第7章 《黒魔術》迷いし者に課された使命②

 さて、自己紹介がまだでしたね。


 わたくしは、当ホテルの支配人『黒江くろえ』でございます。お互い、これから末永く仲良くやっていきましょう。あ、そうですね。あなたはまだ握手をするほど体力が戻っていませんね。


 さて、何から話せばいいのか……。まあ、『人に歴史あり』と言いますからね、わたくしの若い頃の話から始めましょうか。


 といっても、わたくしの人生なんて語るに値しない、そっけないものでございます。ただ、強いて言うならば、ほんの少しですが、様々な職業を経験していることぐらいでしょうか。




 ちなみにですが、『○○ホテル』はご存知ですか?


 はあ、そうですか。ご存じない。日本を、いや、世界を代表する有名なホテルなのですが、まだまだですね、あのホテルも。ウサギの世界にはその名が届いていないのですから。とにかく、世界中の富裕層をもてなすそのホテルでわたくしは『修業』をいたしました。


 そこでは、五年、いや、十年でようやく一人前になると言われているのですが、わたくしは(自分でも驚いたのですが)三年目で「支配人になってほしい」と社長から直々に辞令を打診されたのでございます。ですが、わたくしは「生涯一小僧、修業あるのみ」と言うのがモットーでしたから、その申し出を丁重にお断りいたしました。




 ホテルの経営ノウハウを身につけたわたくしは、日本を飛び出し、パリへと向かいました。


 え? なぜ、パリに向かったか、ですか? 実は、そこには世界各地に支店を持つクリーニング店『ブランシスリー』の本店があるのです。わたくしは、そこで徹底的にクリーニングの技術を身につけました。あまり大きなことは言いたくないのですが、実は、この世にわたくしに落とせない汚れはございません。ありがたいことに、ここでもすぐに「パリ本店の支店長」への打診をされました。入社、二年目の春のことでございます。


 え? どうしたのか、ですって?


 言うまでもございません。もちろん、丁重にお断りをして、次の『修行』へと向かいました。なにせ、わたくしのモットーが「生涯イチ——」。まあ、これぐらいにしておきましょう。


 次に、わたくしは同じフランスで三ツ星レストランでの修業を開始しました。




「東洋から来た? ハン! お前みたいな奴にフランス料理が作れるようになれると思うな!」


 そう言った同僚からの手荒い祝福の声がたくさんございましたが、ここでも、わたくしは、修業開始後、最短で「総料理長のオファー」を受けることになりました。


 光栄なことでしたが、早々にわたくしはこの依頼を断り、念のためイタリアの三ツ星レストランで働いた後(もちろんここでも総料理長のオファーを断り)、すぐに大西洋を渡りました。




 一転、アメリカでは、わたくしは爆音の中に身を置いてみたくなりました。


 国際A級ライセンス取得後、レースの道へと進むことになりました。二年も経たないうちにトップクラスに上がることになったのですが、何か、突然虚しくなり引退を決意しました。


 うん? どうしてかって?


 いやー……これは……非常に言いにくいですね……自慢に聞こえてしまうかもしれませんから……なに? どうしても知りたい?……実は、レース前にコックピットに座り、ハンドルを握った瞬間に頭の中にそのレースがすべて浮かんでくるようになってしまったのでございます。そして、どのレースでもその見た映像と同じようにいつもわたくしが優勝をしてしまうのです。結果がわかったことをしても、ね?


 その後は、どこに行ったか? それを知りたいのですか? ウサギさん……




 あ~、すみません。「あなたは先輩で、かつ上司です。ウサギさんなんて呼ばずに『』と呼んでくれ」ですか。


 そうですね、せっかくカバラ様から名前をいただいたのですものね。わかりました。申し訳ない。以後、気をつけます。




 それでは、ラパン。その後のことですが、わたくしは爆音から一転、静寂の中で学習をしたいという衝動に駆られました。そして、東海岸にある大学で心理学を学ぶことになりました。アメリカというのは優れた人をゆっくりと育てることはないのですね。


 あっという間に飛び級で卒業をしてしまいました。


 博士となり、心理カウンセラーとして働いていたのですが、「全米カウンセリング協会の役員」への打診を受けた頃に心が決まりました。




 次の『修行』に向かおう、と。






 そうして、次にわたくしが向かった先がチベットの山奥でございました。

 スピリチュアルな『修行』をしてみたくなったのでございます。イチ修行僧として、頭を丸め、布でできた袈裟けさに身を包んだわたくしは毎日、兄弟子たちと空気の薄い山頂で瞑想をし、目覚めの時を待ちつづけました。


 そして、ある日、それはわたくしの目の前に現れたのでございます。


 ある朝、近くの池に水を汲みに行ったところ


「ザバッーーー!」


 という大きな音ともに、池の中から水柱のような大きな物体がそそり立ったのです。


 と言っても、その物体から


「……」


 何を言われたわけではございません。


 ただ、そこにある『何か』は、確実に我々人間とは異なる『何か』なのでございます。


 もしかすると、それは『神』と言っても差支えがないのかもしません。


 ゴオーッという音ともに、その水柱に体を包み込まれたわたくしは、その『何か』から力を授けられたのです。


 その霊力の証として、わたくしはその地の霊験あらたかな最高位の高僧から黒の宝石が埋め込まれた指輪を渡されたのでございます。






 わたくしはその大きな『力』を手に入れ、納得し、黒い指輪とともに帰国することになりました。




 帰ってからのわたくしは、チベットで身につけた霊力でカウンセリングを行うようになりました。わたくしは知りませんでしたが、この世の中にはそういった不思議な力を借りたいという人がたくさんおられるのですね。二年先までの予約が一杯になるのに、ふた月もかかりませんでした。


 ですが、わたくしは心のどこかでさらなる『力』を求めておりました。


 たいていの霊能者なら今のこの『力』で満足したのかもしれません。いや、中にはそのあまりの強さに持て余し、心身のバランスを崩す者すらいたかもしれません。しかし、わたくしはどうも腑に落ちていなかったのでございます。


「わたくしの器はこんなものではない。完全なる『力』を手に入れたい」






 そんなある日の夕方のことでした。


 仕事を終えたわたくしは、晩ご飯の買い出しに出かけたのですが、ふと、ある通ったことのない道に出会ってしまったのです。ある角のところから緩やかに坂が下り、その先に大きな柳の木が見えたのです。その道は先に行くほど細く、緩やかにカーブをしていました。好奇心がわたくしを強く惹きつけました。あの先にあるものはなんだろう、と。


 もちろんわたくしの好奇心だけが惹きつけたわけではありません。右手にはめた黒の指輪が小刻みに揺れていたのでございます。


「この先に巨大な『何か』がある」


 そう指輪が教えてくれているような気がしたのでございます。




 時刻は夕暮れで、あたりは藍色の世界に染まろうとしているときでした。


 導かれるように、わたくしは、ゆっくりとその坂を下り、柳の木の下まで歩いていきました。その柳の木のそばは、木々が生い茂り、うっそうとした森のようになっていました。そして、その森へと入っていけるように、木と木の間に大人が屈かがんで入れるぐらいの小さな穴があったのです。




 その森に足を踏み入れることにためらいがなかったわけではありません。


 すっかり暗くなってしまい、森の様子がさっぱりわからなかったのですから。




 しかし、わたくしは、その森の奥の方から発せられる『何か』を感じてしまったのです。


 もちろんそれはわたくしだけではございません。黒の指輪が先ほどより心なしか早く動いているような気がしました。木々につかまりながら、先へ進んでいくと、鳥居らしきものが見えてきました。さらにその鳥居を潜っていくと、小振りな社殿のようなものが見えてきました。


 ふと、それを見た時


「もう帰った方がいいのではないか」


 と、直感が働きました。


 こんな森の奥にわざわざ祀っているのだから、むやみに触れるべきではない。


 万が一、この社殿に触れることにより降りかかってくる負のエネルギーから我が身を守ることができなくなるのではないか。その時、一瞬、冷静に、そんなことを考えました。ですが、その日はいつにもまして霊力の冴えた日で、多少のことであれば跳ね返す自信がわたくしにはあったのです。


 今、思えば少し傲慢であったのかもしれません。慢心ですね。




 もちろん、それだけではございません。


 何より、わたくしがその場を去ることができなかった理由は、その社殿から発せられるエネルギーがあまりに強かったからなのです。すっかり日が暮れ、灯りのない森の中で真っ暗なはずなのに、その社殿の中から光の玉のようなものが輝いていたのです。


 そこから感じるエネルギーはあまりに強大で、あのチベットの山奥で得た『力』とは比べ物にならないものでした。


「その正体をこの目で見たい」




 こう考えたわたくしですが、社殿の前でしばらく立ちつくしておりました。




殿




 看板が立てられていたのでございます。


 白い板に大きく黒の字で書かれたそれは、なんとしても中の様子を見てみたいというわたくしの強い衝動に一気にブレーキをかけたのです。


 なぜか? ですか……




 それはその文字があまりに力強いものだったからです。




「これを書いた人はただものではない」




 ですから、わたくしは、しばらくそこで考えを巡らせておりました。


 今のままでも十分な霊力を有しているではないか。その証拠にこうして黒の指輪が授けられている。これ以上、危険をおかして新たな『力』を手に入れようとしても……。




 そう悩んでいたのですが、やはり、わたくしは自分を止めることができませんでした。






       「あの『力』の正体をこの目で見たい」


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