であるジュンらにとっても、不思議に見えるものだった。

「主題からそれるかもしれませんが、この地図はどのように?」

 肩にかけた鞄のベルトを握りながらアガタが手を小さくあげて質問した。

「魔術を継続的かつ人間の手をかけないで使用するニハ、魔道具と呼ばれる製品が必要です。第二研究棟で主に扱われておりますので、後ほどそちらに伺うとよいでショウ。私もある程度は存じていますが、説明に間違いがあってはいけませんカラネ」

 納得顔のアガタはうんうんと頷いている。

「この塔は登ることができますか?」

 質問を受けて驚いたような表情を見せるパンタ。

「階段で登るのは構いませんが、上を確認する必要がおありデ?」

「せっかくだから、少し実験をしたいんです。」

 ジュンはアガタに頼んで二つの瓶を出してもらう。

「同じ地点で採取した植物だ。同程度の魔素が含まれている。これの一方をもって登り、降りてきてから測定をして比較したい。測定はお得意でございましょう?」

「はっはっは。それでしたら容易いですトモ」

 しかし、得意気に取り出された植物は萎れており、よく見ると虫食いのように小さな穴がいくつか空いている。

「おや、魔素化が進んでいるようデスネ」

「魔素化?」

「死亡した生物は分解され、魔素に還りマス。その植物の穴が開いた箇所がそうデスネ」

「なるほど。じゃあこれを持っていくのは辞めようか。アガタさん、そのまま観察したいだろうし」

 それでしたらと言ってパンタが近くの水の入った小瓶をジュンに渡す。

「実験に使う高濃度の魔素を含んだ水デス。これをお持ちになる方がよいでショウ」

 加えて、近くの棚から抱えるサイズの箱を取り出した。

「これが測定装置デス。中にその瓶を入れていただければ魔素を測れマス」

 ジュンは言われたまま、アガタから受け取ったねじ口の丸瓶を中に入れてみる。箱には小型の洋紙が入っていたのか、結果が記述されて出てくる。しかし、言葉の加護では、会話はできても文字は読めない。

「読み上げていただいても?」

「構いませんトモ。180ダリア毎立方メートル、デス。ちなみに、今ここの大気にある魔素が7か8ほどショウ」

 翻訳によって、日本に存在しない単位と存在する単位が混在する。メートルの部分はルナダリアの単位から変換されるときに値も換算されているのだろうか。細かく検証したいとも思うが、今回は相対的な差異が示せればよい。

「単位はどのように決定を?」

「今のは、体積あたりに含まれる魔素の量デス。1ダリアによって水が10ミリリットルほど生成できマス」

 ほどというのは、おそらくルナダリアにおける体積の単位で10ミリリットルに近い単位が存在するのだろう。翻訳によって固有の単位が使われずミリリットルが採用された結果、1ダリアの変換にキリが良くない。まっとうに国交を結んだのなら、単位変換表が必要だなと思いながら、計算する。数秒もせず出た答えが、瓶に含まれる一株の草が1.7リットルの水を生成できることを示し驚く。

「やっぱとんでもないエネルギー源だよなこれ」

「移動による魔素漏洩は魔素が多いほど大きくなりマス。その小瓶なら測定可能でショウ」

 どんなものかと思い計測してみると、パンタ曰く10ギガダリアだそうだ。純粋なエネルギーに転換すればこれ1つで国が亡ぶのではないだろうか。

「わかりました。では行ってきます」

 草の入った瓶と借りた水入りの小瓶をポケットにしまい、ジュンは150mはあろうかという塔の階段を登り始める。


 ジュンがスタートした後、待ちぼうけを食らった一行はパンタから追加の説明を受ける。

「実は垂直方向も測定しているんデスヨ」

 そういって提示されたのは塔の縦断面が記された図。高濃度の魔素を持ち歩くジュンははっきりと移動する点として映っていた。

「ご覧の通り登って降りるには時間がかかるでしょうカラ、別の部屋を案内しまショウ」

 それからパンタは一行を実験施設へと案内した。


 

 

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