第7章 《黒魔術》迷いし者に課された使命③
そう考えたわたくしは、木の格子の隙間から中を覗いて見たのです。
宇宙の光という光をすべてかき集めてきたのではないか。そう思ってしまうほど、その光のエネルギーは凄さまじいものでした。
「触れてみたい」
強い衝動がわたくしを突き動かしました。
気がつくと、光の玉を守るようにしてある木の格子に手を置いていました。
しかし置いたと同時に、思いもよらないことが起こりました。触れた木の格子が小刻みに震え、四角であったはずの木の枠が丸くなってしまったのです。そして、次の瞬間、その小さな穴のような枠がどんどん広がり、あっという間にすべての木の格子がまるで溶けるようにしてなくなってしまったのです。
「……」
あまりの出来事に言葉を失いました。
それまで小刻みに揺れていた黒の指輪がブルブルと音をたてるようにして動き出しました。
ただごとではない。すぐに引き返そう。そう思わなかったわけではありません。
しかし、格子がなくなったおかげで、さらに一層その光の玉を見ることができるようになってしまったのです。
「あの光を、あの『力』を手に入れたい」
強い欲望に駆られたわたくしは社殿の中に足を踏み入れました。その光に、その『力』に吸い寄せられるようにして。
「わたくしが求めていたものはまさしくこの『力』だ。
これさえ手に入れば、わたくしの霊力はこの世で最も強いものになる」
この思いにからめとられるようにして、わたくしはもう一歩中に進みました。
でも、踏み入れるべきではなかったのです。
その光の玉に近づこうと足を動かした瞬間、ぽっかり大きく空いていた入り口がどんどん元の木の格子に戻りはじめてしまったのです。それを見たわたくしは、慌てて外に逃げ出そうとしました。しかし、何か巨大な力に巻き込まれるようにして、体が光の玉に吸い寄せられてしまったのです。そして、わたくしは、
「アー!」
という大声を上げながら、その場に倒れこんでしまったのです。
どれぐらい意識を失っていたのか、それはよくわかりません。
ただ、目を覚ましたとき、体中のあちこちが痛く、頭がぼんやりとしていたことは覚えています。そして、目を開けたとき、あることに気がついたのです。
「ここは、あの社殿ではない」
いつの間にか、わたくしは、これまで味わったことのないふかふかな絨毯の上で寝ていたのです。
しかし、その部屋はあの森と同じぐらい暗くもありました。
頬を擦りながら、体を起こしてみると、すぐ近くに大きな机のようなものがあるのがわかりました。
そちらとは反対の方に目をやると、遠くの方にうっすらとドアのようなものが見えていました。あのドアから逃げよう。そう思って、わたくしは立ち上がり、歩きはじめようとしました。まさに、一歩を踏み出そうとしたそのとき、女の声が後ろから聞こえてきたのです。
「あそこで何をしていたの?」
「何をしていた?」
「なるほど。知らない振りをするつもりなのね」
その声は机の向こうから聞こえてきたようでした。ただ、あまりの部屋の暗さに相手の正体は不明なままです。
心が痛みました。『しら』を切ろうと思っていたことがばれてしまったのですから。
ただものではない。女の正体を確かめようと、机の向こうをじっと見つめました。すると、また声が聞こえてきました。
「なるほど。ちょっとは、それらしき霊力を備えているようだわね」
こちらの様子を観察したのでしょうか、女はおかしそうにそう言いました。
それらしき霊力?
わたくしはそう言われて、むっとしてしまいました。
チベットの山奥で身につけた霊力で多くの相談を受け、普段は「先生」と言われていたのですから無理もありません。その力の証として授けられた黒の指輪が今もこの右手にあるのですから。
「あなたね——」
気がつくと、わたくしは声を荒げていました。
しかし、机の向こうの女はそんなわたくしの言葉を遮るようにこう言いました。
「もう一度だけ、チャンスをあげましょう。あなたは、あそこで、何をしていたの?」
そう聞かれたわたくしは、ゆっくりとつばを飲み込みました。
あの光の玉の話をするべきか? あの『力』を手に入れようとしていた、と。
そう考えを巡らし、どう答えるか決めかねていたにもかかわらず、どうしたことか勝手に言葉が出てしまいました。
「森の中に迷いこんでしまい、たまたまあの社殿を見つけてしまいました。何かが光っているようだったので、興味本位で見ていただけです」
女はそれを聞くと、ゆっくりと答えました。
「そう」
今、思うとこの時点で会話が成立していたのかもしれません。
光っているものに興味が湧いた。だから、中を覗いた。だが、いつもと違う心理状態だったせいか、わたくしの口が勝手に動いてしまいました。まるで何か辻褄を合わせるようにして。
「社殿の中を覗いているうちに、大切な黒い指輪を落としてしまいました。その指輪を探そうと、初めは外から見ていました。だけど、影が邪魔でよく見えなかったので、格子戸を開けて中に——」
「黒い指輪?……影が邪魔で見えなかった?」
遮るように女が言いました。すべてを見透かしたような声でした。
ありもしない話をしてしまい、かつそれがばれてしまったわたくしは動揺し、一瞬、心臓が停まりそうになりました。部屋が暗くて相手には見えていませんでしたが、わたくしの右手には失くしたと言った黒の指輪がはめてあるのです。指輪をしている手が汗でべっとりと濡れておりました。
女の尋問はさらにつづきました。
「あの社殿の中に……指輪を落としたのね?」
引くに引けなくなったわたくしは、その問いにゆっくりと答えました。
「……はい……」
思いあまって、わたくしはウソをついてしまったのです。
なぜ黒の指輪を落としたなんて言ってしまったのだろうか? 今すぐにでも撤回できないものだろうか? すみません、今のはまったくでたらめなウソです、と。
ここにその指輪があるのです、と。
それからしばらく沈黙がつづきました。
今、思いかえすと、そのわずかな時間はわたくしにウソであることを告白させる最後のチャンスを与えてくれていたのかもしれません。
しかし、結局、わたくしはその機会を手に入れることはできませんでした。
時間切れのブザーが鳴るように、女がはっきりとした口調で話を始めました。
「なるほど、よくわかりました。では、あなたの今後についてですが——」
そうです。もちろん、わたくしにもあなたのように『使命』が課せられました。
当然です。カバラ様とのあの契約書にサインをしたのですから。
え? サインをしたのかって? もちろん、わたくしもしましたよ。
カバラ様に与えていただいた『名前』と『仕事』が書かれた契約書にね。
わたくしに課された『仕事』はこのホテル・ソルスィエールをたった一人で運営することです。そして、カバラ様から与えられた『名前』が——
まあ、この話はいいでしょう。
少し話が長くなりますし、そこにはちょっとしたあなたとは違う事情もありますから。
あっ、もうこんな時間です。話を終わらなくては。手短にすませましょう。
ウサギさ……いやラパン。あなたはカバラ様の力により、黒だった体が真っ白になってしまいましたね? つまり、あなたは『黒』を奪われたのです。
実は、カバラ様はこの世の『黒』という『黒』をすべて支配しているのです。
この世の『黒』の支配者はカバラ様なのです。
ですから、もちろん、わたくしもカバラ様に『黒』を奪われてしまいました。
当然の報いでございます。許可なく、カバラ様の大切なものに触れようとしたのですから。そして、そのことを咎められたわたくしがウソをついてしまったのですから。
さて、話が長くなってしまいました。これ以上、話をつづけると、ホテルの業務に差支えが出てきてしまいます。あなたは今日が『仕事』の初日です。結論を急いだほうがいいでしょう。といっても、聞きたいことはこの二点でしょうね。
そのようにして奪われたわたくしの『黒』の正体が何であるか? そして、その『黒』が今、どこにあるのか——
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