第16章 《黒魔術》カバラ様との約束②


 3……4……5……6……


 三階建てのはずなのに、エレベーターがどんどん上昇していく。


 7……8……9……


 さらに上昇し、いっこうに止まる気配がない。


 10……11……


 思わず、奈都芽は隣にいる黒江を見た。だが、奈都芽の視線に気づいていないのだろうか、黒江は何ごともなかったように前をじっと見つめている。


 12……13……


 そのまま上昇し続け、結局エレベーターが止まったのは『』階だった。






「さあ、着きました」


 モーニング姿の黒江が満面の笑みを浮かべた。だが、不思議なことにそれ以上は何も言うつもりはないといった表情をしている。三階建てのエレベーターが『35』階で止まったにもかかわらず。


 しかし、奈都芽が驚かされたのはこれだけではなかった。


 『35』階まで来ただけでも驚きなのに、。この世の光という光、いや宇宙全体の光をすべて排除したような闇だった。エレベーターの明かりだけが唯一の光だった。




 何が起こったのかわからない奈都芽は黒江をすぐに見た。だが、黒江は笑顔のまま暗闇をじっと見つめているだけだった。そのうちに奈都芽はあることに気がついた。


「あれって……なにかしら?」


 遥か先、地平線のかなたといったような先に小さな点のようなものが光っていた。


「部屋の灯りが漏れているのでございますよ、オーナーの」


 奈都芽は黒江と同じようにその光をじっと見つめた。だが、そのうちある異変に気づいた。


「……今、あの点が少し動いたような……」


 奈都芽が不安げにそう言った途端、その光が突如動き出し、どんどん奈都芽の方に向かってきた。そして次の瞬間、




 ピカッ!




 全身強い光に包まれたかと思うと、次の瞬間、ゴーッという轟音と共に電柱をもなぎ倒すかと思われるような強風に見舞われた。


「キャアーーー!」


 奈都芽の悲鳴がこだまし、エレベーターが激しく揺れた。


 しばらくするとようやくエレベーターの揺れが収まり、奈都芽はおそるおそる目を開けた。そして奈都芽は自分の目を疑った。





 真っ暗だった目の前が、


 床だけでなく、壁、そして天空までもが白と黒に分かれていた。





 呆然としている奈都芽に黒江が声をかけた。


「少し明るくなりましたね、これなら歩けるでしょう」


 目の前で起きている異変を理解するのに奈都芽は頭をフル回転させた。だが、どれだけ考えても現実のものとは思われなかった。だが、その中でふとあることを思った。


 ……左が黒で、右が白……まるで、あの白黒猫みたい……。




 三度目の宿泊だったが、今回もこのホテル・ソルスィエールに奈都芽を連れてきてくれたのは、あの例の白黒猫だった。今回も『つるバラのアーチ』を越え、玄関の明かりの下でその姿を見ようとした時にはもうその姿はなかった。


 だから、このエレベーターの中で


「ニャア」


 と、突然その鳴き声が足元から聞こえてきた時、奈都芽は言葉を失った。


 しかし、突然、白黒猫が現れたにもかかわらず、黒江は涼しい顔をしていた。


 エレベーターの中には黒江と奈都芽、白ウサギのラパン、そして白黒猫が立っていた。




「さあ、参りましょう」


 エレベーターから白と黒のちょうど境目あたりに足を踏み出した黒江が、奈都芽に右手を差し出した。


 ためらう奈都芽の横を白黒猫とラパンが通り過ぎ、外に出た。いつのまに持っていたのだろうか、黒江の左手にはがあった。ランタンの中には蠟燭が灯されており、その光が『』を照らし出していた。




 黒江の手に捕まりながらおそるおそる足を踏み出した奈都芽だったが、なにより驚かされたのはその床の感触だった。


「ゼリーの上を歩いてるみたい」


 白黒猫が先頭、黒江、ラパンとつづき、最後は奈都芽が歩いた。まるでトランポリンのように跳ねる床に奈都芽が慣れてきた頃に黒江が振り向かず前を見たまま声をかけた。


「カワタ様、この廊下を歩くにはちょっとしたコ・ツ・がございます。立ち止まったり、怖がったりしないこと。それさえ守っていただければ何も問題はございません。——いや、忘れておりました。あと大事なことが一点。


 それまで気にもしなかった奈都芽だが、そう注意され初めて後ろのことが気になった。




「あっ、あぶない!」


 大きな声でそう叫びながら、黒江が奈都芽の腕を力強くしっかりと掴んだ。


「ね? ?」


 よく見ると、今まで歩いてきたはずのゼリーのような『白黒廊下』がなくなり、断崖絶壁になっていた。崖の下をのぞいて見ると、光のない暗闇が広がっていた。






「さあ着きましたよ」


 ゼリーのような弾力のある床を歩くので精いっぱいだった奈都芽は、黒江のその声で初めて顔を上げた。大きな鉄の扉があった。黒光りした漆黒の扉だった。


 両開きの扉の前で、先頭に白黒猫、その次に黒江、そしてラパン、一番後ろに奈都芽が立っていた。すると、突然、右側の扉が音も立てずに開いた。


 ……え? 誰かが中から開けたの?……。



 奈都芽はおそるおそる中を覗こうとした。


 しかし、白黒猫はいつものことよ、といわんばかりに尻尾を左右に振りながらスルリと中に入っていった。同じように黒江とラパンも何ごともなかったかのように入っていった。 


 奈都芽もその後に入ろうとするが、心に湧いてきた警戒心がその足を動かなくさせた。


 だが奈都芽が戸惑っていると、突然、足下のゼリーのような床がみるみるうちに沈んでゆき、次の瞬間ポーンと奈都芽の体を部屋の中へと放り投げた。投げ出された奈都芽がまるで体操選手のように両足を揃え両手をVの字で着地をした瞬間、バタンとドアが閉まった。


 すぐに振り返ってみたが、そこには誰の姿もなかった。


 部屋の中は深夜の森のように薄暗く、奈都芽は様子がよくわからなかった。


 しばらくしてようやく目が慣れてきたが、目に入ってきたのは、白黒猫と黒江、そしてラパンの姿だけだった。姿勢よく立っている黒江と目が合ったのだが、奈都芽はふとあることに気づいた。




          支配人     





 ……あれ? どうしたんだろう? 名札に書かれているはずの名前がよく見えない。『黒江』って書かれてあるはずなのに……。


 奈都芽がそう考えていると、黒江が柔和な笑顔を見せた。その笑顔に安心した奈都芽は部屋の中を見る余裕が出てきた。


 部屋の右端の方には、木の机を挟んで一人ずつ座れるソファがニ脚。そのソファのすぐ隣には分厚い黒のカーテンが見えた。正面には牛が二、三頭のれるぐらいの大きな机があり、その真ん中に革製の椅子の後ろの部分が見えていた。その椅子には誰かが座っているようで、右に左に小刻みに揺れていた。






「お連れしました、


 そう言うと、黒江は恭しくお辞儀をした。


 それは、つまり、改めて聞くまでもなく、




「ご苦労、


 テーブルの向こうから女性らしき声が聞こえてきた。


 黒江を労う声が聞こえてくると、これで役目は終わり、といわんばかりに白黒猫がその女性らしき人の膝の上にポンと飛び乗った。その姿を目で追っていたのだが、ふと奈都芽が隣に視線を移すと、信じられないことが起こっていた。




             支配人     




 ……名札の名前が、いつのまにか『』になってる……。


 奈都芽はその名札を食い入るように見た。だが、不思議なことはそれだけではなかった。


 ……あれ? 黒江さんの左手首に黒のブレスレットがしてある……あんなのしてたかな?……。


 そう不審に思っていた奈都芽はふとラパンに視線を落とした。


 ……え?……ラパンの首輪が……白の首輪が黒色に?……ど、どういうこと……。


 だが、その疑問を奈都芽が口にすることは不可能だった。薄暗い部屋の中に息をするのもはばかるほどの緊迫感が流れていたからだ。それは奈都芽に母と二人だけでいる空間を思い起こさせた。張り詰めた空気が肌を刺すように奈都芽は感じた。


 しばらくつづいたその静寂を破ったのは、革張りの椅子に座るホテルのオーナーだった。




「早速ですが、カワタ様。先ほどクロエの方からこちらに依頼書が届けられました。あなたの『』という願いを叶えればいいのですね?」


 椅子の向こうから荘厳な落ち着き払った声でそう聞かれた奈都芽は、すぐに「はい」と返事をした。


「このことはすでにクロエから聞いているでしょうが、願いを叶えられるのは一生に一度だけ。そのことだけは理解をしておいてください」


 奈都芽がコクリとうなずくとすぐに声が聞こえてきた。




「では、を使って——」

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