第16章 《黒魔術》カバラ様との約束①
「それにしても、すばらしいお着物ですね。それによくお似合いですよ、カワタ様」
いつものように黒のタキシードに身を包んだ黒江が感心したように言った。
「そういうことじゃないんですよ、黒江さん! 見合いをどうにか——」
「そうでした、そうでした。これは失礼しました。それにしても——」
そう言いながら、黒江は奈都芽が映った見合い写真をまじまじと見つめた。
「このお見合い写真からは……なにか強烈な『念のようなもの』を感じます」
「わかりますか! そうなんです!」
思わずそう叫んだ奈都芽は母のことを詳しく黒江に話した。
「なるほど、どうりで。ただならぬエネルギーの塊のようなものを感じていたんですよ」
「黒江さんて……もしかして、スピリチュアルな修行も?」
「ええ、まあ。ほんの少しですけど、チベットの山奥で修業をしておりました」
そう言うと、黒江は右手の中指にはめられた指輪を見せた。その指輪には黒の宝石が埋め込まれていた。
「その地の最高位の高僧から頂きました。霊力を身につけた証です」
やはりただものではない、と心の中で呟いた奈都芽だったが、いつの間にかその黒く光る指輪に強く惹きつけられていった。その妖しく光る黒の輝きに魅せられていくうちに奈都芽の頭の中に陽ちゃんとカフェで会った時の様子が浮かび上がってきた。
「おじょうさん、なぜそんなに見合いがイヤなのですか?」
……実は、好きな人がいるの……同じ職場で働く南野先生っていうんだけど……。
それが奈都芽の素直な気持ちだった。だから、見合いをしたくないの、と。
だが、なぜか奈都芽は陽ちゃんに南野のことを話すことができないでいた。中学からずっと仲良くしてきたが、いや、仲良くしてきたからだろうか、好きな異性の話をしようとすると途端に恥ずかしさがこみあげてきた。
もちろんそれだけではなかった。
母が強く勧める見合いを陽ちゃんが制止するとは思えなかったからだ。
普段は何があっても、誰が襲ってこようとも全力で奈都芽を守る陽ちゃんだったが、『家元さま』と神のように慕う母が絡むと、途端に弱腰になり奈都芽をどうにか説得しようとする。
「あの、カワタ様」
黒江のその声で奈都芽はハッと気がついた。すっかり困りきった奈都芽の顔を見ながら黒江が尋ねた。
「どうしてもお見合いを中止させたいのですか?」
奈都芽は大きくうなずいた。
「なるほど。でも中止させることだけが目的ではないですね? お見合いを中止させた上で南野先生と結婚したい。それが本心ですね」
そう聞かれた奈都芽は固い決意を示した。「はい」
奈都芽がはっきりと大きな声でそう答えるのを確認すると、黒江はさらにつづけた。
「さて、そうさせていただきたいのはやまやまなのですが、ひとつ問題がございまして。実は、先ほどからこの指輪が——」
そう言いながら、黒江は黒の指輪を見合い写真の上に置いた。すると、途端に指輪がカタッ、カタッと音を立てて揺れはじめた。
「一筋縄ではいかない、というメッセージでございましょう。おそらくわたくしの力でお見合いを中止させることは可能かと思われます。ただ、問題はその後、つまり、南野先生との結婚がどうなるのか、ということです。その際には今回のお見合いとは比べものにならないくらいの大きな念がカワタ様のお母様から発せられることが想像されます」
反論の余地はなかった。心に浮かんできた冷たい母の目がじっと奈都芽を睨んでいた。悪寒が走り、背筋が凍るような感覚に奈都芽は襲われた。
「あの、黒江さん……じゃあ……どうすれば?」
「どうしても、お母様の念を払いのけ、100%完璧に願いを叶えたいですか?」
もちろんといわんばかりに、奈都芽は大きくうなずいた。
黒江は左胸に左手を置いた。そして、ゆっくりと右手を上げながら言った。
「それは、わたくしのご主人様、いや当ホテルのオーナーならば可能でございます」
……このホテルのオーナーが叶えてくれる?……。
奈都芽が疑問を抱いていると、黒江は奈都芽を安心させるように丁寧な口調で言った。
「『お客様の喜ぶことなら、なんでもさせてもらいなさい』というのがご主人様、いや当ホテルのオーナーの口癖でございます」
……でも、人生のかかった願いを叶えるにはそれなりのものが必要なはず……。
「お金? いや、ご冗談を!」と、心の底からおかしそうに黒江が笑った。「ご主人様、いや当ホテルのオーナーがお客様を喜ばせるためにお金を取るなんて絶対にございません! そのことについては、この黒江が命を懸けてお約束します!」
黒江は背筋を伸ばし、胸を張った。
……この黒江さんが言うんだもん。お金を取られることは千パーセントないわ……。
「ただし——」
そう言うと、黒江は一本右手の人差し指を立てた。
「ただし、いくつか決まりがございます」
……決まり?……。思わず、奈都芽の体がこわばった。
「まずは、この紙にお名前と叶えたい願いを書いていただきたいのです」
いつのまに、どうやって準備したのか、黒江は手に紙のようなものを持っていた。
「依頼書でございます。念のため、当ホテルのオーナーが、カワタ様の願いを叶える『意志』があるのかを確認させていただきたいのです。ただし、気をつけてください。この依頼書の提出期限は今夜十二時、この部屋にある、あの時計が十二時の鐘を鳴らし終わるまでが期限でございます」
黒江が指で差した先には木製のアンティークの掛け時計があり、それが時を刻んでいた。
「では、カワタ様。わたくしは、このへんでおいとまします。依頼書を提出されるようでしたら、フロントにお電話をください」
黒江は深々とお辞儀をし、シルバーのワゴンを押して、ドアのところまで行った。そこで、もう一度礼をすると、ドアノブに手を置いた。そのまま出ていくのかと思われたが、振り返りながらこう言った。
「それと一点言い忘れておりましたが、当ホテルのオーナーに願いを叶えてもらえるのは一生に一度だけでございますので、よくお考えください」
……一生に一度だけ?……。
奈都芽は一人になると、黒江の最後の言葉が気になりはじめた。果たして、見合いを中止、南野と結婚をするという願いに使ってもいいのか?
だが、もちろんそんなことを考える必要は奈都芽にはなかった。
すぐさま奈都芽はフロントに電話をかけた。
名前と願いを書いた依頼書を黒江に提出すると、まもなく『了承された』という内線がかかってきた。
「どうぞ、ということです」
「コン、コン」
ドアを叩く音がした。
「ラパン」
自然と声が高くなった奈都芽は白ウサギの姿を見ると、すぐに抱きあげた。首に巻かれた白の首輪が奈都芽の頬に当たった。
「カッチ、カッチ」
「なに? この音?」
奈都芽は耳を澄まし、その音の正体を探ろうとした。だが、すぐに
「お待たせしました、カワタ様」
開いたドアの向こうに黒江が立っていたことから、その音のことを忘れてしまった。
「五分後にお部屋にお伺いします」
先ほどの電話口で黒江はそう言った。
その時間を知らせるために来たラパンと黒革の大きな手帳を手にした黒江の後ろについて奈都芽はエレベーターへと向かった。
エレベーターのすぐ横には階段があり、そこには『立ち入り禁止』と書かれた白のプレートがかけられていた。
……たしか、三階はこのホテルのオーナーの部屋があるはず。そちらには行けないようにしているということね……。
エレベーターが動き出した。
黒の手帳を持った黒江は背筋を伸ばし、白ウサギのラパンはその隣でちょこんと座っていた。階数を表示する数字が、『2』から『3』へとかわろうとしていた。
その数字が切り替わろうとする様子を見ながら、奈都芽は思った。
……いよいよ、オーナーのいる三階に到着するわ……。
だが、次の瞬間、目を疑うことが起こった。
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