第15話

 大扉が開くと役人とみられる人物が数人待ち構えていた。アリアがうち一人と会話をしている。ジュンたちは言葉の加護を受けていないため、具体的にどのような言葉が交わされたのか分からなかった。

「皆さん。市長が会ってくれるようです。新田シンイチ大臣、よろしくお願いしますね」

 うむ、とうなずく大臣を先頭として、一行は市長の待つ建物へと案内される。役人らに通行証のような物を渡され、首から下げるようジェスチャーされる。加えて何やら説明をしてくれているようだが、どうにも要領を得ない。

「アリア、翻訳の魔術を皆にかけることはできないか?」

「ごめんなさい。それには一人一つの魔結晶を使うことになるの。自衛隊の皆さんが集めたものでは足りないわ。市長に小さい魔結晶を譲ってくれるようお願いするから、それまで待って」

 完全な異国の地にて、言葉が通じない不安は何ともいいがたい。文化も分からず何が失礼に当たるのか、外交のための使節団という立場もあり、ジュンは積極的なコミュニケーションをとれずにいた。案内されるままに馬車へ乗るも、沈黙が続き気まずい空気になる。


「アイムサトル!ワッチュアネーム?」

 皆が言葉の壁を感じ委縮している中、サトル君だけが元気に会話をしていた。もちろん英語が伝わるわけもないのだが、サトル、サトルと名前を連呼しながらジェスチャーをすることで相手の名前を知ることができたようだった。ジュンは彼の物怖じしない気質を好ましく思った。言葉が伝わらないのはお互い様なのだし、気にしすぎていただろうか。

 役人らに先導される道中で、ジュンはアリアが教えてくれていた軒先に下がる魔結晶を指さし、あれは何だと聞いてみた。対応してくれた役人はなんとかジェスチャーで教えてくれたが、魔素を計測する装置だと説明するのは大変なようだった。いじわる過ぎたかと反省したとき、おなじみのジェスチャーが出てきてジュンは笑ってしまう。OKサインのように親指と人差し指をくっ付け、手のひらを上に向ける。マネーのサインだ。

「この国でも、お金はこれなのね」

 アリアの言っていた税金のことかなと思いながら、ジュンもマネーのサインを返して分かったよと伝えてやる。相手も少しは伝わったかと安堵しているように見える。


 街中は質素なつくりだった。コンクリート様の平な道のおかげで、サスペンションの無い馬車でも揺れが少ない。大きな商家が道の脇を占めるが、その裏に目をやるとこじんまりとした平屋の民家が多い。人の出入りが多い場所では街頭があるが、日本の通りにあるようなズラっと並ぶ様ではない。魔素の観測塔以外に目立つ建物やモニュメントもなく、本当に人々が生活するための街が広がっていた。

 あたりを観察しながら、ちぐはぐなコミュニケーションを試みて15分ほど経過しただろうか。一行の乗った馬車は市長の待つ建物に到着したようだ。大臣とアリアは別室に案内され、ジュン達は大きな客室へと通された。30人以上の集団を収められるほど大きい部屋は無いようで、半分ずつに分かれる。自衛隊らが半分、非戦闘員らも半分ずつだ。ジュンと同室になった顔見知りはサトル君とコウセイ君だった。

「コウセイ君としては、この出されたお茶をどうすべきだと思う?」

 一同がそれぞれソファーに座っている。給仕によって供されたカップに入った液体は地球の紅茶と同様の香りを放っている。

「外交員としては供された飲み物は飲むべきだろう」

 異世界に来てから移動を続けてきた。水や食料はすべて地球から持ち込んだものしか口にしていない。異世界の物を取り込むことに害はないのだろうか。皆が逡巡する中、一人の青年が声を上げる。

「はい!自分が飲みます!全員が飲む必要はないでしょう?」

 名乗りを上げたのはサトル君だった。彼の行動は勇敢というべきか、浅薄というべきか迷うところだが、確かに全員が飲む必要はないのだ。

「サトル、お前はまだ飲むな。皆さん、私を含めて隊員が数名飲みます。時間をおいて問題なければ皆さんも飲んでいただいて構いません。ですが、ここにいる人間の3分の1までとしておきましょう。要救助者の方が多くなるのは避けるべきです」

 やや歳を重ねた隊員がサトルを制止する。彼は数名の隊員を指名すると、1番にカップへ口をつけた。それにならい、指名された隊員らもお茶を飲む。

「副隊長?どうです?」

「香りや味に問題はない。地球のアールグレイに似ているぞ。この世界の人間も味覚は我々に近いようだ」

「体に異常は?」

 そうじゃない、とばかりにサトルは食い気味に質問を投げかける。

「飲んですぐ異変を感じるような薬はこういった場では使わんだろう?可能なら全員に飲ませたいだろうからな」

「おっしゃる通りで......」

 副隊長にたしなめられ少ししょんぼりしたサトル君だったが、自分の代わりに毒見に名乗り出た副隊長が健在とみるやその表情は喜色を示していた。


「ジュンさんは?飲まないんですか?」

 毒見後に30分ほど経過し、ほかの人間たちもお茶に口をつけ始める。やや冷めたお茶であったが、皆が異世界の飲み物へ関心が強いようだった。

「飲まないよ。俺はほら、アリアに魔術を少し教わっていただろ?まったく使える気配はないんだが、魔素を感じ取ることは少しだけできるようになったんだ。」

「それは!すごいっすね!」

「ありがとう」

 従来、地球人に存在しない魔素を感じ取る能力。アリアは特殊な魔素を扱う器官が人体にあるとは言わなかった。そして地球人のジュンに魔術を扱う方法を教え、練習によってジュンは少しだけ魔素への順応を示す。地球人の誰もが魔術を扱う素養があるということ、かもしれない。

「本当に感じるだけ。アリアみたいに操作はできない。濃いか薄いかも分からない。副隊長さんや隊員の皆さんに毒見してもらって、そのあとで言うのは気が引けたんだけれども......」

「えっと......もしかして?」

「この世界のお茶には魔素が含まれている。だけど当然だよ。外の植物は魔素を蓄えているんだから」

「みんな魔素を口にして生きてるってことっすか?」

「そうなる。だけど、慣れなくてね。こう、なんとういうか、お茶に目に見えるホコリが入っていたら口にするのは躊躇うだろう?」

 ジュンとサトルの会話を聞いて、すでに口をつけた人間の表情は引きつっている。

「もっと早く言えって思うかもしれないけれど、おそらくこの世界の飲食物にはすべて魔素が含まれている。この建物の建材や、みんなが座っているソファーもだ」

「この世界で生きていれば、口にするのは避けられないということだな」

 副隊長の確認にジュンは首肯する。

「私には感じ取れないですが、空気にも含まれているんだと思います。だから外の軒先にある魔結晶による魔素濃度計測なんてことをして、魔素が薄くなり過ぎないように気を付けているのかと」

「呼吸によって全員が体内に魔素を取り込んでいるのならば、お茶を口にするしないの話ではないな」

 副隊長はジュンの話を頭の中で咀嚼しながら周囲を見渡す。中には飲む前に教えようとしなかったジュンへ怒りの視線を向けるものがいた。

「理解した。だが、次はもう少し早く教えてくれ。口にしようと、しなかろうと魔素の取り込みという点で変わりはないのだろうが、知る知らないの話は別だ」

「失礼しました。以後気を付けます」

 謝罪をするジュンの表情はケロっとしたもので、副隊長はそれを見ながら確信犯だなと結論づける。他人に毒見させるだけでなく、魔素を取り込ませる実験をさせたのだ。その後、空気にも魔素が含まれると明示することによって、飲んでいない人間にも魔素を取り込んだと認識させる対照実験。実際に取り込んでいるのだから、厳密な実験設計ではないのだが。これを平然とやってのけるジュンを副隊長は危険な人物だと心の中で評した。


 それから少し経過し、客間の扉が開きアリアとシンイチ大臣が入ってくる。

「ルナダリア王国の首都マグナスへの移動を手伝っていただけることになりました」

 視線を向ける一同にアリアは市長が地球人を受け入れる判断をしたと、朗報を伝えた。


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