第4話

 ジリジリと後ろに下がりながら観察を続ける。助かる手段をもとめて全身を見ていると、ふとヤギ頭の横長な瞳孔と目があった。


 思考を回転させヤギの全身を観察していると、ヤギ頭が笑った。

「BMEEO BMEEO」

 笑顔のまま毛むくじゃらの腕を伸ばし、手のひらをジュンに向ける。

「何するつもりだクソヤギ野郎。猿程度の知能はあるんだろ?」

 相対するジュンは手のひらとヤギの双眸をにらめつけながら腰を落とし攻撃に備えた。

「あぁクソ、右目が治ってやがる」

「BMEEO」


 ヤギ頭の声と同時に手のひらに赤い光が灯る。

「は?」

 光はどんどんと大きくなり、50cm程の炎の塊となった。

「嘘だろ?火を扱う生物が人間様以外に居てたまるかっての!」

 ヤギ頭は炎を構えながらゆっくりと歩き距離を詰める。

「火炎放射器みたいなもんか?」

 そう考えた瞬間、ジュンは走り出した。距離を取れば脅威は減るはずだ。ただし、一直線に距離を取るのではなく、扇状に動く。離れすぎてあの女性に攻撃されても困る。相手の様子を伺いながら逃げるしかない。

 ドンという小さな爆発音と共に、炎の塊から火球が飛び出してきた。ドン、ドンといくつもの火球を飛ばしてくる。


「何を飛ばしたらそんな挙動になるんだよ!」

 全速力でヤギ頭を中心に円を描くように走る。背後に着弾した火球はジリジリと音を立てて地面を燃やして消えた。

 継続して燃える焼夷弾のようなものではないらしい。燃焼という現象は燃料と酸素が必要だ。酸素はそこらにあるが、肝心の燃料が見当たらない。手元から地面に到達する過程で燃え尽きたのだろうか。

「まさか、あいつの手汗が燃えるとか言わないよな?」

 冗談めかして考えながら、警戒を緩めることなく走り続ける。


 ドンッ!

 ひときわ大きな音とともに、これまで手のひらに留まっていた炎がジュンに向かって飛んできた。それは今までの火球よりも倍ほど大きい

「だっ!?」

 間抜けな声を上げながら前に転がって避けようとする。炎が地面へ着弾すると共に背中に熱風をうける。衣類が燃えたか確認するよりも前にとにかく転がっていく。

 何度転がったかわからない。天地が定まらぬまま、脚に力をこめてなんとか起き上がる。バランスを崩して壁に手をつき、何とか身体を支えた。

 背中と首筋がヒリヒリと痛む。ジュンは痛みと脇腹にシャツが張り付く不快感に顔を歪める。右脚にいたっては感覚が心許なかった。


「□□□!?□□!?」

 気づけば逃げていた女性のすぐ近くまで移動してしまったようだ。せっかく体をはって逃がそうとしたのに、なんとも格好がつかない。

 再び二人が壁際に追い詰められる構図となってしまった。

「すまないが、できる限り時間を稼ぐから逃げてくれ。今の火傷で左肩も右脚もろくに動かない。」


 どうしたものかと考えていると、女性は手に黒い石を取り出した。いつ落としたのだろうか。ズボンのポケットに入れていはずの、あの石だ。

「□□□□。■■■。」

 女性が石を焼けたただれた右のふくらはぎに添えると青く光りはじめた。脚の感覚が戻り、痛みが走るが同時に力が入るようになる。次第に痛みもひきはじめ、見た目にも傷は分からなくなる。破れた生地の破片や焦げた皮膚、付着した土埃なんかはそのまま表面に残ったが、手で払えば綺麗な肌が見える。


「□□□□?」

 傷の治療に驚いている間に肩も治してくれたようだ。心配するような表情に動いてみせて治ったことを教える。女性の表情が明るくなったと同時に、ドスンと地響きがなった。

 先ほどまでこちらを火球で炙り、楽しそうにしていたヤギ頭は見るからに憤怒の表情を作っている。随分とお冠のようだった。


「BMEEEEEEEE!」

 叫ぶヤギ頭と対峙する。

「下がってろ!」

 女性に後ろを指さしながら立ち上がる。言葉が通じない相手だろうと、語気とジェスチャーで伝わる。背後で女性が走り出す音を聞きながら、ジュンはヤギ頭の挙動に集中する。


 ヤギの視界は横に広く、両目でほぼ360度近く見えているはずだ。一方で上下方向は左右よりも狭く、真正面以外は距離感も劣る。足元で攻撃をかわしたときや、炎弾が外れたのはあの眼が関連しているのは間違いない。

「これまでの動きから、模した生き物の性質を一部はそのまま引き継いでいるみたいだ。つまり、股関節部分は何らかの無理をしているはず......!」


 相手は蹄の足で二足歩行をしている。上半身はややヒトに近く体毛が薄い、腕などはほとんどヒトのそれだ。しかし、その接合部である股関節や腰は構造上無理があるに違いない。さらにその上にはヤギ頭が乗っかっている。首あたりから体毛が濃くなっているのがわかる。

 ジュンの脳内に1つのプランが浮かぶ。

 その次の瞬間には、全力でヤギ頭の足元に向かって走り出していた。


「BMOOO!」

 ヤギ頭が手のひらに炎を作り出し、薙ぎ払うように腕を振るう。相手のリーチより手前で走る方向を右に変え腕を躱そうとしたが、炎によって左半身が焼かれる。手のひらから飛ばしていた時よりも高い熱量に身を晒しながらも、足は止めない。

 さらに180°ターンするようにして今度はヤギ頭の伸びた腕の下に入り込む。

 走れ!走れ!ジュンは脳内で自身を鼓舞する。

 炎で肺を焼かれぬよう呼吸を止めたっきり、息を吸う暇もなく、右眼で定めた狙いに向かって一直線に進む。


「だぁっ!!」

 残った肺の空気を吐き出しながらヤギ頭の右足を切りつける。

 人間ならばふくらはぎの位置だが、ヤギの下半身であればである部位に深く斧を沈める。薄い筋と腱を超え骨に到達した感触が伝わる。

 なんとしても態勢を崩そうと焦る気持ちを抑える。

 一度力を抜き、息を吸いなおしてから今度は水平に斧を引く。


「BMAAAAAAAA!!!」

 脚の腱を切られたヤギ頭は膝をつく。こちらを探すように股をのぞき込もうと頭を下げている。

「ヒトよりも太くて長い首だが、ついている頭がでかすぎる。股下を見るにはそうやって丸くなるしかないよな」

 天地逆さになってのぞき込むヤギ頭の水平に横長な瞳孔と目が合う。

「BMMM!!」

 鼻息荒くこちらを掴もうと左腕を伸ばしてくる動きに合わせて、膝をついた右脚に駆け出す。

 左腕ではこちらはつかめないだろう。体の外側からヤギ頭の脚を駆け上がり、腰回りをよじ登る。両手で斧を構え、一番の狙いである1点に向かって斧を振りかぶる。

「ああああっ!」

 息が上がり、言葉にならない気合を込めながら斧を振り下ろす。

 斧はヤギ頭の腰に深くめり込んだ。


 

「BMOOO!!!」

 ヤギ頭が身じろぎを大きくした。斧を握り続け、可能な限り深く押し込むが、とうとう斧が抜け振り落とされてしまう。しかし、ジュンの目的は達した。

「BMAO!BMAO!」

 ヤギ頭は腰を押さえて痛がる素振りをするが、立ち上がらない。

 脚に力が入らないまま、上半身だけで身もだえをしている。


 ジュンは再び走り出す。

 「この斧で届くかどうかが賭けだったが、俺の勝ちみたいだな。」

 ヤギ頭の背後をとり攻撃を誘う。

 視界外へ向けた単調な攻撃は予想どおりだった。振り回してきた腕を、動かない下半身を盾にしてかわす。

 振り向いたヤギ頭の上半身が正面に来たところで、ジュンはその左胸に向けて斧を振り下ろす。


「BMOOOOoo....」

 ヤギ頭は黒い粒子を胸から噴き出しながらこちらをにらみつける。しかし、反撃する力もなく動かなくなった。その全身はやがて大量の黒い粒子への代わり、ボーリング玉ほどある黒い結晶を残して消えた。

「もう...動けん...」

 ジュンは斧を手放しその場に横たわる。そして半身が焼け爛れた痛みと、連続の無酸素運動による疲労感に襲われる。意識を保つことが出来ずプツンと気を失った。


 *


 目が覚めると女性がすぐそばにいた。

「目が覚めた?ケガはどう?治しておいたけれど、眼の見え方とかは異常ない?」

 自身は確かに両目で女性を見つめていた。悪い癖でジロジロと観察してしまう。きれいな金髪に白い肌、やや緑がかった光彩、整った目鼻立ち、筋肉の付いた体は何かスポーツ経験があるのだろうか。しかし、それ以上に――。

「あのー、聞こえてる?聴力の方が治りきってなかったかな?」

 呆けて言葉が出ない様を耳が聞こえないと思われたのか、続けざまに声を掛けられる。


「聞こえている。はっきりと。しかも流暢な日本語で」

 こちらの言葉を聞くなり、ぱぁっと効果音が聞こえそうな笑顔だ。

「よかった!しっかり体を動かしてみてね、調子悪いところがあれば治すから。このサイズの魔結晶ならもう1回ぐらいは同じような治療ができそうなの。」

 見ると手元にヤギ頭から出てきた結晶を抱えている。最初に見たときよりは少し黒い色が薄くなっている。

「わからないことが一杯で質問が尽きないんだけれど、まずはここを出よう。また何かに襲われるわけにはいかない。」

「そうね。でも自己紹介だけはさせて。私は、アリア・ラインツベルト・グロウ。これでもルナダリア王国の女騎士号を拝受しているのよ」

「ジュンだ。日本の一般市民。騎士なんて称号はないけれど、博士号は持っている。そして今はただのスカベンジャー。ともかく、また質問が増えたよ」


 わからないものだらけの現状へ好奇心を抱き、戦闘の余韻か美女を前にして高揚感を感じながら、同時に命を拾い五体満足であることに安堵しながら帰路につく。




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