第15章  パーティーの主役・スポットライトの当たるさき②

「カワタ様。もちろんレンタルドレスを着ていくな、と言っているわけではございません」


 あのホテルの部屋で黒江がそう言ったことを奈都芽は思い出していた。


「しかし、それではライバルである『薫さんの土俵』で戦うことになり、不利な展開が予想されます。そうではなく、あくまでも『』に立ちましょう」


「私の土俵?」


「ご実家が茶道の家元ということはおそらくがたくさんあるはずでございます。パーティーに参加する女性全員がドレスを着ていくなか、ひとりだけ着物を着ていけば南野先生のお母様に強い印象が与えることができるはずです」




 その黒江のアドバイスを信じ、例の見合いの件以来ずっと連絡をしてこなかった陽ちゃんに奈都芽は電話をかけた。


「ハイ! 着物のことならおまかせください! 家元さまの和箪笥には図書館の本棚のようにぎっしりと着物が詰まっていますから!」


 電話を切るやいなやすぐに飛行機に乗り込んだ陽ちゃんは、両手にいっぱいの着物を持って奈都芽の部屋へとまさに飛んできた。




「あなたが川田さんね。さあ、もう少し近づいて」


 そう言うと、南野の母が手招きをした。言われるままに前へ進んだ奈都芽を、南野の母が真剣な表情で見つめた。


「もうやめてください、お母さん。川田さんをそんなに睨んだら失礼に——」


「静かに!」


 南野の言葉を遮った母がさらに一歩近づいた。そして、奈都芽の手を握りこう言った。





「え?」思わず薫の口から声が漏れた。


「お、お母さん」驚いたように南野が呟いた。


「……」何が起きたのか理解できない奈都芽は呆然としていた。


 そんな三人の様子を気にする素振りも見せず、南野の母が感慨ぶかげに言った。


「我が家のパーティーでこんな素敵な着物を見せてもらえるなんて、初めてのことです」




 奈都芽はその言葉を何度も頭の中で再生してみた。そして、そのうちようやく現状を把握しはじめた。


 ……こ、これって……も、もしかして……着物が褒められたってこと……じゃあやっぱり黒江さんのあのは当たっていたのよ……。





 奈都芽はもう一度ホテルで黒江と話したときのことを思い出していた。


「でも、黒江さん。この写真を見てください。薫さんのお父様のコンサートに先生のお母様がドレスで——」


「カワタ様」黒江が奈都芽の言葉を遮るように言った。「それは心配御無用です。を見てください」


 そう言うと、黒江は奈都芽の手からスマホを受け取り、写真を見せた。


「こ、これがなにか?」奈都芽は首を傾げた。


「よく、ご覧になってください。これは薫さんがホテルのラウンジのようなところで南野先生のお母様と撮影したもの、とのことでしたね?」


「……ええ……でも、それがどうかしましたか?」


 頭の中で『疑問符』がフワフワ浮いている奈都芽に、黒江は笑顔で言った。


「この写真の後ろの方に『お抹茶を楽しむ会』という看板が見えるのがわかりますか?」


「お抹茶?」奈都芽は黒江が指し示した先に注目した。


「実は、わたくしは


「え? ホテルの構造を?」


「そんなに驚くことではございませんよ、カワタ様。ホテル・ソルスィエールの支配人たるもの、著名なホテルの構造を把握しておくことなど当然のことでございます」


 何ごともないかのように黒江はそう言ったが、奈都芽は唖然としていた。


「それはさておき、この看板のある和風の喫茶がある場所は一階の受付のすぐ近く、一方薫さんが好むような洋風のカフェがあるのは二階でございます。恐らくですが、何かしらの情報を掴んだ薫さんは一階のロビーで待ち伏せをし、和風の喫茶に入ろうとしていた先生のお母様に偶然を装い声をかけ、そして撮影したと考えられるのではないでしょうか? そうでないと、撮影場所がここであった説明ができません。つまり、南野先生のお母様は洋風のものはもちろん好きなのでしょうが、実は『』のものにも興味があることが考えられます。ですからカワタ様は『』でパーティーに参加すべきなのでございます」




「これまで美しいドレスはたくさん見てきたけど、着物もいいものね」


 そう言うと南野の母はうっとりとした表情を浮かべた。

 そう褒められた奈都芽の頭の中に陽ちゃんが話していた光景が浮かんできた。


「この着物に袖を通すことができるのは川田家の後継者であるおじょうさんだけですよ! 家元さまが持っている着物の中でも別格中の別格ですから!」


 しばらく着物を見つめていた南野の母が思い出したように言った。


「それにしても、川田さんのようなお若い方がなぜ着物を?」


「実は、実家が茶道の家元でして」と奈都芽が答えた。


「まあ、茶道の家元なの! 素敵ね! 実は、最近『和』のものに興味があるのよ!」


 そう興奮気味に言うと、南野の母はさらに奈都芽に近づいた。




 ……さすがは黒江さん……見事にあの写真からお母様の趣味を当てたわ……。


 そうホッとしていた奈都芽だったが、後ろの方からなにやら厳しい視線のようなものを感じた。おそるおそる振り向くと


 ……うわっ……薫さんの目が怖すぎる……。


 南野とその母がいる手前、必死に表情を装ってはいたが、薫の目は奈都芽にこう強く語りかけていた。


 《なにが着物よ。なにが茶道の家元よ。どうせ昨日、今日始めたお茶の先生でしょ。わたしの家とは伝統が違うわ!》




 薫の差すような視線から逃れるようにして前を向いたとき、南野の母が突然言った。


「そうだ! ちょうどいいわ! 川田さん、こっちへ来て!」


 そう言うと、奈都芽の手を取り、パーティー会場を抜け出した。

 残された南野と薫は何が起こったのかとわからずその場に立ち尽くしていた。




「ねえ、見て!」


 会場に戻ってきた南野の母がその場でずっと待っていた南野と薫に声をかけた。


「昔、祖母からもらっていた着物を一度は着てみたいと思っていたのよ!」


 その声に吸いよせられるようにして、あっという間に人だかりができた。


「まあ、南野さん! 綺麗な着物ね」黄色いドレスを着た女性が感嘆の声を上げた。


「あら、ありがとう。それにしても、聞いて。この川田さんってすごいのよ! お若いのに、着付けをあっという間にすませちゃうのよ!」


「まあ、ご立派ね!」


 そう褒められた奈都芽はチラリと薫の目を見た。


 《着付け……着付けがなによ》


 薫は平静を保つのがやっとという表情だった。


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