第8話 菖蒲御桃(あやめみとう)

 六時間目の授業が終わった。

 宿題をランドセルに詰めて、帰り支度をする。

 ランドセルにつけていた、卵モチーフキャラクターのキーホルダーを見て、私は何だかもやもやとした気分になった。

 あの鶏、何で倒したのにまた出てきたんだろう……。

「ねえ、二二ちゃん。物の怪って倒しても復活するの?」

 廊下を歩きながら、私は小さな声で二二ちゃんに尋ねた。

「んー、えーっと……すっごい強い物の怪で倒し切れてなかったとか、実は本体は別にあったとか、そういう場合はなくはないかもですけど、動物の浮遊霊はどちらにも当てはまりませんし——。二二、家の書庫で調べてみますね」

「家に書庫があるの?」

「はい。物の怪や霊力に関する本が、全部で一万冊ぐらいあるらしいです」

「一万冊!?」

 一万冊って、私の家の百倍はある!

 二二ちゃんの家ってもしかして豪邸? 江戸時代から代々続く退魔士の家系とか言ってたし、それなりに由緒正しいとこのお嬢様なのかも。

「退魔士の専門書も多いですが、稲生もののけ録や日本霊異記など普通の読み物もありまして、書庫にいるとあっという間に時間が過ぎてしまいます」

 いのうもののけろく。異能物の怪録、とかかな?

 にほんれいいき、は日本霊異記だろう。

「異能物の怪録とか日本霊異記ってどんな話なの?」

「稲生もののけ録は江戸時代に出版された本で、稲生さんの妖怪体験をまとめた話です。日本霊異記はもう少し古いお話で、平安時代に書かれた妖怪や幽霊テーマのお話多めの説話集です。どちらも現代語訳じゃない原作で、カットもされてないので読みごたえ抜群です」

「二二ちゃん、それは『普通の読み物』とは言わないと思う……」

 というか、古典の原文をよく読めるな。

「え? そうでしょうか?」

 二二ちゃんは目を丸くして私を見た。

   ガタン!

「あいてっ!」

 少しのよそ見の隙に、運悪く二二ちゃんは近くにあった植木鉢にすねをぶつけてしまった。

 植木鉢はよくあるプラスチックの軽い奴ではなく、大きい素焼きのやつだった。

「うぅうぅぅ……すみません。ちょっと痛みが引くまで待ってください」

 二二ちゃんはすねをさすりながら、その場に座り込んだ。入口に近いところだけど北東小の敷地内だから、車は来ないはずだ。

「さすがに、けが人を置いていくほど鬼じゃないよ。というか、大丈夫? 見たところ腫れてはなさそうだけど、冷やしたほうがいいなら保健室に行って氷のう借りてくるよ」

「いえ、大丈夫です。ひどい音はしましたが、軽くぶつけただけですので。五分ぐらいしたら痛みは引くと——ひゃっ!」

 いきなり、二二ちゃんの体が宙に浮く。また物の怪か!? と思ったけど違った。人間の手が見える。誰かが二二ちゃんを持ち上げた——お姫様抱っこしたらしい。

「ニィ、大丈夫?」

 二二ちゃんをお姫様抱っこしたのは、学ランを着た中学生くらいの男の子だった。

 サラサラの黒髪に、凛とした顔立ち。黒い瞳はまるで夜空みたい。

 何か、誰かと似てる気がする……。

「お、お兄ちゃん!? どうして北東小に!? というか、降ろしてください」

 じたばたする二二ちゃんをお兄さんは落とさず持ち続ける。器用だ。

「あ、こんにちは。君がニィの言っていた未申ちゃんだね。初めまして、僕はニィ……菖蒲二二の兄、菖蒲御桃あやめみとう。妹と仲良くしてくれてありがとう」

 御桃さんは太陽みたいにあったかい笑顔を浮かべた。眩しい。

「は、はい……初めまして、清水未申です」

 ニィは二二ちゃんの事らしい。いや、兄が妹をニィって呼ぶって紛らわしいな!

「ところで……ニィ? 最近まぁーた物の怪に首突っ込んでるよね?」

 打って変わって、ブリザードのように冷たい声で、御桃さんは二二ちゃんにそう言い放つ。

「——二二は、菖蒲本家長女。物の怪退治をするのは当たり前の事です」

 二二ちゃんの毅然とした態度に、御桃さんはハアとため息を吐いた。

「いつも言ってるよね。ニィは物の怪に関わっちゃいけないって。危ないんだから」

「問題ありません。二二は強いし賢いので」

「そりゃあ。強いし賢いし可愛いけど、でもニィは——もごっ」

 何か言おうとした御桃さんの口を二二ちゃんはぐっと両手でふさいだ。

「お兄ちゃん、お友達の前なのでやめてください」

 御桃さんは、怒っているとも悲しんでいるとも判断できない、微妙にアンニュイな表情をした。

 二二ちゃんの手を口からはがすと、はああぁとさっきよりも大きなため息を吐いた。

「……ま、そうだね。お説教は後でもできる。で、ニィ。今回は何に首を突っ込んだの?」

「鶏の浮遊霊です」

「鶏? もしかして、二メートルぐらいあるやつ? あれ一応、この前倒したはずだけど」

「それですっ! えっと、御桃さん。私達も一回倒したのに、今朝復活してたんです」

 私の言葉を聞いて、御桃さんはうーんとうなった。

「もしかして、同じタイプのが何体かいるのかな……?」

「確かに、その可能性は高そうです! となると、三匹だけとも限りません。まだまだ出てくるかもしれませんね。一体全部で何体いるんでしょう……?」

 二二ちゃんは腕を組んで考え込む。

「……ちょっと前から気になってたんだけどさ」

 私はそう切り出した。

「あの鶏の物の怪って、もしかしたらこの北東小学校で飼ってたっていう鶏たちなんじゃない?」

「一応、この辺りには普通の養鶏場もあります。どうして北東小の鶏だと思うのですか?」

「えーっと、まず時期がかぶってるなあって」

「時期、ですか?」

「うん。先生から聞いた話によれば、育ててた鶏が死んじゃったのは去年の終わりごろ。鶏の噂は杏夜くんが『最近』って言ってたから、今年の初め頃くらいだと思う。そう考えると、時期が近いなって」

「確かに……そうですね」

 二二ちゃんと御桃さんはなるほどと頷いた。

「あとは、私の推測なんだけど……あの鶏、ずいぶん殺気にあふれてたじゃん? だから多分、人間の事相当恨んでる。何か嫌な目に遭ったんじゃないかって思うんだけど——」

 続く言葉は少し言いづらい。

「そう思うと、その専門家の農家さんのとこより学校の方が可能性高いかなって……」

「まあ、確かに。低学年の子はよく追いかけまわしていましたし、ありえそうな話ですね。強さが違ったのも、恨み度の違いとかでしょうか……?」

 鶏をいじめるような子がこの学校にいるんじゃないか、とも取れる私の言葉を二二ちゃんは意外とあっさり流した。

「飼育されていた鶏は四匹。その線で考えると、残りは一匹だけですね。未申ちゃん、さっそく探しに行きましょう!」

 きらきらと目を輝かせてそう言い放った二二ちゃんに、御桃さんはぎろっと凍てつくような視線をやった。

「ニィ……? 浮遊霊くらいなら危険度も低いし止めたりしないけど、さすがに今日はお家に帰って休もうね……?」

「大丈夫です! 足ももう痛くありません。というか、本当にそろそろ下ろしてくれませんか?」

「ニィのためだけじゃないよ。未申ちゃんは今朝物の怪と戦ったんでしょ? 霊力も随分消費してるし、今日は休んだほうがいいよ。今は大丈夫でも翌日に霊力痛が出たりするんだから」

 霊力痛って何!? 筋肉痛の霊力版!?

 とりあえず、今日は早く寝よ……。


 学校の外に出て、歩いていくと分かれ道に差し掛かった。

 御桃さんは右に行こうとする。二二ちゃんの家は私と反対方向らしい。

「あ、未申ちゃんそっち行くの?」

 着いてこない私を見て、御桃さんは足を止めた。

「僕たちはこっちだからなあ。あ、そうだ『沙華しゃげ』出ておいで」

「またあの子呼ぶんですか!?」

 二二ちゃんが叫ぶと同時に、御桃さんの影がぐらっと揺らぐ。

「呼んだか?」

 凛とした声と共に、ヌッと御桃さんの影から何かが現れる。

「ひ、ヒトが出てきた!?」

 出てきたのは見た感じ、私より一、二個くらい上の年の女の子だった。着物と袴を着ていて、黒くてきれいな髪は後ろで高めのポニーテールにしてる。

 いきなり現れたその女の子に、二二ちゃんはシャァーと猫みたいに威嚇する。

「彼女は僕の式神、沙華だ。この子に君を送らせるね」

 御桃さんの紹介に合わせて、沙華さんはぺこりとお辞儀をした。

「え、いいですよっ!? 私の家、すぐそこのコンビニらへんなんで!」

「いや、今この町は危険だから一人で帰るのはやめておいたほうがいい」

「危険って?」

「最近、普通の物の怪とは比較にならないくらい強い、おぞましい物の怪がこの町をうろついているみたいなんだ。日に日に気配が強くなっていってる。今日はまた一段と強い力を感じたから、心配になってニィを迎えに来たんだ」

「お兄ちゃんは過保護です」

 二二ちゃんはむぷーっと頬を膨らませた。

「普通だよ」

 いや。もうけがは治ったって言っている二二ちゃんをお姫様抱っこしたままだし、割と過保護だと思う。

 でもそっか。そんなやばい奴がうろついてるなんて怖いな。ここは厚意に甘えておこう。

「じゃあ、沙華さん。よろしくお願いします」

「はは、敬語なんて使わなくてもいいぞ」

 沙華さんは気さくにそう言ってニカッと笑う。

「そうです。未申ちゃん、人っぽい見た目をしてはいますが、その子はれっきとした物の怪です。敬語を使う必要なんて砂粒ほどもありません」

「こら、ニィ。沙華は元人間だし、僕の手伝いをしてくれるいい物の怪だっていつも言ってるだろう」

「物の怪は物の怪ですよ」

 二二ちゃんと御桃さんはにらみ合う。バチバチバチという効果音が聞こえるようだった。

「まあまあ、若様。姫さんがおれを嫌うのも無理はねえ。とりあえず今日の所は帰ろうぜ。姫さんもそっちの嬢ちゃんも疲れてんだろ」

 沙華さんは御桃さんの背中を押した。

「そうだね、じゃあ。未申ちゃん、またね」

 柔らかな笑みを浮かべて、御桃さんは手を振った。

 小さく手を振り返すと、御桃さんはくるっと向きを変えてものすごい速度で走り去ってしまった。

「それじゃあ、おれらも帰ろうぜ」

 沙華さんはそう言って私の肩をポンとたたく。

 私は思わず、ビクッと肩を震わせてしまった。

 人間みたいに見えるけど、沙華さんも物の怪——。

 信用して、いいのかな?

「どうしたんだ?」

 沙華さんが私の顔を覗き込む。

「あ、えっと、いや。あの……女の子でその一人称、珍しいなぁって」

 しどろもどろに、適当なことを言ってしまった。

「え? そうなのか? おれの故郷では割といたんだが。あー、でもそういえば最近は聞かない気がすんなー。女でおれって言ってる奴」

「最近……?」

 最近って、いつの話なんだろう。

「ああ、おれこう見えても長生きでなあ。おばあちゃんなんだよ。いくつだと思う?」

 見た目は十二、三歳くらいに見えるけど、物の怪——人じゃないしおばあちゃんだって言うならもっと年上かな。

「えっと、じゃあ……百歳とか?」

 私の答えに沙華さんはフフッと笑った。

「キリがいい数字だな。でも残念、不正解だ」

「じゃあ、いくつなんですか?」

「さあ?」

「へっ!?」

 沙華さんの返答に思わず気の抜けた声を出してしまった。

「二百を超えたあたりで数えるのをやめちまったよ」

「すごい、本当におばあちゃん……」

「確かに自分でおばあちゃんだっつったけど、他人から言われっとちょっとやだな」

「すみません」

 確かに、女の人(と呼んでいいのかはいろいろ謎だけど)に年の話はちょっと良くなかったかも。

 ペコっと軽く頭を下げる。

「いいよ別に。子供は素直なのが一番だからな。……姫さんも、嬢ちゃんくらい素直だといいんだが」

「そう言えば、二二ちゃんとは仲悪いんですか?」

「おれは仲良くしたいんだが、嫌われてる」

 沙華さんはどこか遠くを見つめた。

「姫さんも色々と大変だしな。物の怪のおれと仲良くできるような心の余裕がねえのも当たり前だ。気長に頑張るさ」

「ふうん……」

 色々大変、かあ。

 私は思い出しかけた『あの事件』を、どうにかこうにか頭から追い出した。

 まあみんな、言わなくても、言えなくても何かしらの悩みは抱えてるもんだよね。

「嬢ちゃんは姫さんと仲がよさそうでうらやましいぜ。ちょっとくせが強いお方だが、これからも仲良くしてやってくれ」

「……いや、仲がいいというか、利害関係が一致しているだけですよ。とりあえず今は」

「嬢ちゃんって思ってたよりドライだな」

 沙華さんはフフッと笑った。

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