第6話 ブルームの街

 山を越えた先に街があった。この街の名前はブルームの街。街中のいたるところに花が咲いている。花壇もかなり手入れされていてとてもきれいな街である。


「わあ! こんなところにいっぱい花がある、これはスイセンだ。初めて見た」


 フィンが花壇の花を見て感動している。ヘイゼルは彼の周囲を警戒している。せっかく花を観賞しているので邪魔はしたくないが、それはそれとして警戒を怠るわけにはいかない。


 事実、フィンに近づく素性のわからない女がいた。女は緑色のエプロンを着用している茶髪の女である。金髪ではないから、聖職者ではない。ヘイゼルはすぐに女を“殴り”にいけるように構えた。


「花が好きなの?」


「はい。僕が育った環境ではあまり花を見ることができなかったから。お姉さんは?」


「私はこの花壇の手入れをしている者。名前はディアナ」


「僕の名前はフィン。よろしく」


 どうやら、この女はフィンに対して害をなすわけではない。下心が感じなかったのでヘイゼルは握った拳をほどき、静観を続けた。


「私はこの近くの花屋で働いているの。良かったら、見ていって欲しいな」


「そうなんだ。ヘイゼルさん。見ていっても良いかな?」


「好きにしてくれ」


 ディアナは目を見開いてヘイゼルの方を見た。口元に手を当てて驚いている様子だ。


「あら。お連れさんがいたのね。てっきり、かわいい男の子が無防備に1人でいるかと思っていた」


「はい。僕の友達のヘイゼルさん。この人はとっても強いんですよ」


 ディアナはヘイゼルに向かってペコリと頭を下げた。


「お強いお連れさんがいたんですね。金髪のかわいい子がいたから危ないなって思って、声をかけてみたんです。でも、あなたがいれば心配はいらないですね」


「なるほど。フィンを守るために声かけをしたと……それは気遣いいただき感謝する」


 この世界の女性は確かに異常なまでに性欲が強く、男性を見ると目の色を変えてしまう。しかし、ディアナのようにそうした性欲に行動を支配されずにまともな行動をとってくれる人もいるのである。


「あなたも良かったら私の花屋に来てください」


「あ、いや。私は別に花は……」


 ディアナのまっすぐな目を見ているとヘイゼルは断る気にはなれなかった。それにフィンも花屋に行くので彼の護衛をするためには一緒に行動せざるを得ない。どっちにしろ、ヘイゼルは花屋に行く運命だったのだ。


「わあ! すごい! 花がいっぱいだ!」


 ディアナの花屋にたどり着くと店の中の花をフィンが興味深そうに見ていた。


「この花。図鑑でも見たことないな。なんて言うんだろう」


「ああ。その花はね……」


 フィンとディアナが楽しそうに会話している。ヘイゼルはその様子をただただ見守っているだけだった。


 2人が楽しそうに話しているとヘイゼルは少し疎外感を覚えてしまった。特に花に詳しいわけでもないヘイゼルは2人の会話に入っていけずに黙っているしかなかった。


 ヘイゼルはため息をつきながら2人の会話が終わるまで待っていた。


「それじゃあ、この花とこの花をください」


「はい。どうぞ」


 フィンは切り花を購入した。その紫色の花を手に持ち、嬉しそうにヘイゼルのところまでやってきた。


「お待たせ。ヘイゼルさん」


「ああ。それにしてもフィン。これから旅をするのに花を購入して、手持ちが邪魔にならないのか?」


「まあ、確かに。そうかもしれないけれど、旅に潤いみたいなものは必要だと思わない?」


「フィンがそれで良いのなら私はそれで良いけれど……」


 花を持っているフィンの足取りは軽くなっている。鼻唄混じりに歩いていると、街の大きな市場へと出た。


「いらっしゃい! いらっしゃい! 新鮮な食材が揃っているよ!」


「ちょっとそこのお兄さん。見てってよ」


 市場の商人たちが道行く人たちに声をかけている。とても活気がある市場で見ているだけでワクワク感で心が昂らせてくれるであろう程である。そんな市場にフィンが興奮しないわけがなく、フィンはすぐに近くの露店へと吸い寄せられるように移動する。


 露店の商人はとても感じの良い好青年で、フィンに気づくとニッコリと微笑む。


「はい。そこのお兄さん。ウチは世にも珍しいキノコを仕入れていてね。ちょっと見ていかない」


「キノコ。わー。すごい。初めてみた」


 長い間、教会の地下にいたフィンは見るもの全てが新鮮でキノコにも興味を示した。図鑑でしか見たことがないキノコ。それをいざ目の前にすると、ついつい手が伸びてしまう。


「これとこれが欲しいかな」


「まいどあり。ありがとうね」


 フィンはキノコを持ってほくほく顔でヘイゼルのところに戻った。


「へへ。買っちゃった」


「まあ、フィンの金だから好きにすれば良いが……散財ばかりしているとすぐに資金が底をついてしまうぞ」


 シスターからある程度の旅の資金はもらっているものの、それでも限度というものがある。まだ旅に出てから最初の街。それも辿り着いて間もないのにフィンは既に2カ所で買い物をしている。


「あ。そっか。お金も無限にあるわけじゃないんだ。まあ、でもなんとかなるでしょう」


 まだ自分でお金を稼ぐという経験をしていないフィンは、お金の大事さ、ありがたみというものをイマイチよく理解していない。


「あのなあ……フィン。これから先の旅に何が起こるかわからない。できるだけ節制したほうが良いぞ」


 ヘイゼルは少し説教じみたことを言ってしまう。言われたフィンはニコニコとしている。


「はーい。ヘイゼルさんが言うなら多分そうなんだろうね」


 フィンはヘイゼルの言うことを素直に受け入れた。キノコを布の袋に入れてフィンは市場を歩く。するとドンとフィンと同じくらいの背格好の少年にぶつかった。


「あ、ご、ごめんなさい」


「っと悪いね」


 フィンはすぐさまぶつかった少年に謝り、少年もフィンを一瞥してその場を急いで去ろうとした。しかし、その去ろうとした少年の肩をヘイゼルがぐっと掴んだ。


「待て。その子から奪ったものを返すんだ」


「……!」


 少年の顔が青ざめる。そして、少年は叫んだ。


「うわあ! 痴女だ! この女、痴女だ! 僕の体に触った!」


「え?」


 少年の急な叫び声にヘイゼルは困惑する。そして、周囲の視線がヘイゼルに向けられた。その視線はとても冷ややかなもので、今この場にヘイゼルに対して良い感情を持っている人間はいない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。違うんだ。こいつはスリで、この子のサイフを盗んだんだ」


 ヘイゼルはちゃんと弁明をする。しかし、少年が急に泣き出した。


「ち、違うよ! 僕はサイフなんて盗ってない! この女がそういう言いがかりをつけて、僕を路地裏に連れ込もうとしてきたんだ」


 涙ながらに語る少年と必死に弁明するヘイゼル。周囲の人たちが信じているのは少年の方だった。


「うわ、さいてー。痴女だけじゃなくて、スリの冤罪まで押し付けようとしてくるなんて」


「引くわー」


「あの子かわいそー」


 ヘイゼルはこの場に居心地が悪くなってきている。


「フィン! お前からもなんとか言ってくれ。サイフを盗まれたよな?」


「え? 僕サイフ盗まれたの?」


 フィンはいまだに自分がサイフを盗まれたことに気づいていなかった。フィンのその発言もヘイゼルの心証を悪くするばかりだった。


「くそ。こうなったら」


 ヘイゼルは無理矢理少年のポケットに手を突っ込んでフィンのサイフを取り出した。


「見ろ。これがこいつがスリの証拠だ!」


「こ、このサイフは僕のだ!」


「わー。僕と同じサイフだー」


 まだ状況がわかっていないフィンはのんきなことを言っている。一方で遠巻きで様子を見ている民衆がざわざわとし始めている。


「うわ、あいつ痴女だけじゃなくて、男の子のサイフまで盗っている」


「どんだけ罪を重ねる気なんだよ」


 1度、犯罪者のレッテルを貼られたヘイゼル。それは簡単には剥がれることはなかった。このサイフがフィンのものであるという証拠をすぐに提示できない。


 だが、ヘイゼルは確かに見た。この少年がフィンのサイフをスるところを。


「誰も信じてないか。こうなったら」


 ヘイゼルはフィンを抱きかかえた。そして――


「逃げる!」


 脚のブーストを最大限出力してその場を逃げ出した。スられたサイフを回収して、フィンと共に逃げ出した。


「あっ……! オレの獲物が!」


 せっかくスったサイフを回収されて少年は落胆してしまった。

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