第18章  『願い』と『約束』①

 「それにしてもおじょうさん、花嫁衣装がこんなにお似合いになるとは。川田家が所蔵する『色打掛いろうちかけ』の中でも最高のものを用意しましたが、その気品に負けていません」



 披露宴会場正面の一段高くなったメインテーブルに座った奈都芽のすぐ傍で、陽ちゃんは人目につかないよう少し屈みながらそう言った。隣の席で紋付袴を着た南野と目が合った陽ちゃんは、南野にニコリと微笑んだ。南野もすぐに微笑み返した。


「無事、結婚できたのも陽ちゃんのおかげよ」奈都芽は陽ちゃんの耳元で小さくささやいた。


「いいえ、とんでもない」陽ちゃんは首を振った。


「ねえ、それにしても……陽ちゃん。どうやってあの母を説得したの?」


 母との交渉を陽ちゃんが成功させて以来、奈都芽はずっとこの質問をしてきた。だが、


「へへ、それはおじょうさんが直接家元さまに聞いてみてくださいよ」


 と、いつも陽ちゃんは答えをはぐらかした。


 陽ちゃんが母を説得することが第一関門だとすると、第二関門は南野家に『父の話』をどうするのかということだった。その機会は陽ちゃんが母を説得して数週間後に訪れた。




「あの……少しお伺いしたいことがございまして……」


 南野の母が奈都芽の母の顔を見ながら話し出した。

 奈都芽と奈都芽の母、南野と南野の母は、陽ちゃんがセッティングしたホテルのラウンジ(いつもケーキバイキングを食べるホテルのラウンジだ)で初めて顔を合わせた。まだ正式に結婚の話をするわけではなかったが、陽ちゃんが仲介役を買って出た。


「少し気になることがありまして……」


 南野の母がそう言うと、奈都芽の母は手にしたコップをテーブルに置き、真っ直ぐに視線を南野の母に向けた。奈都芽の母はいつものように凛とした着物姿だった。


 奈都芽の母に見つめられた南野の母の顔がみるみる緊張してこわばっていくのを奈都芽は不安げな表情で見つめていた。


「奈都芽さんの……奈都芽さんのお父さまのことなのですが……」


 勇気を振り絞るようにして、南野の母がそう尋ねた。


 そう聞かれた奈都芽の母は何も言わず、じっと南野の母を見つめた。あたりの空気がどんどん薄くなっていくような息苦しい、緊迫感が漂っていた。




 しばらくつづいた沈黙を破ったのは奈都芽の母の表情をじっと観察していた南野だった。


「お、お母さん。これ以上は——」


「あっ、そうか」南野の母は息子の目配せを見て、何かに気づいた様子だった。「な、なるほど。し、失礼しました……お父さまはもうこの世にはおられないのですね?」


 そう言われた奈都芽の母は、静かにうなずき、ゆっくりと深く頭を下げた。


 ……また、母は平然とウソを……。


 その様子を呆然と見ていた奈都芽だったが、その口から父の話が出ることはなかった。


 この会合で『父の話』が済んだことから、一気に奈都芽と南野の結婚の話が進んだ。






「本当に色々お世話になりました」


 袴姿の南野が陽ちゃんに向かって挨拶をした。友人たちに勧められたお酒のせいもあってか、その顔が少し赤らんでいた。


「いえいえ、とんでもない。あたしのしたことなんて大したことではありません」


 すっかり南野と仲良くなった陽ちゃんが胸の前で手を左右に振った。




 ……たしかに、陽ちゃんの働きは大きかったな。なんといっても、あの母を説得してくれたんだもん……でも……もちろん、あのカバラ様の力が働いていることは100%間違いない。だって、あのホテルから帰ってからすべてがうまく動きはじめたんだもん……。




 奈都芽はホテル・ソルスィエールで交わした契約書のことを思い出していた。陽ちゃんが母との話し合いに成功したのは、カバラ様と会ってすぐのことだった。


 ……こうして『願い』を叶えてもらったけど、あの『約束』ってどうなるんだろう?……。奈都芽がそう思いを巡らしていると、突然男の声が会場に響いた。


「さて宴もたけなわでございますが——」ベテラン司会者の声が会場中の会話を止めた。


「ここで新婦のお母様による『茶道お披露目会』を催させていただきたいと思います。新婦のお母様は江戸時代から続く由緒正しい茶道の家元で——」


 奈都芽は母のことを紹介する男の話に興味がわくことはなかったが、会場中の参列者はそうではないようだった。


「さあ、入場です!」


 そう司会者の声が発せられると同時に、入り口のドアが両開きで開けられた。




 先頭は、着物姿の奈都芽の母で、その後ろに数十人の着物姿の女性たちを従えていた。


 胸を張り、堂々と歩く母の姿を写真に収めようと、参列者が次々と席を立ち、母たちが歩く両サイドに人垣ができた。


 新郎新婦のテーブルのすぐ前に用意したお茶席にズラリと横一列に並んだ着物姿の女性たちは、一斉にお茶を立てはじめた。




「家元さま!」




 中央でお茶を立てる母を最前列で撮影し、黄色い声をあげていたのは、親族席にいるはずの南野の母だった。すっかり信者になってしまったようで、いつのまにか「家元さま」と呼ぶようになっていた。


「ねえ、陽ちゃん。これじゃあ、この披露宴の主役が誰なのかわからないわね……」


 奈都芽は呆れたように言うと、ため息をついた。


「まあまあ、おじょうさん。そう言わないでください。参列者の方も家元さまのような一流の茶道家をこんなに間近で見られることがないのですから。少しでもおじょうさんの披露宴を盛り上げようと願う家元さまの愛ですよ、愛」


「また、陽ちゃん。もういいって。愛とかそんなのじゃないし。ただ単に自分の威厳を示したいだけなのよ、母は」




 娘の披露宴にもかかわらず、ロビー中に溢れるほどの弟子を引き連れてきた母の自己顕示欲に、奈都芽はほとほと嫌気がさした。

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