第9話
ジュンが感染対策の隔離から解放されて一週間後、ルナダリア王国へ向かう使節団が出発する。代表者を務める新田シンイチ外務大臣の名から新田使節団と名付けられた一行はジュンが発見した穴の近くまで来ていた。
「観測上、雲はここから半径1km程度の距離から発生します。もうすぐ日の出の時刻になりますので皆様はすぐに移動できる準備をしてください」
呼びかけているのはコウセイ、外務省の官僚である。すぐに隊長が号令を飛ばし、同行する自衛隊員40名は訓練された動きで荷物を背負いだす。その他には医療班や外務省の職員、研究者などが数名ずつ、皆がっちりとした体躯でジュンから見ても体力に自信のありそうな人員が集まっている。ジュンは荷物を背負いあげ、遊びがないようにしっかりとベルトを締めた。
隊員らは徒歩だけでなく、小型のバイクを押している。雪山でも、洞窟でも機能しない荷物であるがアリアの世界に到達したときに移動手段がないのでは不便だ。暖を取る燃料や食料の輸送にも必要となるのはわかるが、本当に持っていけるのだろうか。
「こいつは踏み固められた雪面なら走れるオフロード仕様です。洞窟の中はこれまで何度か調査しましたが、これが通れないほど狭い道はありませんでしたから、心配いりませんよ」
ジュンが訝しげに見ていたことに気づいた隊員が気を遣って話しかけてくる。20代前半ぐらいの若い隊員は遠足を前にした子供のように目を輝かせている。
「向こうに着くまで何に襲われるか分からないですから、エンジンをかけるわけにもいかないですが」
「こちらの疑問を口にするまでもなく答えてくれるとは、頼もしいですね。隊の方でも議論を重ねたのですか?」
青年は、はいっと大きく頷く。
「ずっと上のお偉いさん方が協議した結果です。陸海空が合同で協議したなんてちょっとした祭りでした。結果として陸の我々だけ出動していますが、一部装備の融通をつけてもらっています」
そんなこと話して良いのかと思いながらも、ジュンは青年の全身に目を向ける。雪原地帯の白い装備ではなく、茶の多い山岳装備に大柄な突撃銃を担いでいる姿はジュンの思う自衛隊の基本装備に見えて、さっぱり何が特別なのか分からなかった。
「素人が見ても分かりませんね」
ジュンはそういいながら笑うことかできなかった。
「ジュンと言います。PC研究分野の研究員として参加しています」
命を預ける相手に右手を差し出し握手を求める。
「五十嵐サトルです。」
ニカッとわらって握手に応じる。雪山に適応できるような手袋は厚手でありながらも、細かい作業ができるように作りがしっかりしていた。隊員は自身で細かい装備を購入すると聞いたが、これもそうだろうか。ジュンはそこでI.S.と書いたワンポイントの刺繍に気づいた。
「特別でしょう?」
動物のいない山の中、緊張した顔の多い集団の中で二つの笑い声が響いた。
ボンッ!!ゴゴゴゴゴ――。
地面がわずかに揺れ、大きな音とともに200m程度の距離で黒い柱が立つ。
「全員、あそこに移動します!自衛隊の皆さんが先行しますので、遅れずついてきてください!」
騒音に負けないようコウセイが声を張る。すぐに隊長がコウセイと比較にならない声量で総員進めと号令をかけ、山道から外れた雪面に道が作られる。さっきまで話していたサトルも隊列に入り先導してくれている。隊員の列の中にアリアの後ろ姿も見えた。どうやら隊列に組み込まれているらしい。守るためか、それとも逃がさぬためかは分からないが、手厚いことには変わりないだろう。
「頼もしいですな」
使節団の長である新田シンイチ外務大臣は、自分の前に道ができていく様をみてご満悦のようだった。
「全国から精鋭が集められ、今日に備えて様々な想定の訓練をしたそうですよ。」
答えるコウセイは実はジュンが今日に備えるための準備を手伝ってくれた人物だ。同時に、ジュンから魔物の情報を事細かく伺い自衛隊の装備や想定される状況などを伝えてくれていた。なんとも頼れる裏方である。
「幸いなことにすぐ近くに雲の発生源が出てくれました。雲は五分ほどかけて空に昇りますので、洞窟の口がふさがるまでには余裕があります」
「洞窟はどれほどの時間でふさがるんだ?」
研究員の一人が疑問をコウセイに投げかける。彼は確か生物が専門だったはずだ。
「雲が昇り切ってから十分ほどです。ですが、誰かが中にいる限りは閉じません。また雲が降りてくるときに洞窟にいるのは危険です。雲の粒子が大量に流れ、洞窟も閉じてしまいます」
彼の言を信じるのならば、誰かが実験をしたのだろう。随分と危険なことに名乗りを上げた人間もいたものだ。
「PC研究の有志にご協力いただいて調べました。危険は十分に説明したうえで、志願した方です」
先ほどのサトルといい、ジュンの表情は読み取りやすいのだろうか。こちらが質問するよりも先にコウセイから返答がくる。
「死ぬリスクって意味なら私たちも変わらないし、志願しているのも同じ。今はその功績に感謝しておきましょう」
一人の女性研究員は現状への感情は消化しきっているようだ。たしかこの人は......。
「私は史学が専門のヒサエ。人文科学は理系の皆さんとはちょっと畑が違うけれど、よろしくね」
よろしくと、コウセイや先ほどの生物学者と握手をしている。この生物学者は名前がどうにも思い出せない。
「あなたも、よろしく。第一発見者のジュンさん」
出された手を握るとかなり強めに握り返された。研究者のように国際的なコミュニケーションをする人間は握手に抵抗はないことが多いが、ここまでがっちりと握られるのは珍しい。
「日本の歴史が専門で?」
史学と言っても広い。国、時代、人種と多岐にわたる。
「西洋史が専門。ルナダリアの国政は十六、七世紀のイギリスに近いらしいからって声をかけられたの。相手を分析して、何を欲して、何を供出できるのか判断してほしいそうよ」
そういいながらコウセイにウィンクを飛ばす。コウセイも親しげにサムズアップで返す。ジュンは自身とコウセイが初対面からすぐに意気投合したのは仕事上の必要性と性格の一致から来たものだと思っていたが認識を改める。なるほどコウセイは外交向きの質らしい。
*
使節団一行が雲の発生ポイントまで到達すると、再びコウセイから注意事項が飛ぶ。
「雲が昇り切るまで近寄らないようにしてください!PC粒子は物理的な接触が可能であることが知られています!粒子の上昇スピードはかなり速く、接触によるケガの恐れがあります!」
皆、物珍しいように雲に注目していた。自衛隊員にいたっては度胸試しとばかりに触ろうとしている者がいたが、注意により慌てて下がった。
雲は触れる。水の粒子である通常の雲と同様に、PC粒子によって構成される雲も物理的な接触は可能である。これまで人類は様々な方法で雲を回収、もしくは霧散させようと試みた。しかし、そのいずれもが失敗に終わった。回収した雲は時間の経過とともに、どれだけ密封していてもその質量ごと消失する。またロケットによって霧散させたとしても、翌朝には再び昇る。何をやっても暖簾に腕押しだ。
「中ではアリアさんと自衛隊員の皆さんが先導します。また最後尾にも隊員が付きます。中では10km以上の深さがあることが確認されています。皆さんのうち戻る選択肢をとるのであればここが最後のチャンスになります。よろしいですね!」
隊員らが予備の装備や食料を入口の近くにデポし終えた頃。気がつけば雲の勢いが弱くなり、コウセイが声を張らずとも聞こえるようになっていた。雲の昇る轟音が消え、静かな雪山の空気に包まれながら、一同はぽっかりと空いた大穴を覗く。コウセイは一人ひとりの顔を見ながら、離脱を希望する人間がいないか確認する。
各々の覚悟が確認できたのか、コウセイは深呼吸の後に口を開く。
「それでは洞窟に入ります。以降はジン隊長およびアリアさんの指示に従ってください」
「「「はい」」」
緊張をかき消すためか、自身を奮い立たせるためか。全員のそれは大きな声が山にこだました。
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