第13話

 門に触れたジン隊長を包み込むように黒い影がゆがむ。門を構成する粒子が皮膚を走る感覚にジン隊長は顔をゆがめていたが、その表情までもが覆いつくされる。隙間なく黒い粒子がジン隊長の輪郭をかたどると、次第にその形が崩れ始め門の形に戻っていく。完全に門の形が戻り、ジン隊長の姿が消えた空間を一同が固唾を飲んで見つめている。

 緊張の張りつめた空間は、全員の呼吸と自身の心臓の音だけが耳を刺激する。ジュンは心の中で時間を数えた。目の前の門は人間にどのような作用をもたらすのか、魔術を扱えるアリアと地球人は同じようにテレポートできるのか、彼我の時間は同じように流れているのか。様々な不安と懸念とともに数えた時間は120秒。そこで門が再び歪む。粒子によりできた壁面が隆起し少しずつ人間の姿を形成する。粒子でできた人間が門から1人生まれると、今度は崩れ落ちるように粒子が集団で作っていた形を失う。黒いヒトガタから迷彩服が少しずつ露わになるにつれ、一同の表情は明るくなる。手足、胴、最後にはその顔が明らかになるとドッっと歓声が上がる。


 「時計を合わせだ。見せてくれ」

 周りの緊張は知らないとばかりに、ジン隊長は職務に従事する。隊員らとは作戦前、つまりコロニーを出発する段階で時計を合わせているはずであり、ここでの時計を合わせるとは時間のズレを確認するという意味だ。

「11:36です、隊長」

「秒針もだ」

「41,42,43」

 ここで時間のズレが生じていた場合、我々の任務にも大きな影響がある。特に隊長の時計が隊員らのものより進んでいた場合は、ルナダリアでの滞在時間が地球における数倍に相当すること可能性すらある。この使節団における第一目標である雲の制御術は、現地で開発してもらう必要があり、その開発とは1日や2日で終わるとは限らない。数年を要するとすれば、人類はそれだけの期間を極寒の地球で耐えねばならない。

「時間のズレはなし。作戦は予定通り決行する。第二、第三班は先行して陣地を確保。残りは非戦闘員が移動を終えてからだ」

 門を前にして、問答をしている時間はなかった。今この瞬間にも再び魔物が襲ってくる可能性があり、門を使用した移動中はその対処に大きく制限がかかる。何より門の性能が不明瞭であることから、移動は原則一人ずつ行うため時間がかかるのだ。

「もたもたしている時間はない。すぐに移動開始だ」


 隊員らが荷物を載せたバイクとともに門に触れる。黒い粒子はバイクごと覆い隠し、彼らを次々に異界へと送り出していった。

「新田大臣、どうぞ」

 ジン隊長の案内とともに非戦闘員も移動を始める。シンイチ外務大臣は恐るおそる門に触れたが、一度粒子に触れることで不安が払しょくされたのか身体の半分が覆われるころには毅然とした表情を見せていた。

「現代においてアポなしどころか入国審査も受けずに国外で仕事するとは思わなかったよ」

 シンイチ外務大臣のセリフを聞いて、ジュンは1つの疑問を抱く。アリアは国から女騎士という位をもらい、たしかな証人として我々を紹介してくれるだろう。とはいえ不法入国の武装集団が訪ねてきた場合の対応というのは、どの国でも似たようなものではないか。ふと沸いてきた不安に対してジュンはどのような交渉を大臣らが行うのか考えていたが、すぐに自身の順番が来てしまう。

 触れた粒子は初めて雲が昇るときに触れた時と異なり、弾かれるような感触はなかった。むしろ引き込まれるような感覚とともに、どんどん身体が包み込まれていく。

 この粒子は雲を構成するものと同じだとすれば、魔素を多分に含んでいるんだよな。魔術に素養があれば魔結晶と同様に操作が自在になるか?どこにでもこの門をつなげることができれば?ジュンはついさっきまで考えていた不安はそっちのけで、好奇心の向くままに思考を更新するのだった。


 *


「門を抜けるととそこは異世界だった」

 ジュンは原文と違いまったく情景の浮かばない言葉を吐く。

「誰でも思い浮いつくセリフですね」

 先に待っていたヒサエにセンスの無さを指摘され、やや赤面する。ジュンは改めて周りを見回すと広い空間を持った洞窟だった。高さは5m以上あり、大人数が入れるだけの広さもあるが深くはない、ジュンの立っている位置からも出口が見えていた。

「外はもう見ました?」

 ヒサエに問うと、首を横にふる。

「これから洞窟を抜けた景色を見るところだよ、ヤスナリ君」

「勘弁してください......」

 追い打ちを受けながらヒサエとともに出口に向かう。差し込む強い光を前にして一歩進むごとに心が躍る。ヒサエの顔を伺うと、年上と思しき女性は少女のような爛漫の笑顔を浮かべている。だんだんと歩くスピードが速くなり、ついに二人は走りだしていた。


 強い日差しに眼が眩むのをお構いなしに、洞窟を抜けた二人は天を仰ぐ。全身に陽光を浴び、その温もりを肌で感じ取る。鼻腔を日光の恩恵を受けた自然が放つ香りに刺激される。視線を下げるとそこには、白銀に染められた地球で忘れかけていた圧倒されるような緑の大地がそこに広がっていた。

 山の壁面に形成された洞窟はその周囲が少し開けた空間を持っていた。先行していただろう隊員たちも一同揃って日光を浴びながら、昼食の準備を始めている。アリアの助言を受け、周囲を警戒しながらも3年ぶりの太陽に皆が舞い上がっていた。

「皆さん!」

 シンイチ外務大臣が口を開く。何事だと準備していた隊員らが顔を向ける。ジュンが後方を見ると後続の隊員らはジン隊長とともに到着していた。

「取り戻しましょう!太陽を!地球に残る数十億の人々のもとへ!」

 肺腑の空気をいっぱいの力で吐き出しながら、右腕を突き上げる。

 おう!

 皆が外務大臣に倣い右手を天に向け高く上げる。

「私は自身に託された大任を改めて認識した。ルナダリアとの交渉により、必ずや雲を晴らそう」

 おう!

 再び右腕が突き上げられる。皆が昂ぶり、シンイチ外務大臣への期待を大いに示す。シンイチ外務大臣は笑顔で彼らに締めくくりの言葉を向ける。

「そのために!まずは飯だ。腹が減っては戦はできぬ。お天道様の下で、みんなで食べようじゃないか」

 今度は皆が笑いながら、各々の形で応と答えた。


 *


「アリア、この後はどうするんだ?バイクで走れる道があればいいんだが」

「元々の森なら、あの乗り物は使い物にならないでしょうね。だけど、ここ最近はこの森で大々的な狩りをしているの。」

「人が通った跡があればそこから帰れるってことか」

 ジュンはアリアがなぜ遭難に至ったのか疑問に思う。魔術が扱えて、周辺の地理に明るいのであれば遭難することもなかったはずだ。

「人が通った跡じゃない。アモルファスと呼ばれる魔物が通った跡よ。」

「アモルファス?」

 結晶と異なり規則的な原子配列をもたない固体。そうジュンは記憶していた。なぜアリアの口からでた固有名詞がそのような用語になったのだろうか。

「硬くて柔らかいもの。無形の魔物。スライム。どれが伝わりやすい?」

「その中ならスライムが一番わかるよ。ただ、スライムと訳さなかった以上は細部が違うってことだな」

「森を覆い被さるほど大きいの。こちらが攻撃しても硬化して耐える。移動が不自由かと言えば柔軟に身体を変形させて、民家のタンスにまで入ってくる。そんな魔物が成長を繰り返して大きくなったのが、この森にいたのよ」

 ジュンはその説明を聞いて合点がいった。

「なるほど、それに追われて逃げた洞窟がここってわけね」

「そういうこと。アモルファスは危険な魔物だけれど、魔術を込めた大きな槍を使って急速冷却することで、動きを封じればほとんど無力化できる。だけど今回の対象はでかすぎて、全身を一度に凍結させられなかった。バラバラに散ったうち漏らしを追っているうちに、逆に追い詰められちゃったの」

 ジュンはかがんで足元に生える草を見る。周囲に生える背の低いシダ様の植物と同種のそれは、生えて間もないように思えた。

「そのアモルファスが、このあたりの植物まで食べてしまったのか?」

「そう。小さいうちは避けて通るものも、サイズが大きくなると食べながら進んでいく。放っておくと森が1つ消えてしまうような魔物」

 屈んで植物を観ている姿を発見され、一人の男が寄ってくる。

「ジュン君、ここらの植生は面白いね。地球におけるシダ植物に見た目は似ている。しかし、胞子を出す気配がない。近くに花を咲かせるものはおろか、種子を残している様子も、胞子を出す様子も観てとれないんだ。これらの植物たちはどうやって増えているんだろうね?」

 ユピテルの妻ユノのような呼び名でジュンを呼ぶこの生物学者はまさしくフィールドワークに出た学者の振る舞いを見せる。

「アガタ先生の視点に現地人の既存知識が加わることによる思考の狭窄化を防ぐため、あまりアドバイスはしない約束でしたが」

 アリアが何やら話し出した。この生物学者の男はアガタというらしい。度重なる野外での活動でシミのできた肌と深い皺、そして白髪から50は超えていそうに見える。

「この世界には魔素があります。人間も、魔物も、ほかの生物においても大なり小なり魔素の影響を受けた生態になります」

 なるほどと大げさにリアクションするアガタ氏は実に活き活きとして楽しそうだった。魔素の影響とは生殖にまで影響するのだろうか。世界を曖昧とする要素。行使するものによって、魔素を方向づけることで科学の奉じる普遍性を捻じ曲げる魔術。種として魔素を同じ方向に用いた時、種の性質を大きく決定づける要因になるのだろうが、ジュンにはどれほどの影響力がそこにあるのか想像できずにいた。


 「出発の時間だ」

 休憩を十分に取り、ジン隊長が一行に号令を飛ばす。雲を取り戻すため、アリアの故郷であるルナダリアの首都に向けて。アモルファスの残した轍の上をバイクが走り出した。

 

 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る