第3話

 ヘッドランプの光が謎の生物を照らし、その姿がはっきりと見えた。

 ジュンの腰ほどの身長で、ややガニ股の二足歩行をしている。頭は大型犬ぐらいのサイズだろうか、鼻が高く耳も尖っている。全体的な姿は猿に近いが、目が深く窪んでおり、瞳がはっきりと見えない。


「見えた!虹彩が大きめで白目はなし!って危な!」

 逃げながらも、つい観察に夢中になっていると1体が両腕で掴みかかるように突進してきた。

 目と目が至近距離で合うほど近づかれ、ジュンは咄嗟に横に転がって回避した。

「人間の白目は社会性の現れだっけ?アイコンタクトとかで意思表現するとか聞いた気がしたなっと!」

 追撃したところで腹に蹴りをいれ、なんとか距離をとった。


「そんで、もう一体はどこ行きやがった」

 首を振ってその姿を探す。

 ギー!という声がすぐ右脇から聞こえ、そちらを振り向く前に反射で斧を振り回す。

「っ!こそこそしやがる」


 少し後ろに下がりながら2匹目の姿をはっきりととらえる。

 うち片方の手には小ぶりなナイフがライトの光を照り返していた。

「二足歩行だもんなぁ、道具も使うよなぁ。で、どこで手に入れたんだそれは。使い方もずいぶん様になってるじゃないか」


 2匹を眼前に捉えながら斧を両手に構えて、少し腰を低く構える。

 危険なのは向かって左のナイフを持った方だ。右の個体は――思考が完結する前に、ジュンの体が動き出した。斧を構えたまま、ナイフを持つ個体に突進する。斧の頭で相手の腹を突き上げるように腕を伸ばす。

 斧が接触した瞬間、ジュンは肘を少し曲げ、さらに踏み込んで再び腕を伸ばした。勢いと体重差で、ナイフを持った個体は数メートル吹き飛ばされた。


 すぐに頭だけ横を振り向きもう1匹がこちらに走ってくる姿を確認する。

 突っ込んだ勢いを右足で殺しながら、身体を捻って斧を振りかぶる。

「らーっ!」

 気合いの声とともに、相手の攻撃が届く前に腕を振り下ろす。斧は生物の肩口から大きく食い込み、肉と骨を抉っていた。


 突如、斧の刃が抵抗を失い滑るように落ちていく。

 傷つけた肩を見ると黒い粒子が覆っている。どう見ても致命傷だったはずだ。首の付け根を鎖骨から腹のあたりまで斬りつけたのだ、多量の出血は免れない。斧を見ても土汚れしか付着していない。


「まともな生き物じゃないってことか」

 ジュンの知識の中で、二足歩行する大型生物が生命活動のために血液を要しないなんて例は存在しない。そんなものはフィクションの中だけだ。

「ギギガッ!ギギガッ!ギギガッ!」

 相手はうずくまり、肩口から黒い粒子を撒き散らしながら規則的な叫び声をあげる。ダメージはあったようですぐに動くことは出来ないようだ。

「......致し方ない。」

 ジュンは斧をそいつの脚に振り下ろした。


 首を振り、周囲をライトで照らすと倒れていたナイフ持ちが見当たらない。

 焦って身体のすぐ背後を見る、ナイフ持ちは今まさに飛びかからんとしていた。

「くっそ!」

 ナイフ持ちはこちらが見上げるほどにジャンプしてナイフを振りかざしてきた。左手でナイフを持つ手を掴む。多少切れるのをかまわず、顔面に向けて突き立てられたナイフを止める。


 左手でナイフとの攻防に気を取られているうちに、もう一方の手で首を絞められる。足はガッチリとジュンの腹に巻かれ、器用に爪をたてている。

 あちこちに爪が食い込む痛みに身を捩りながら右手で斧を短く持ち直す。

 気管を絞られる痛みに呼吸がしにくい。体格の比して大きな手のひらは動脈も抑えているのか、ジュンの視界が明滅する。

「これでも食ってろ!」

 ギーギー鳴いている口に斧を突っ込み身を翻してうつ伏せになり、相手が下敷きになるように体重をかけた。

「こいつ!この!やろうっ!」


 何度も斧を叩きつけて顎が砕け、次に頭蓋が潰れた。激しくもがいていた身体が動きを止める。

 突然、潰れた頭部から大量の黒い粒子が吹き出した。

「わっぶ!...ペッ!口に入った」

 顔面に黒い粒子を浴びながらも、ジュンはとりあえず1匹を仕留めたことに安堵の息をついた。

 上体を横に避けながら、遺体の様子を観察する。黒い粒子の中にヘッドランプを反射する何かが見える。ジュンは躊躇いながらも、遺体の頭部に手を伸ばした。気持ち悪さはあったが、血が流れていないことに気づく。好奇心が恐怖心を上回り、さらに手を奥へと伸ばしていく。


「黒い結晶?黒曜石にしては綺麗に丸いし、色のついたガラスか?」

 取り出した石を観察していると、股に敷いていた遺体の感覚がなくなる。正体不明のその生物は全身が黒い粒子となり霧散した。


「ギガガッ!ギギガッ!」

 もう1匹が這いずりながら鳴いている。

「黒い雲が関わっているのなら、研究所に引き渡すべきかなんだろうが運べるだろうか」

 深手を負いながらも暴れるであろう相手を見下ろしながら、どのようにして連れ帰ろうか思案していると――

「キャァーー!」

 洞窟に甲高い悲鳴が響いた。


 

「誰かいるのかー!?」

 他に人間がいるのか!いや、そもそもアキラの失踪も、ここが関係しているかもしれない。他に誰かいたって不思議はないだろう。そう考えていると再び悲鳴が聞こえる。

「□□!□□□!□□□!!」

 今度はっきりと聞こえた。言葉は聞き取れなかったが、間違いなく誰かが叫んでいる。斧を握り直しながら声のする方へ駆け出す。走り出した時、腹の中で何かが燻る違和感があった。生き物を殺した直後だからだろうか、気にしている余裕はなかった。


 途中、自分が進まなかった分かれ道の先に声の主が居た。そこには高さ4mほどの低い窪みになっている空間に一人の女性がいた。

「□□!□□□□□□□!」

 女性は体高2mほどのヤギ頭をした、2足歩行の怪物と対峙していた。尻餅をつきながら逃げているが、壁を背負いもう後がない。

 考えている暇はなかった。斧を両手で構えながら駆け出す。4mの高さでも、着地を失敗すれば怪我をするだろう。上手く衝撃を殺すように飛ばなければならない。ちょうど良い2mの足場がある。さっきのやつらと同じなら弱点は――



「頭をかち割る!」

 思いっきり飛び込みながら全体重をかけて両腕で斧を振る。斧が当たった衝撃はあったが、目の前の化け物は柱のように立ったままだ。短毛の毛皮をした上半身を蹴飛ばしながら斧を抜く。反動で背中から着地したが、たいした痛みではない。

「怪我は?走れるか!?」

「□□!□□□□□...」

 まったく何を喋っているかはわからないが、どうにも立ち上がれないようだ。


「とにかく立て!」

 女性の腕を掴み上げてなんとか立たせる。脚に怪我はないようだが、ふらついて満足に歩けていない。

「逃げるぞ!」

「□□□!!」

 支えながら歩き出そうすると、うしろを指差して叫んでいる。

 振り返るとヤギ頭のバケモノは頭に刺さっていた斧を引き抜いてこちらを睨んでいる。頭部からは出血の代わりに黒い粒子が溢れ出し、顔の右半分を覆っていた。

 そのバケモノは生物であれば致命的に違いないその傷をものともせず、こちらに向かって歩き出した。


 女性に肩を貸しながらなんとか早足で逃げるが、バケモノはその体躯から1歩進むだけで大きく距離を縮める。

「どうにか足止めしないと逃げられんな」

 数m進んだ時点で彼我の速度差は歴然だった。

 何か対処法はないかと周囲を見渡す。周囲に脇道の類はなく、自身が来た道へ帰るには高い壁を登らなければならない。奇襲に使った斧はバケモノの足元に落ちていた。

「とにかく壁伝いに進め。いいな?」

 女性に身振りで進むように促す。何か言い返されているが、構っていられない。そもそも何を言っているかわからないし。英語や中国語、ポルトガル語でもなければヒンディー語でもなさそうだ。一体どこの言葉だろうか。

 窮地に思考が加速する。ジュンは必要なことだけに思考を集中した。


 僕は女性から距離をとり、少しひらけた空間に移動した。

「こっちだバケモノ!もういっかい頭かち割ってやる!どうした!こっちだ!」

 女性を追うバケモノの意識をこちらに向ける。

「BMOOOOOO!!」

 ヤギ頭はヤギとも牛とも取れない叫び声を上げた。大きな振動が腹にまで伝わってくる。恐怖で足元が浮いた感覚に陥る。

「はっはっはっは!威勢だけか!」

 笑いだ。緊張をほぐすのも、恐怖を振り払うのも笑いだ。

 無理にでも笑顔を作り、腹の底から声を張り上げて自分を鼓舞する。


「MAAAAAG!」

 ヤギ頭は声をあげて突っ込んできた。

 相手は二足歩行で、体重は自分よりも数倍以上だろう。正面から衝突すればまず助からない。

「こんだけデカけりゃっ!」

 ジュンはヤギ頭に向かって走った。ヤギ頭は右腕を振り上げている。このスピードでお互いが走ればすぐに相手のリーチの中だ。そのリーチも倍以上の差があるだろう。ヤギ頭に不釣り合いな霊長類の持つべき腕とその拳が目前まで迫っている。

 両腕を頭上に構えて衝撃をなんとか堪えながら、相手の足元に向かって転がる。


「血が流れてなくとも右目は見えてねぇだろ?距離感が掴みづらいのに加えて体格差がでけぇ。脇に入られたらクリーンヒットさせるのは難しいだろう?」

 攻撃を防いだ腕は衝撃を受けた勢いで体の後ろに大きくそれた。ハイテンションに任せて言葉の通じないバケモノ相手に饒舌になっているが、右肩をひどい痛みが襲っている。

 足元の斧を拾って右膝を斬りつける。両手で持ったがほとんど、片手の力しか入らない。体重をかけた一撃は膝の肉を抉り筋肉層で止まった。

「BOO!」

 ヤギ頭は斧が刺さった右足を振り上げて僕の身体を跳ね除けた。


 斧だけは離すものかと両手に力を入れたおかげか、斧が抜けて飛ばされても2,3m程の高さで済んだ。

 運よく着地は足から着き、転がりながらなんとか衝撃を逃す。全身擦り傷だらけになりながらも、頭部は無事だ。衣類がボロボロになろうとも構わなかった。

「さて、斧は回収できたけれども。こっから勝てるプランがまったく思いつかん」

 表情筋に力を入れて笑顔を作りながら、思考をめぐらせる。何か手はあるはずだ。相手は2m越えのヤギのバケモノで腕は猿みたいで5本指を持っている。足は偶蹄類のそれだ。2本の蹄で足を支えている。右膝は傷つけたがそれほど重症になったようには見えない。通常の生物と違う形状をしているのだから、どこかに不和があるはずだ。

 頭、腕と見た後に脚に目をやる。偶蹄類の蹄で器用に二足歩行をしたその姿勢はどこかのゲームに出てくるロボットにも思える。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る