第8話 少年の事情

「な、なんだお前たちは! これは正当な取り調べで……」


 女憲兵はヘイゼルに突然声をかけられて、しどろもどろで言い訳を始めた。


「あ、あんたは……」


 スリの少年は自分がスリと痴女冤罪をかけた相手がいきなりやってきて驚いている。自分に対して復讐しに来たのかと身構える。


「私はその子の被害者だ。その子を捕まえると言うのなら……私から言っておくことがある。私はその子と示談交渉をしに来た。示談が成立すれば憲兵のお前が口を出すことではないな?」


「ま、まあそれはそうだけど……」


 女憲兵はもごもごと口ごもって何かを言おうとしている。これからせっかく少年を毒牙にかけてやろうという時に邪魔されて完全に気持ちが萎えてしまっている。


「さあ。これから示談交渉するからこっちに来い」


 ヘイゼルは少年の手首を掴む。少年もこの女憲兵にしょっ引かれるよりかはマシだと思って大人しくヘイゼルについていくことにした。


 また別の裏路地に連れ込まれた少年はびくびくと怯えながらヘイゼルを見ている。時々、横目で助けを求めるようにフィンの方を見ている。


「な、なんだよ。俺はなにも持ってないぞ。示談金もなにも払えねえ」


 少年はなんとか虚勢を張って舐められないようにしている。ヘイゼルはそんな少年のがんばりを見て、くすっと笑った。


「まあまあ。そう身構えるな。私はもうそんなに怒っていない。こちらのフィンが許すと言ったから、私もお前を許そう」


「え、お、俺を許してくれるのか?」


「ああ。だが、どうしてスリをしたのか。その理由だけは聞かせてくれ」


 少年は苦虫を嚙み潰したような顔をしてヘイゼルから目を反らした。


「どうした? 言えない理由でもあるのか?」


「ああ……いや。その……まあ、お前らには迷惑をかけちまったからな。しょうがねえ。正直に話すか。ついてきてくれ」


 少年はどこかへと歩き出した。ヘイゼルとフィンはそれについていく。


「こっちだ」


 少年が入り組んだ裏路地を迷うことなく進んでいく。そして、その裏路地の先にあったものは――


 脚を怪我している若い金髪の女性だった。


「うぐ……あぁああ……」


 女性は脚を抑えてうめきごえをあげている。少年は金髪の女性に近づいて彼女を抱きしめた。


「……大丈夫。大丈夫だから……」


「ケニー……私のことはもう良い。あなただけでも自由に行きなさい」


「そんな……!」


 ヘイゼルはこのやりとりを見てなんとなく事情を察してしまった。金髪の女性。それは神から洗礼を受けた証である。


「少年よ。その金髪の女は教会関係者。いや、元と言うべきか」


「ああ。彼女の名前はキャミー。俺の恋人だ」


「恋人……? それにしては随分と年齢が離れているように見えるけれど……」


 フィンは思ったことを口にする。ケニーと呼ばれた少年は背が低くて顔つきが幼くてまだ年齢が若そうに見える。それに対して若い女性は成人しているくらいの体躯である。


「年齢のことは良いだろ。愛に歳の差は関係ない!」


 ケニーはフィンに向かって大声を出した。眉を吊り上げて明らかに不快感を露わにしている。


「それはごめん」


 フィンは少年を怒らせてしまったので素直に謝った。


「フィン。お前は少しデリカシーというものを覚えた方が良い」


「はーい」


「俺はシスターである彼女に一目惚れをした。彼女も同じ思いで俺に想いを寄せてくれていたんだ……でも、シスターが結ばれるのは同じく神の洗礼を受けた男だけ」


 ケニーは悔しそうに奥歯を噛みしめて拳を握りしめた。


「でも、俺は体の内側に眠る素質。神力が足りてなくて神の洗礼を受けることができなかった。俺に素質がないばかりに……俺は彼女と結ばれることができなかったんだ」


「へー。洗礼受けたら、洗礼受けた同士でしか結婚できないんだ。初めて知った」


「いやいや。フィン。お前も当事者だろ」


 のんきなことを言うフィンにヘイゼルはツッコミを入れる。


「だから、俺とキャミーは逃げ出した。いわゆる駆け落ちだ。だけど教会は俺たちの駆け落ちを許さなかった。逃げ出す俺たちに追う教会関係者たち。やつらの凶弾によってキャミーは脚に怪我をしてしまった」


 ケニーはキャミーの脚を見て涙を流す。


「俺は金を持ってない。だから、彼女を治療する金がなかった。俺は教会関係者を憎んでいた。彼女をここまで追い詰めたあいつらが」


 ケニーは恨めしそうにフィンを見つめた。一方でフィンは口をポカーンと開けている。


「え? 僕」


「……お前な。フィンはこの件に関しては関係ないだろ。こいつを恨むのはお門違いってやつだ」


「ああ。これは完全な俺の逆恨みだ。金が必要。でも、一般人からスるのは気が引ける。だから、俺は金髪の奴だけを狙ってサイフをスっているんだ」


 ケニーは淡々と動機を語りだした。要は金と教会関係者に対する復讐を両方満たすことをしているようである。


「なるほど。お前の事情はわかった。だけど、もうスリはするな」


「スリをやめろだと! そんなことできるわけないだろ! 早く……早く医者にキャミーの脚を見せないと……」


 ケニーは涙を流しながら語っている。確かにキャミーの脚はひどい怪我でぐじゅぐじゅになっている。このまま放置すれば脚から入った細菌で彼女の命そのものが危なくなるであろう状況である。


「待って。それなら僕が治せるかもしれない」


「は……? んだと……! 無理に決まってんだろ。キャミーもシスターで神力を持っている。でも、怪我を治せなかった。それほどまでにこの傷は深いところまで到達しているんだ」


「うん。神力で怪我を治すことはできる。けど、怪我の具合によってはそれができないこともある。でも、僕ならできる」


 フィンはキャミーの脚に手をかざそうとする。


「な、なにをする……!」


 キャミーはフィンを睨みつけている。彼女も教会関係者であるフィンを疎ましく思っているのである。


「今から僕の神力を送る」


「余計なことをするな……私はお前を……お前らを信用しない」


「大丈夫。僕を信じて」


 フィンはにっこりと笑いかける。無邪気な笑顔にキャミーも毒気が抜けたのか目を反らしてこれ以上の抵抗をやめる。


 フィンのかざしている右手が光ってパアァアと音を立てる。傷口がぐじゅぐじゅになっているキャミーの脚がみるみる内に塞がってキレイな状態になっていく。


「あ、キャ、キャミーの脚が戻っていく!」


 ケニーが目を見開いて傷の具合を確かめている。キャミーも目を丸くして驚いている。


「……! こんなに強い神力受けたことがない。お、お前……いや。あなたは一体……」


「僕はフィン。神官だよ」


 フィンはあっけらかんと答える。キャミーの傷が完全に塞がるとキャミーは脚をゆっくりとバタつかせる。


「全く痛くない。痛みもなくなった!」


「本当か!? 良かった。本当に良かった」


 ケニーとキャミーはお互いに抱き合って涙を流している。その様子を見てヘイゼルは口角を上げた。


「治って良かったね」


 フィンは軽くそう流した。彼らからしてみたら大事なことでも、フィンにとってみればただ単にやってみたらできた。その程度のことでしかない。


「ありがとう。そして、すまなかった。お前たちにひどいことをしたのに助けてくれて本当にありがとう」


「別に僕はお礼を言われるようなことはしてないよ。神官として当たり前のことをしただけ」


「……それで、お前たちは教会関係者だよな。俺たちのことを教会に売るつもりか?」


 一気に空気が張り詰める。教会の掟では洗礼を受けたもの同士以外の結婚は認めていない。だから、フィンがもし真面目に教会の掟に従うのであればケニーとキャミーを見逃すことはできない。


「んー。どうしよう。別に僕は掟がどうとかあんまり気にしたことないからね」


「私は別にフィンの付き添いでいるだけだ。フィンが許すというのであれば、私からは何も言うまい」


「それじゃあ……えーと……まあ、僕は見なかったことにするよ。いこ。ヘイゼルさん」


 フィンとヘイゼルはその場を立ち去ろうとする。ケニーにもキャミーにも出会っていない。それがフィンの出した答えだった。


「ま、待ってくれ……!」


 ケニーがヘイゼルたちを呼び止めた。


「お前たちこれからどこにいくつもりだ?」


「聖地アムリタだけど」


 フィンが答える。ケニーはそれを聞いてため息をついた。


「やっぱりか。なんとなく教会関係者だからそこに行こうとしているのかと思った。だとしたら、今あそこに行くのはやめた方がいい」


「どうして?」


「あそこには聖地アムリタまでの直通ルート。そこに凶悪な虎が出現しているとの噂だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る