第14章  シンデレラ(的)憂鬱の行方①

「おはようございます」


 笑顔で交わした朝の挨拶からも、奈都芽と南野の関係の良好さが伺えた。奈都芽と挨拶を交わすようになってからの南野の表情は以前に比べ明るく、朗らかなものになっていた。


 ……南野先生になら、お父さんのことを話すことができる……。


 奈都芽は昨夜見た青のファイルのことを思い出していた。あの文面からは冤罪に苦しむ人たちを救いたいという強い決意が読み取れた。伝説の弁護士といわれる『道上先生』に対する敬意の払い方を考えてもそれは間違いのないことのように奈都芽には思えた。



 昼食のあと、近くのコンビニで買い物をすませた奈都芽はエレベーターに乗った。チンという小さな音ともにドアが開くと、受付で楽しそうに話す二人の姿が見えてきた。


「あら、ナツメ。こんにちは」


 普段年下にもかかわらず「ナツメ」と呼び捨てで、さらには決して自ら挨拶をしようとしない薫が満点の笑顔でそう言った。もちろん、隣に立つ男の目を意識してのことだった。


 ……いつもながら薫さんの裏表のある態度には言葉が出ないわ……。



「やあ、川田さん」薫のすぐそばにいた南野が笑顔で手を上げた。


「ちょうどいいところに来たわね、ナツメさん。昨日の夜、送ろうと思ってたんだけど、ついつい忘れちゃって——」


 そう言いながら、薫はスマホを奈都芽に見せた。


「お父様の凱旋コンサートに南野先生とお母様がいらしてくれたのよ」


 画面にはオペラ衣装を着た背の高い男と薫、そして南野とその母が映し出されていた。


 ……うわ……全員、華やか……。


 写真を見た奈都芽は思わず二、三歩後ずさりしてしまいそうな気持ちになった。


 そんな心の内を察してか、薫は南野にはわからないようにして視線を送ってきた。


 




「そうだ、いけない。忘れるところだった。母から伝言があって。お礼といってはなんだけど、今度うちでちょっとしたパーティーを開くんだ。母が薫さんに是非って」


 南野がそう言うと、薫はすぐに反応した。


「エー、いいんですか!」


 CMにでも出られそうなほどの笑顔だった。薫は南野にその笑顔を向けながら、ストップウォッチでも計測できないほどの一瞬の隙をつき、奈都芽と目を合わせた。


 《どう、羨ましいでしょう? 先生のお家うちに招待されちゃった》




 だが、次の瞬間、その非の打ちどころのない薫の笑顔が数ミリほどこわばった。


「そうだ。よければ川田さんもどう?」


 少し照れた表情で南野がそう言った。


 まさか誘われることはないと思っていた奈都芽は、薫の目を気にしながらもその誘いを受け入れた。「……はい」


 奈都芽が答えるのを見届けた薫は、すぐに元の寸分たがわぬ完璧な笑顔で言った。


「まあ、ナツメさんと一緒にパーティーに出られるなんて楽しみだわ」


 そう言われた奈都芽は笑顔を見せたが、内心は穏やかではなかった。


 ……薫さんって、凄い。心にもないことをあんなに堂々と……。




「それにしても——」薫は奈都芽に向けられた南野の注意を引くように言葉をつづけた。


「先生のお母様のお目汚しにならないようなドレスを着ていく自信がないです……」


「そんなこと気にしなくていいと思うよ、薫さん。昨日だって素敵なドレスを着てたし」


「エー、そんなこと——」


 褒められて気分がよさそうな薫がなにかを言いかけたときに、南野の胸の辺りが震えた。


「どうしたんだろう? 金村先生からだ」


 そう言うと、二人に会釈し、南野はスマホを手にしながら廊下を歩いていった。




 南野の後ろ姿が見えなくなるまで笑顔で見届けた薫が、ゆっくりと奈都芽の方を向いた。


「ねえ、。パーティーに来るつもり?」


 薫の顔にはさっきまでの笑顔はなく、いつもの冷たい声が戻っていた。もちろん『ナツメさん』の『さん』はどこか遠い彼方の世界に消え去っていた。


 薫に質問された奈都芽は弱弱しい、小さな声で「ええ」とだけ答えた。


「南野先生のお家うちって、ナツメが見たことがないような広いお屋敷なのよ。そんな家で舞い上がったりしない? それにね、先生はさっき言わなかったけど、参加者は』の人ばかりだから、あなた居場所がなくて恥をかくかもしれないわよ」


 そう言うと、薫は冷たい視線を奈都芽に向けた。


 ……それなりの『家柄』か……。


 奈都芽は一気に不安になった。


 不安そうな奈都芽の顔を見て、薫がさらにつづけた。


「ところで、ナツメ。あなたドレスは持っているの? それともそのピッタリとしたスーツで行くつもり?」




 午後からの仕事はなかなか手がつかなかった。


 ……先生に招待してもらえてすごくうれしいけど、何を着ていけばいいんだろう?……。


 斜め前に座る南野の顔を見ながら、奈都芽の頭はグルグルと回りつづけた。




 自宅に帰ってからも奈都芽の頭の中は休まることはなかった。


「かわいいけど、これを着ていくわけにもいかないし」


 クローゼットを開けた奈都芽は、この前黒江に勧められたシャツとスカートを見ながらそう言った。


「もちろんこの服も全部だめだろうし」


 陽ちゃんが用意してくれた大量のぶかぶかの服を見ながら、奈都芽は首を傾げた。




       「……パーティーに着ていくドレスがない……」




 まるでシンデレラのセリフのようなことを言った奈都芽は大きなため息をついた。そんな奈都芽の悩んでいる姿をどこかで見ていたかのように、机の上のスマホが小さく動いた。


『さあ、どのドレスにしようかしら?』


 コメントと共に、薫の部屋のクローゼットらしき写真が数枚送られてきた。花嫁衣装のレンタル業者か、と思うぐらい大量のドレスがびっしりと収められていた。


「どうしよう……」


 薫の写真を見て焦った奈都芽は、結局、ネットでドレスのレンタル予約をすませた。




 次の日のオフィスでも奈都芽の心はフワフワ漂っていた。


 ……頼んだのはいいけど……ドレスなんて着たことないし。それに、そもそも似合うのかな?……。


 今にもどこか遠くに流されてしまいそうなほど気持ちが揺れていた奈都芽をどうにか現実世界に引き止めていたのは、斜め前で真剣な顔つきで仕事をする南野だった。


 ……でも先生のお家には行きたいし……。


 そう心の中で奈都芽が呟いたときに、電話が鳴った。南野を見つめていた奈都芽よりも一瞬早く藤田が受話器を手にした。




「南野先生、

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