第14章  シンデレラ(的)憂鬱の行方③

「ど、どうして、そんなことが?」


 奈都芽は小さく呟いた。……い、いったい、黒江さんて、なにもの?……。

 胸をはり毅然とした態度で座る黒江の姿を奈都芽は驚きの表情で見つめた。



「簡単なことでございますよ、カワタ様。座る姿勢が美しいからですよ。その姿勢は一般家庭ではなかなか身に着くものではございません」



 ……そういえば、先生にも同じようなことを言われたような気がする……。


 奈都芽はかつて弁護士事務所で『道上』先生と交わした会話を思い出した。




「しかし、それだけではありません」黒江が微笑みながら言った。「実は、初めて宿泊されてお名前をご記入していただいたときからすでにわかっておりました」


 まるでミステリードラマの探偵が謎を解き明かすように黒江はつづけた。


「カワタ様のお名前は、『』。つまり、『なつめ』でございます。茶道で抹茶を入れておくための容器でございますよ」


「え? そうなの……」


 黒江の指摘により、家元の娘であるはずの奈都芽は初めて自分の名前の由来を知った。


「そう考えますと、今回のパーティーのはもう決まったようなものでございます。カワタ様が着ていく衣装は——」





「コン、コン」

 ドアを叩く音が朝のモーニングコールだった。


「おはよう、ラパン」

 挨拶をすると、奈都芽はすっかりお気に入りになった白ウサギのことを抱きあげた。抱きあげると、首に巻かれた白の首輪が奈都芽の頬に当たった。


「カッチ、カッチ、カッチ」と、規則正しい音が聞こえたが、昨日の晩黒江によって問題を解決してもらい気持ちが晴れた奈都芽はその小さな音に注意を払うことはなかった。




「キャア」


 前回同様、奈都芽は黒く輝くクラシックカーの後部座席で右に、左に体を揺すられた。


「ご安心ください。これでも、わたくしは——」


 その度に黒江は胸のポケットから国際A級ライセンスのカードらしきものを奈都芽に見せた。誰かが意図的に壁にぶつかるように作ったのではないかと思うほど狭い道を、黒江は一度もハンドルを切り返すことなく進んだ。




「では、昨日言わせていただいたように、をお願いしますね」




 急な坂道を下り、『秘密の近道』を通って、例のバス停に着いたときに黒江がそう言った。

 去り際に黒江がした右目のウインクの様子が奈都芽の心の中にいつまでも焼きついていた。


 前回同様、やはりあの老婆の店はなく、奈都芽はバスに乗った。






「しょうがないか……」


 ホテルからの帰りの電車の中で奈都芽はスマホを握りしめながらそう呟いた。

 黒江のアドバイスに従うには奈都芽ひとりでは不可能であることは明らかだった。


「……でも……」


 ほんの少しその画面を指先で触れるだけですぐに通じ合うことができる。相手の声が聞ける。だが、奈都芽はいつまでもそのボタンを押すことができないでいた。




「トン、トン」


 玄関から奈都芽の部屋のドアを叩く音が聞こえてきた。

 一階のオートロックの鍵は解除し、部屋のドアのロックも外しておいたのだから、自ら開けることができるはずだった。


 玄関まで行き、奈都芽がドアを開けると、そこには


「……お、おじょうさん……」


 両腕の輪の中に荷物を持ちすぎてドアノブを掴むことすら困難な陽ちゃんの姿があった。


「……ひ、久しぶりですね……」


 山のような荷物の横からどうにか顔を見せ、そう言った。その顔は涙で濡れていた。

 荷物を包んだ風呂敷が白いことから、白い大きな壁がそり立っているように奈都芽の目には映った。


 さんざん悩んだ挙句、パーティーに向け協力してもらう決心をした奈都芽は電車の中から陽ちゃんに連絡をしていた。




「それで、母にはを話してくれたの?」


 荷物を下ろし、ようやく落ち着きを取り戻した陽ちゃんに奈都芽はそう尋ねた。


「それが……」


 陽ちゃんは弱りきった表情で口ごもった。


「まだ断ってくれてないのね?」


「……それが、実はここ数週間、家元さまが極端にナーバスになっておりまして、とても話しかけられるような状態ではないのです」


 陽ちゃんにそう言われた奈都芽は母の顔や苛立った様子を想像してみた。


 ……怖い……。


 もしも、自分が陽ちゃんの立場なら、と考えた奈都芽は体がこわばるのを感じた。


「おじょうさんに頼まれた約束を守れなくて……それで、ずっと連絡が遅れてしまいました。すみませんでした」


「もういいわ、陽ちゃん。あの母が機嫌が悪いんだもん。警察官だって近づくことはできないわ。でも、母の機嫌が少しでもよくなったら、絶対に見合いの件は断っておいてよ」





「うん、これがいいですね!」


 鏡の中に映る奈都芽を見ながら、陽ちゃんがそう言った。


「さすがは、おじょうさん! お似合いです!」


 陽ちゃんはそう言うと、奈都芽の写真を撮った。




「まあ、たしかにこれをパーティーに着ていくよりは先ほどの衣装の方がいいとは思います。しかし、せっかくレンタルしたのですから一度着てみましょうよ。あたしも見てみたいですし」


 そう陽ちゃんに促されて奈都芽は予約しておいたドレスを着てみた。


 鏡に映ったドレス姿を二人はまじまじと見つめた。


「やはり、先ほどの衣装の方がいいですね。でも、せっかくですから一枚記念に」


 そう言うと、陽ちゃんは奈都芽のドレス姿をスマホで撮影した。


「やっぱり、私、ドレスはやめるわ」


「そうしましょう、おじょうさん」


 黒江のアドバイスに従い、奈都芽はパーティーの衣装の準備を終えた。




 ……陽ちゃんのおかげでようやく準備ができた…………。




 久しぶりに再会し仲直りをした二人の会話は弾みに弾み、終わることはなかった。


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