第14章 シンデレラ(的)憂鬱の行方②
「ニャオ」
奈都芽の足元に座っていたのは、体の左半分と右半分が左右対称の白黒猫だった。
振りかえるとそこには見事に咲き乱れた『つるバラのアーチ』があった。
時刻は夕暮れを過ぎ、あたりが薄暗くなっていたが、その美しさは誰の目にも明らかだった。芝生や池、さらにはバラ園、そして建物のすぐ横の真っ黒な旧車もどれもみごとに手入れされていた。
……この広大な庭園や車の管理をあの黒江さんがたった一人で……。
奈都芽は改めて驚きを感じざるをえなかった。
「代わりに私が行きます」
奈都芽は何度か断ろうとする南野を説得するようにして、代理として出張に来た。駅前で宿泊することも考えたが、やはり、結局、この前のバス停で下車をした。この前と同じように(トントン、と音を立て、白と黒のボールがぶつかり)、白黒猫が現れ奈都芽をホテルまで導いた。猫が現れたときに一瞬、バス停の近くで明かりが点き(この前見た)老婆の姿が見えたような気がした。だが、振り向くとそこには誰もいなかった。
「いらっしゃいませ。ホテル・ソルスィエールへ、ようこそ」
今日こそは玄関の明かりの下で白黒猫の姿をしっかり目に焼きつけよう。そう思っていた奈都芽だったが、瞬きをした時にもう猫はおらず、代わりに黒のモーニングコートを着た支配人の黒江が目の前にいた。
「なるほど、やはり、そうですね。少しだけ、失礼しますね」
そう言うと、黒江は上から下、それにぐるりと奈都芽の後ろに回り観察をした。
「眼鏡もよかったですが、やはり、カワタ様はコンタクトにされた方がより素敵ですね。それに体にフィットしたそのスーツもお似合いです」
「あ、ありがとうございます」
黒江に褒められた奈都芽はこの前のアドバイスのお礼を言った。
「そして、驚くほどすばらしい笑顔です。まさにエクセレント」
そう言うと、黒江はニコリと微笑み、奈都芽をホテルの中へと招き入れた。
「キレイ」
二度目にもかかわらず、ロビーに足を踏み入れた奈都芽から思わず声が漏れた。
奈都芽の足を包み込む真っ赤な絨毯はふかふかで、ロビー中取り囲むようにした漆喰の壁はシミひとつない真っ白なものだった。磨き上げられた黒江の革靴がシャンデリアの光を反射させていた。
「落ち度など、許されるはずがないのですから」
ここまで見た完璧な景色は奈都芽にこの前聞いた黒江の言葉を思い出させた。
鍔のついた丸めのハットをかぶった黒江は、以前と同じように銀縁の丸眼鏡をかけていた。ぐるりと円を描くようにした口髭には白髪が少し混じっていた。
「カワタ様、このあいだも言わせていただいたのですが、決して三階には上がらないでください。当ホテルのオーナーのプライベートルームとなっておりますので」
木製の黒いエレベーターに乗りながらそう説明を受けた奈都芽は、二階に着くと初めて宿泊した時と同じように「202」の部屋に通された。
部屋に入る直前に、向かいの「204」の扉が少し開いたような気がした。気配を感じた奈都芽はすぐにそちらを見た。
……ま、また?……。
奈都芽は今なにかが動いたような気がした。
実は、それは南野の代わりに訪問した会社の帰りから何度か感じていたものだった。奈都芽は白とも黒とも灰色ともわからぬなにかにあとをつけられているような気がしていた。
「さあ、どうぞ。お入りください」黒江はドアを開けながら笑顔で言った。
……私のかんちがいかも……。
前の部屋の様子が気になる奈都芽だったが、プライバシーを徹底する黒江からなにかを聞けるとは考えらないことから、何も言わずあとについて部屋に入っていった。
「
前回と違いメイン料理を魚にした奈都芽は、黒江の料理を堪能していた。真っ赤なランチョンマットの上に置かれたキャンドルが仄かに揺れていた。
……もう、何枚写真を撮ったかしら……。
ヨーロッパの三ツ星レストランで修業した黒江が作る料理はどれも絶品で、かつ美しいものばかりで奈都芽のスマホのシャッターを押す手が止まることはほとんどなかった。『従業員が黒江ひとり』とは思えないほどスムーズな配膳に改めて奈都芽は感心させられた。
デザートであるイチゴのシャーベットを食べ終えた奈都芽を見届けると、黒江は机を片づけ、『天然温泉』であるお風呂と『ブランシスリー』仕込みのクリーニングなどについて説明を始めた。だが、
「……」
奈都芽はその説明をうわの空で聞いていた。
もちろんすでにそれらのサービスの素晴らしさを体験していることから、もっと強い関心を寄せてもおかしくはなかった。だが、突然現れた例の白黒猫に美しいホテルに導かれ、何をしても完璧な黒江の食事を楽しんだあとに、すっかり忘れていたある問題が奈都芽の心の中に浮かび上がってきた。
……そうだ……パーティーに着ていく……ドレスが……。
「どうかされましたか?」
もちろんあの黒江がその小さな変化を見落とすわけはなかった。落ち度など許さ——。
黒江にそう声をかけられた奈都芽はしばらく悩んでいたが、そのアドバイスの効果を思い出し、力を借りることにした。
「実は——」
初めて相談をした時はなかなか切りだせなかった奈都芽だが、二度目は素直に南野の話をすることができた。
「なるほど。では、カワタ様はわたくしのアドバイスに従い、このようにイメージチェンジと笑顔の練習の結果、憧れの南野先生に食事に誘ってもらった。しかも、その際に受験勉強の手伝いを提案してもらうなど、以前よりずいぶん距離が縮まった、と」
黒江は念を押すように確認すると、胸元から取り出した黒のメモ帳のようなものに何かを書き込んだ。そして、さらにつづけた。
「しかし、ライバルである薫さんがそれを上回る勢いでどんどん南野先生と仲良くなっている。二人は年が離れているとはいえ、幼稚舎から大学まで同じで、しかも家が近所である。その上、互いの両親も面識があり、南野先生のお母様に薫さんが気に入られているようだ、と」
そう確認された奈都芽は小さくうなずいた。
「それで、この方が南野先生のお母様なのですね?」
薫から送られてきた薫と南野の母とのツーショット写真を黒江が確認した。
写真を見るために渡されていたスマホを奈都芽に返すと、黒江は「フムフム」と言いながらメモをした。
「さて、これらがこの前宿泊していただいた後起こったこと。そして、今カワタ様に降りかかっている問題が、南野先生に招待されたパーティーに着ていくドレスをどうするか、ということですね?」
黒江がそう念を押すように言うと、奈都芽は「まさしくそれ」というように大きくうなずいた。
書きこんだメモを、黒江はしばらくじっと見つめながら、口の周りの髭を右手の人差し指で円を描くようにゆっくりと撫でていた。何かを考えているような顔つきだった。
……この前も見たけど、あまり見たことのない髭の触りかただな……。
奈都芽はそう思いながら見ていた。だが、グルグルと何周か回ったとき、黒江の手が急ブレーキをかけたように突然止まった。そして、ゆっくりと人差し指を口の前に立てた。
「クラシック音楽の名門の家柄のお嬢さまである薫さんに対抗する方法が見つかりました。
先に謝罪をさせてください。
もしも間違えていたら、すみません。
恐らくですが、カワタ様のご実家は『茶道』の家元ではございませんか?」
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