第4話 追いかけられてばっかりだよ!

「ただいまぁー……疲れたあー……」

 まだ全然慣れない新しい『我が家』の扉を開けたのは五時半頃だった。

 なかなか引いてくれない二二ちゃんを用事があると言ってどうにか振りきった。

 どうやったら諦めて引いてくれるんだろう。

「とりあえずのどかわいたなあ。何か冷たいもの、冷たいもの——あっ!」

 冷蔵庫に貼ってあるメモに気が付いた。

『今日は遅くなるから夕ご飯適当に食べてね』

 私の両親は同じ職場の共働きで、結構残業の日がかぶる。そういう日はいつもこんな感じでメモが貼ってあるのだ。

 引っ越し直後に残業って、大人って大変なんだなぁ……。

 そんなことを思いながら冷蔵庫を開ける。

   ガチャ。

「……ほぼほぼ空じゃん!」

 冷蔵庫の中身は驚いたことに卵と牛乳とお茶、それから調味料だけしかなかった。

 冷凍庫も似たようなものだった。冷凍ポテトとアイス、保冷剤。おおよそ夕ご飯にできるようなものではない。

 野菜室はというと、何故か野菜だけはたくさんある。

 ——ヤダ、お肉食べたい。

「買いに行くしかないよね」

 はあと私は大きなため息をつきながらしぶしぶお出かけ用バッグを手に取った。

 何だか嫌な予感がするのだ。



「あああー! ほらもうやっぱりー!!」

 四行前の伏線回収完了。コンビニでお弁当を買った帰り道でまた物の怪に遭った。

『オマエウマソウだナ』

 ちょっと広めの通りを走っていると、日本に住んでいれば結構な頻度で見る赤い建造物、すなわち、鳥居があった。

 さっと右に曲がって鳥居をくぐる。

 境内に入って、本殿が見えるところまで走った。

 振り返る——物の怪はいない。追って来られなかったようだ。

「あーあ! もう! 今日は踏んだり蹴ったりだよ!」

 無性にむしゃくしゃして、私は叫んだ。

 本当にもう。何て日だ。

 朝から物の怪に追いかけられるわ、こっくりさんに襲われるわ、訳わかんない危ない事にしつこく誘われるわ、お夕飯は何もないわ、買いに行ったらまた物の怪に襲われるわ……。

 走ったせいでお弁当もぐちゃぐちゃになってしまった。最悪。

「っ、はぁああー…………」

 体の中身がなくなってしまうんじゃないかと思うほど深いため息を吐く。

 その反動で吸いこんだ空気は、意外にも心地よかった。森の匂いがする。

 そう言えば、ここは何と言う神社なのだろう? 鳥居だけ見て駆け込んだから、名前すら分からない。

 辺りを見回す。木がやたらと多い。この神社は小さな林の中にあるようだ。

 足もとを見ると、参道の石畳は所々欠けていて隙間からは雑草が生えている。

 階段の近くに立てられた看板は、ひどく日焼けしていて元々は白かったのだろうけれど今は黄色と表現する他ない。『段差に注意!』と書かれていたのだろうけれど、インクがはがれて『段 に注 心!』しか残っていない。

 参道を奥に進み、階段を上がって本殿の目の前に立つ。

 本殿も、似たようなものだった。お賽銭箱の上に置かれている『二礼二拍一礼』の注意書きはずいぶんと古そうだし、柱は傷や汚れが目立つ。

 ——寂しい神社だ。

「あ。何か書いてある。ええっと……『雪鷺神社』……?」

 読み方は『ゆきさぎ』神社、かな?

 名前だけでは何を祀っているのか全く分からないけれど、とにかくここに神社があって助かったのだ。

 私はお財布から五円玉を出すと、お賽銭箱に投げ入れた。二回お辞儀して、二回拍手して、最後に一礼。

 何の神様だか知らないけどありがとう。

「……さあてと! 帰ろうかな」

 さっき入ってきたところはまだあの物の怪がいるかもしれないから、別の出口を探そう。


 

 虫に気を付けながら林の中を進むと、ふと小さな祠があることに気が付いた。

「あれ、この祠壊れてる?」

 祠にかかっているしめ縄は真ん中辺りで切れているし、祠の中にある石像は、何となく人型っぽいけれど、頭の部分が割れて落ちてしまっていた。どう考えても、人がやったように見えた。

「ひどい」

 私は壊れた石像の頭を持ち上げると、胴の上に置いた。

 すぐ落ちそうだけど、さっきよりはマシだよね。

   ピュゥゥ。

 急に吹いた強風で髪がバサッと顔の前に落ちてきた。

「……れ、だ」

「ひぇっ!?」

 驚いて思わず変な声を出してしまった。かすかに声が聞こえた気がしたのだ。

 視界を邪魔する髪をかき分けて、私は辺りを見回した。

「私以外、誰もいないはず……だよね?」

 周りには、人はおろか鳥すら見当たらない。物の怪も、神社内には入ってこられないはずだ。

 ほっと胸をなで下ろす。やっぱ気のせい——。


「お前は誰だ」


 ぞっと、背筋が凍り付いた。

 ……私の肩に、誰かが手を置いている。

 さっき見たときは誰もいなかったはずなのに。なんで『誰か』がいるの?

 人間わざじゃない。それに、何かすごく嫌な気配がする。

「……っ」

 金縛りにあったみたいに、体が動かない。後ろを振り返るのが、怖い。

 とはいえ。このままでいるわけにもいかない。

「——セイヤァーッ!」

 私は思いきり気合いを込めて、奇声を出しつつ、肩に乗っけられた手を振り払った。

 振り払った勢いで、ふと後ろにいた『誰か』と目が合ってしまった。

「え……お、鬼!?」

 後ろにいたのはとがった耳に、額には二本の角。いかにも『鬼』という見た目の、男性だった。ぱっと見高校生ぐらいに見える。

「お前は、誰だ!!」

 地の底から聞こえてくるかのように低い声だった。

 赤色の眼光が鋭く私を刺す。目を合わせると動けなくなりそうだ。

   ダッ!

 くるりと鬼に背を向けると、私は脇目も振らず逃げ出した。全速力である。

 既にぐちゃぐちゃなお弁当は、目も当てられないほど悲惨な事になるだろうけど仕方がない。

 ……多分必殺パンチを何回使っても勝てない。



 あいつはヤバいと本能が告げていた。




 幸い、追いかけては来なかったようだ。

「はぁ……はぁ……何なの、本当にもう」

 今日は人生最悪の厄日だ。

 もはや原形をとどめていないお弁当の中身を見て、私はため息をついた。

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