第4章  奈都芽の進む道③



 父からの手紙。そんなものがあったことが、奈都芽には信じられなかった。


「これはおじょうさんに宛てた手紙だから見せるべきだ、と考えていたのですが。ごめんなさい。あたしにとって、家元さまの言うことは絶対ですから。でも、もうおじょうさんも高校三年生です。自分の父からの手紙を見る権利があるのではないか、と」


 父からの手紙を手にしたことはもちろんうれしかった。だが、同時に奈都芽の心に怒りがわいた。


「どうして、隠していたのよ。


「まあ、押さえて。あたしもさすがにこのことを口止めされた時はどうかと思ったんですよ」


「……許せない……」


 しばらく怒りに震えていた奈都芽だったが、陽ちゃんが包み込むようにその大きな手で奈都芽の手を握った。


「さあ、そんなに力を入れていたら、せっかくのお父さんからの大事な手紙がぐしゃぐしゃになってしまいますよ」




 手紙の内容は取り立てて驚く内容ではなかった。


 だが、そこに書かれた文を読んでいるうちに、今ここに父が立っているように奈都芽は感じた。




「奈都芽。わかってくれているだろうけど、お父さんはやってない。


 正直言って、あの社長が憎いとは思っていた。でも、仮に、本当にあの社長を殺していたとしたら、罪を償うさ。『ウソをついてまで生きていこうとは思わない』から。




 体に気をつけろ。元気でな。




 誠実に生きていってほしい。努力を続けてほしい。自分の夢のために。


 お父さんもそうする。


 奈都芽の真上の空に見えるのと同じ、あの星に願いをかけながら」






 読み終わった奈都芽の目から涙が溢れ出した。


 手紙を持ったままの奈都芽は崩れるようにゆっくりとその場に座り込んだ。肩が小刻みに揺れていた。その奈都芽を守るように、陽ちゃんは肩を抱いた。奈都芽が泣きやむまで、陽ちゃんは奈都芽を抱きしめつづけた。




「そういえば——」


 しばらくして、陽ちゃんが口を開いた。


「長年支えつづけてくれた弁護士の先生が高齢で引退することになったそうなんです。かなり熱心な先生で、その人のおかげで裁判が有利に進むのでは、と考えられていたんですが」


「お父さんの弁護士さんが引退……それで、次の弁護士さんは誰かいるの?」


「いや、それがあたしの聞いたところによると、なかなか見つからないようで——」


 そのとき、その話を聞いた奈都芽の頭に突然ある考えが浮かんだ。これはもしかして父が夢の中で言いたかったことではないか? そして、頭の中に閃いた考えを奈都芽は宣言するように言った。







 一瞬静かになったが、すぐに陽ちゃんが大声で叫んだ。


「それ! いいですね、おじょうさん! 弁護士になりましょう!」


 それを聞いた奈都芽はポカンとしていた。


「え? 弁護士? 誰が?」


「なにを言ってるんですか。今、おじょうさんが自分で言ったじゃないですか。あたし、大賛成です。おじょうさんが弁護士になってお父さんを助けましょう」




 一瞬、間があった。奈都芽は今日破られた自分の成績表を思い出した。


 次に、担任のあきれ返った顔や友人たちの嘲るような顔を思い出した。




「ムリ、無理、むり。だって、私バカだもん!」


「おじょうさんはバカなんかじゃありませんよ!」と陽ちゃんが大きな声で奈都芽の言ったことをすぐに否定した。


「でも、そんなこと言うけど、陽ちゃん。私の成績、知ってるでしょう?」


 奈都芽のこのひと言で陽ちゃんの勢いが弱くなった。


「まあ、それは……」


「お父さんの影響で、私、本は好きなの。でも、今まで勉強できたことが一度もないの」


「……お父さん……お父さん……そうでした、今思い出しました。大丈夫、おじょうさんはあの『お父さん』の娘なのです」


 そう言うと、陽ちゃんは胸を張った。


「——大学」


 日本でも有数の大学名を陽ちゃんは誇らしげに言った。


「茶道の本場で勉強をされていた家元さまとお父さんはあの地で出会ったのです。お父さんは頭脳明晰、優秀な方です。その娘なのですよ、おじょうさんは」




 父と母が出会った街を奈都芽はこのとき初めて知った。


 そして、父の通っていた大学名を聞き、もしかして自分にも隠れた才能があるのかも、と思った。


「夢みようかな……弁護士になる夢を」


「そうです。おじょうさんなら必ず叶えられますよ」


 星に願いをかけながら、と奈都芽は心の中でつづけた。




 奈都芽の中で大きな決意が生まれた。陽ちゃんの顔にも輝きが見られた。


 二人は固く握手をした。だが、ふとそのとき奈都芽はあることが気になった。




「ねえ、陽ちゃん」


「はい?」


「どうして、お父さんの弁護士が引退するって知ってるの?」


 そう聞かれた陽ちゃんは、目をそらした。モゴモゴと口が動いていた。


「ねえ? もしかして、陽ちゃんはお父さんのことについてなにか重大なことを知っているんじゃ——」


 そう言いかけたところで、遠くの方から電話のベルが聞こえてきた。


「で、電話」


 そう言うと、陽ちゃんは慌てて奈都芽の手を離し、逃げるように部屋を出ていった。






 弁護士になり、愛する父を助け出す。


 ひょんなことから奈都芽は大きな夢を手に入れた。


 そして、その夢を、父が言うように、努力をかさね手にする。頭上に輝く『星に願いを』かけながら。それは奈都芽が生まれて初めて手にした大きな夢だった。




 だが、同時にある『重大な事実』にも出会ってしまった。









 だが、まだこの時の奈都芽にはその秘密がなんであるのか知るよしもなかった。

 

 奈都芽を取り巻く運命が大きな音を立てながら動こうとしていた。

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