第9話 餌付け

「凶悪な虎ねえ。まあ、忠告は感謝する。そんなもの私のこの拳で一撃で倒してみせる」


 ヘイゼルは凶悪な虎と聞いても一切の動揺を見せていない。恐怖すらも感じずに、本気で自分が虎に勝てると信じている。


「それで、その虎の対処法とかあるの?」


 フィンはヘイゼルとは逆に力で解決しようとせずに、頭脳で解決するようにケニーに相談を試みる。


「さあ。虎は腹を空かせていると危険だと聞いた。いざと言う時は肉を投げてそれを囮にすると良い」


「なるほど。ヘイゼルさん。市場に戻って肉を買おうよ」


「ああ。いざという時の食料にもなるしな」


 ヘイゼルとフィンの意見は肉を買うことで一致した。保存が効く干し肉を買って聖地アムリタへと向かうヘイゼルたちだった。


 ヘイゼルたちがブルームの街を去ろうとするとケニーが追いかけてきた。


「待ってくれ。ヘイゼルさん。フィンさん」


 ケニーの呼び止められて、ヘイゼルとフィンはその場で振り返った。


「その……最後にお礼が言いたくて。俺みたいなやつに優しくしてくれてありがとう」


「うん。もうスリなんてしないようにねー」


 フィンはそう言ってケニーに手を振って歩き出した。ヘイゼルもそれに続く。ケニーと別れて2人は目的地へと歩み出す。



 街道の道なりに進んでいくヘイゼルとフィン。途中で数人の通行人とすれ違う。男性は普通に通り過ぎていくが、女性はフィンを見るなりに熱い視線を送っている。ヘイゼルがにらみつけるとそういう女性たちもすぐに目線をそらす。だが、フィンはそれに対しての全くの無自覚である。


「ヘイゼルさん。なんでそんなににらんでいるの?」


「フィン。お前はのんきでいいな」


 街道の分岐点まで辿り着いた。聖地アムリタの方向に伸びている街道の前に立札が設置されていた。


【この先、虎が出現する。注意されたし】


「注意と言っても普通の人は虎に勝てないがな」


「でもヘイゼルさんなら勝てるんでしょ」


「まあな」


「僕は虎を初めて見るからなんかドキドキしてきたな」


 フィンは胸の高鳴りを抑えきれずに浮足立っている。


「フィン。いざって時は持っている肉を投げて虎の気をそらすんだぞ」


「わかったよ」


 ヘイゼルは今一度フィンに確認する。フィンの危機感のなさはヘイゼルにとっては危うさを感じる。いざという時、ちゃんと言うことを聞いてくれればという思いがあった。


「別ルートで聖地アムリタを目指すこともできるが、そっちは遠回りなんだよな」


 ヘイゼルが地図を見ながら頭を悩ませる。


「えー。近道できて虎も見れるこっちのルートの方がお得だからこっちで良いよね?」


「虎が出現することをメリットのように語るな」


 邪竜の復活がいつかわからない。封印を再度施すためには、できるだけ早く必要なものを回収しなければならない。できるだけ早くこの旅を終わらせるには、やはりこのルートは避けては通れない。


「それじゃあ、フィン。行くぞ」


「はい」


 フィンとヘイゼルは立札の先に足を踏み入れた。ヘイゼルに緊張が走る。自分は虎とタイマンして負けるつもりはないが、フィンを守りながらだと話は違ってくる。不意打ちでフィンがやられないように、十分に周囲を警戒しながらヘイゼルは進んでいく。


 聖地アムリタまでの道中。街道の隣には森があり、そこから野生動物の鳴き声が聞こえてくる。フィンがそちらに行きたそうにうずうずしているが、ヘイゼルに睨まれていて、流石に自重している。


「そういえば、ヘイゼルさんは虎を見たことあるの?」


「いや、実物を見たことはないな」


「へー。それじゃあ、僕たち初めて同士だね」


「フィン。あまりそういう言い回しはしない方が良い」


「どうして? ヘイゼルさんだって初めてでしょ」


「いや、私は一応この年齢だし、別に初めてとかそういうわけじゃなくて」


「え? やっぱり虎を見たことあるの?」


「……やっぱりこの話はやめよう」


 詳しく説明するとフィンにセクハラだと思われかねない。昨今の風潮では少年に対するセクハラは厳しく取り締まられる傾向にある。暗殺という大それたことしといて今更であるが、ヘイゼルだってその辺の理性は働くのである。


 更にヘイゼルとフィンが歩いていくと、がさごそと木の陰から音がする。ヘイゼルは音がした方向に目を向けて警戒心を強めた。その木の陰から縞々の毛をした大きいなにかがチラっと顔を覗かせた。


 ヘイゼルはすぐに戦闘態勢を取る。木の陰からひょこっと虎が出現した。


「出たな!」


 ヘイゼルは虎に向かって走り出す。そして、虎の鼻先に向かって思い切り蹴りを入れた。神経が集中している鼻を蹴られて虎は「ふごぉ」と声をあげる。そのまま虎は痛みですぐに引き下がった。


「ふう……こんなもんか。フィン。行くぞ」


 ヘイゼルが振り返ったら、フィンの目の前に虎がいた。虎は2匹いた! ヘイゼルが1匹の虎に気を取られている隙にフィンが狙われてしまった。


「フィン!」


 ヘイゼルがフィンの名を叫んで彼の元に駆け寄ろうとする。一方でフィンは肉を手にして虎の前にかがんでいた。そして、虎の目の前で口笛を吹いていた。


「ほら。お肉だよー」


「ぐるうううう」


 虎は低い唸り声をあげながら肉をじーっと見ていた。ヘイゼルはすぐにフィンの元に駆け寄って、彼の手から肉を奪い取り、それを思い切り投げた。


 虎は投げられた肉を追ってどこかへと去っていった。


「フィン。私は言ったよな? すぐに肉を投げろと」


「うん。でも、直接渡した方が親切かと思って」


「餌付けしようとすんな。相手は野生動物だぞ!」


「大丈夫。僕もヘイゼルさんみたいに強いから」


 度々言うフィンの自分は強いから発言。確かにフィンは人並外れた神力を持っている。しかし、それが戦闘力に直結するかと言うとヘイゼルは疑問を持たざるを得ない。


「あのなあ。確かにお前はすごい神力を持っているのかもしれない。でも、お前は今まで地下に閉じ込められていて、ずっとそこで生活してきた」


「うん」


「ロクな戦闘経験もないだろう?」


「そうだね」


「ということは、お前が本当に強いのかどうか誰にもわからないだろ。戦いは経験がものを言うこともある」


「……うーん。でも、経験がないからこそ、今の内に経験積んでおかないといざって時に対応できないんじゃない?」


 フィンの言っていることはあながち間違ってはいない。経験がないからと言って、なにごとも逃げてばかりだと経験を積む機会はなくて永遠に素人のままである。しかし、ヘイゼルにも言い分はある。


「それは虎以外の相手で経験を積んでくれ」


「はーい」


 フィンは素直に返事をした。返事だけは無駄に素直なフィン。ヘイゼルは本当にわかっているのか不安になるが、これ以上フィンに何を言っても手ごたえをまるで感じない。時間の無駄だと判断して、説教を切り上げることにした。


「まあいい。次からは気を付けてくれ。それじゃあ、聖地アムリタまで行くぞ」


「僕は本当に強いのになあ……」


 フィンはまだぶつぶつと言っている。ヘイゼルはそれを聞かなかったことにして、先を急いだ。



 聖地アムリタ。その地にある神殿の最深部。そこに1人の金髪の青年がいた。青年の前に金髪の女性がやってきた。


「セージ様……そろそろ例の神官の少年がやってきます」


「ふふ。そうだね。そういう予感が僕もしていたよ。楽しみだなあ。彼に会うの」


「そんなに楽しみなのですか?」


「当たり前だよ。だって、彼は僕の後輩みたいなものだからね。丁重にかわいがってあげないと。一緒に遊んだりもしたいな」


「セージ様。お遊びになるのは構いませんが、もう少し自覚をもっていただけませんか? あなたは大神官なのですから」

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