第10話

 洞窟に足を踏み入れた一行は、緊張からか言葉少なに、ただ黙々と奥へと進んでいった。一部、土でできた地面や壁を掘って瓶に詰めている生物学者もいたが、彼は異世界よりも道中の生態系にこそ旅の目的があるのだろう。

「洞窟の構造物から微生物は確認されなかったそうですよ」

 コウセイのそんな一言を受け、彼はしょんぼりしながらも土を詰めた瓶1つだけは鞄にしまっていた。自身で確認したくなるのは研究職の性だろう。ジュンもそれが無駄とは思わなかった。


 ジュンがその様子を笑っていると、前方からアリアが歩くペースを緩めて近づいてくる。

「いよいよだな」

「あんまり緊張してないみたいね」

 アリアは隊員と同じ軍服を着こんでいる。銃火器といった装備こそないが、大きいリュックを背負いながらも姿勢が崩れない凛とした姿は、彼女の世界で受けた教育の賜物だろうか。

「ほどよく緊張はしてるよ。数年前はよく山登りをしていて、その登る直前と同じ心境だ」

「まったく共感できないんだけれど......」

「怖いの半分、楽しみ半分。苦しい道のりになる覚悟はOKってこと」

 なるほどねぇと言いながら、アリアはポケットから1つの魔結晶を取り出した。


「隊員さんの一人が、準備期間にいくつか結晶を集めてくれていたの。私が知る限りの魔物知識を伝えて、彼らの装備で対応できるかの試験も兼ねてね」

 ジュンは数cm大の小さな結晶を手に取る。魔術に使用した魔結晶はその分だけ色が透明に近くなる。ほとんど光を透過せず、自身が胸に付けたライトを反射するだけど結晶を見るに未使用品だろう。

「前に言った魔術、試してみない?」

 三日前、ジュンはエリカの研究室でアリアと会っていた。そこで道中に遭遇しそうな魔物の共有、異世界に到着してからの行程などを共有した。また、アリアがどのような魔術を扱えるのかを魔術の基礎理論とともにジュンに伝えていた。

「面白そうなことをしてるね」

 ヒサエが魔術という単語を聞いて関心を寄せてきた。

「私よりもヒサエさんの方が理解できやすいかもしれませんよ」

 なぜ?と疑問符を浮かべるヒサエにアリアが簡単な説明を始める。

「ジュンと認識をすり合わせた単語を使って説明させてもらいます。魔術は物質のイデアに干渉する技術です。物質の本質、もしくは観測者からの認識を変化させます。ここでいう観測者は我々人間であり、同時に世界です。魔素はこの認識を阻害し、曖昧にさせます。」

「その状態でこうあるべきものだと認識を改めると、本当にそうなっちゃうってこと?」

 その通りとアリアはうなずき肯定した。ジュンは人類の歴史の中にも似たような例があることを思い出した。例えば、日本の言霊信仰だ。言葉そのものに力が宿るとされるこの信仰は、言葉が物事の本質を変える力を持つと解釈することもできる。

 もちろん、科学的にはそのような現象は認められない。科学とは、世界の法則や物質の性質に普遍性があると仮定し、それらを解明していくものだ。そのため、ジュンは自分と魔術の間に大きな隔たりを感じていた。


「いわんとすることは分からなくもないけれど......。つまり言葉を操るように魔素を操る技術が魔術ということね?」

「ただ操るだけなら魔物でもできるらしい。ただそれを効率的に、複雑な操作をするため魔術という技術が確立されたそうだ」

 ジュンはヒサエの理解に自身の見解を加える。

「魔素を非常に効率的かつ純粋な燃料と認識すれば、燃やすことができる。だが、目の前で燃えるだけの炎を操ろうとすると別の工程を挟まなきゃならない。魔素を操り、つまり燃料ごと相手に飛ばすことは魔物でもできるが、魔素が尽きればその炎はすぐに消えてしまう。」

 ジュンの説明にヒサエは頷いて理解を示していた。そこに、アリアは得意な魔術を例に挙げて説明をしていく。

「例えばヒサエの左手に切り傷が付いたとして治療を魔術で行います。まず魔素で傷を覆い認識を阻害させます。その後は傷のある状態から、傷のない状態へと変化させていきます。」

「エネルギー準位のように、段階的に安定するらしいです。より健康なところに状態を変化させて、安定させる。十分に安定できたら魔素の覆いを外しても傷は治っている」

 アリアの魔術理論にジュンは科学の視点から解釈を加える。


「実際にジュンさんは試してみたのですか?」

「いいえ、試したくても魔結晶がなかったもので。これが初めてですよ」

「まずは魔結晶から魔素を移動させるんです」

 そういいながらアリアはジュンの握る魔結晶に手をかざす。結晶から色が抜け、次第に結晶を握る手が見えてくる。

「今は手の周りに魔素が集まっています。魔素の存在を感じとり、操作し、そして作用の方向性をつけることで望む現象を引き起こします」

 魔素はPC粒子とは違い目に見えない。何もなかった手の周りにはゆらゆらと景色をゆがめる陽炎が見える。

「こうやって炎ではなく、熱へ変換することもできます。」

 ジュンは魔結晶を持たない手を、アリアの手の周りに近づける。温かいと思った瞬間、すぐに耐えきれないほどの高温を感じた。


「アチッ!」

「一度方向が決まった魔素は連鎖して周囲の魔素の方向も決めてしまいます。コントロールが緩いと、こうやって熱量が高くなっちゃいます」

 茶目っ気のある表情をしながらアリアが説明を続ける。

「しっかりコントロールすれば、ジュンの言うエネルギー準位を戻して、魔素は作用を止め、魔素であり続けます。」

 次第に陽炎は収まり、熱は周囲に拡散する。

「ジュン、手を見せて」

 アリアは鞄の側面に設けられたファスナーを開ける。そこにはしっかり固定された、ボーリング玉ほどの大きさをした例の魔結晶があった。

「大丈夫だよ。気になるような火傷はしてないから、今はそれを温存すべきだ。」

 事前の準備でどれほどの結晶が用意できていようと、雲の操作にはどれほど必要になるか分からない。ジュンは手元の熱を発することに作用を定められた魔結晶を見つめる。

「実験もこれ1つにしておこう。今のところは魔素を操作する段階からできそうにないし。」

 やってみますかとヒサエに魔結晶を渡す。ヒサエはうんうん唸りながら魔結晶をこねくり回している。その色に変化がないと思えば、あっさり隣の生物学者に渡してしまった。


「ルナダリアではどうやって魔素の操作を教えるんだ?」

「残念ながらあまり教えないの。地球と違って大気に魔素があるから感性が違うのかも。風が吹いたり、雨の前に湿度が変わると分かるように、大気中の魔素が揺らぐのは分かるのよ」

 それでは地球人には魔術は扱えないではないか。そう思いながらも、一方で体系的な技術として成立しているはずの魔術がそこで終わっているはずがないとジュンは考えた。

「魔素が感じ取れなくとも、操作する道具なんかはあるんじゃないか?ボタン1つで中が冷える冷蔵庫みたいに」

「その通り。」

 アリアはどこで覚えたのかOKマークを作った手を振ってくる。

「魔術を自動で行使してくれる魔道具は存在する。だけど大気中の魔素では濃度が薄く、次第に魔道具が機能しない状態に安定しちゃうの。だから魔結晶を使って出力を確保するんだけれど、ジュンも知っている通り魔結晶は魔物の中から取り出されるもの。一部は魔結晶の鉱脈なんてのもあるけれど、採掘量は制限されてるから、流通量は多くない。だから長時間機能し続ける魔道具はお金持ちの道具よ」

「反対に短時間の機能っていうと、どんなものが?」

 常駐型の機能を有する魔道具は金持ちの道具。ということは、魔結晶を必要としない魔道具も存在しているはずだ。

「火種の魔道具。でも、このぐらいの魔術であればルナダリア国民のほとんどが使えるの。必要なのは子供に手伝わせるとか、傷病者で魔術が扱えないひとぐらい」

 国民がみな魔術を扱える。そう聞いたジュンは戦慄していた。アリア曰く、魔素の作用を方向づけるには訓練が必要で複雑になるほど難しい。しかし、魔素の操作だけではどうか彼らは大量の熱量を大気中から収集しうるのではないか。

「だから各国が大気中の魔素濃度を資源とみなしているの。大きな都市では複数個所で魔素濃度を計測して以上がないかモニタリングされているから、大規模な魔術を大気の魔素を使って行えばすぐに発見されちゃう。行使しようとした魔術の規模に応じて刑罰も設けられているわ」

 魔素の濃度が生活の利便性に直結する。国にとっては水のように欠かせない資源なのだろう。同時に、魔素濃度を管理することでテロ対策にもなる。ヒサエ氏に聞く分には地球の16世紀に相当する政治体制とのことだったが、相応の歴史はあるのだろう。使節団が運ぶ荷物以外に、地球の科学によって作られた道具は存在しない。魔術を扱えない我々はルナダリアという国からどのように映るのだろうか。


 思案するジュンの前を歩く隊員らが足を止める。ジン隊長は拳を握った左手を上げ、静止を促していた。

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