第2章 星に願いを・不都合な結末③
テレビ画面に、父と捜査員とのやり取りを抜粋し、まとめたフリップが映し出された。
証拠物 シルバーのライターについて
捜査員:「あなたはあのライターを昼間、社長ともみ合ううちに落としてしまっ
た、と言うのですね?
ですが、聞き込みによると、あのライターはあなたが長年、愛用していた
とのこと。それほど大切なものをどうして取りにいかなかったのでか?」
容疑者:「昼間、社長とケンカをしたので会いたくなかった。会えば、またケンカ
になると思って。次の日に、取りに行こうと思っていました」
捜査員:「ですが、あなたを知るすべての人が、あのライターをいつも肌身離さず
持っていた、と。そう証言をされています。昼間落としたライターがなく
なったことに違和感はなかったのですか?」
容疑者:「あの日は仕事をしていても、仕事がおわったあとでも小説のアイデアが
湧き、ライターのことを忘れていました。気がついたのは、夜の散歩か
ら帰り、アイデアを書き込み終わった後のことです」
アナウンサーがこの一連の会話を淡々と読み上げた。
予定通り、と言わんばかりのタイミングでスタジオの『心理学』の教授が首を傾げながら言った。
「何十年も愛用しつづけたライターを、そう簡単に忘れることができるのでしょうかね? 本人のイニシャルまで入れた思い入れのあるものをですよ。矛盾を感じざるを得ないですね」
父が犯人であることは当然のこととされた。
あの日の『アリバイ』や『証拠』となったシルバーのライターのこと、または弱い者いじめを許せない父の性格を考えると、奈都芽も父がやったのかもしれない、と思った。
だが、父は無罪を主張した。殺す動機がありません、と。
「犯人は犯行を否認」
そう映し出される映像を何度も見ているうちに、奈都芽の中にある疑問が浮かんできた。
「あのお父さんがウソをつくだろうか?」
あれほどウソを嫌っているお父さんがそんなことをするわけがない。仮に、社長を殺したとしたならば、『動機』や『殺害状況』などを素直に話し、その刑を受け入れるだろう。つまり、お父さんはやっていない。絶対に殺してなんかいない。
そこまで考えると、奈都芽は強く決意をした。
たとえひとりぼっちでも、私はお父さんを信じる。
そして、絶対にこの手で取り戻してみせる。お父さんは人なんて殺していないんだから。
お父さんのような大きな、大きな船になれなくても、決して沈まぬ船となり支えつづける。
それはもう少しで十二歳になろうとする少女の心の中で芽生えた確固たる決意だった。
そのか弱い少女の心に根づいた決意を支え、共に前へ進んでいくべき人はもちろん家族である母だった。だが、その奈都芽の心を母が理解するかは不明だった。
あの日、父がパトカーで連れていかれた朝も、母が部屋から出てくることはなかった。父を乗せたパトカーの赤色灯が見えなくなった後でやってきた警察官に、父が逮捕された経緯を説明されたが、
「そう」
と、顔色ひとつ変えず、答えただけだった。
連日テレビで報道され、自宅にカメラが押し寄せても、母はなにひとつ生活を変えることはなかった。奈都芽は母のその様子を見て、ふと思った。
「私と違って……もしかすると、母は……お父さんが無実であると信じていないのでないか?」
凛とした母の自信に満ちた表情には、何か奈都芽をそう考えさえるものがあった。
「夫はウソをついている」
夫婦であるはずの母はそう考えているのではないか?
だが、奈都芽の母への疑う気持ちが間違っていたのではないか? と思われる時がやってきた。
「わかりました」
いつものように堂々とした口調でそう言うと、母は電話を切った。
その電話は警察からのようで、父への面会が許されたとのことだった。
母は何かを決心したように強い眼差しを見せた。その眼差しは大切なものを取り戻すと言っているように、奈都芽は感じた。
母が父と面会に向かったのは、警察から連絡があった次の日の夕方だった。
捜査本部の置かれた警察署が隣の街にあったため、そちらには車で行く必要があった。奈都芽はこの時、生まれて初めて母とふたりで車に乗った。助手席ではなく、後部座席に座ったのだが、言うまでもなく、車内には気まずい空気が流れた。
「息ができない」
口に出すことはできないが、奈都芽は心の中でそう思った。
運転手側と後部座席が銃弾をも通さない分厚いガラスで仕切られ、すべての空気が奪われたのではないか。そう感じた奈都芽だったが、母の顔色を伺い、窓ガラスを一切開けることはできなかった。
真冬の夕暮れ時で、あたりはもう暗くなってしまっていた。
母はひと言もしゃべらず、じっと前を見つめながらハンドルを握っていた。これから警察に向かうというのに、母はなにも変わるところがなかった。閉じこもった部屋から発せられるあのいつもの不機嫌な警報が発せられることもなかった。
むしろ、その顔には何かを吹っ切った颯爽としたものが感じられた。奈都芽は、心の中で
「私は誤解していたのかもしれない。もしかすると、母はお父さんの無実を信じているのではないか。ウソをつくはずがないと。だから、どんな手を使ってでもお父さんを取り戻すつもりなのでないか」
と、考えていた。
いつも緊張を覚えるその横顔がこんなピンチには心強い、と奈都芽は思った。
大通りの信号を曲がり、母の運転する車が警察署の前へと近づいた。
玄関の前には警護をする警察官やカメラを手にしたマスコミらしき人の姿が見えた。到着した、と奈都芽が思った矢先、その警察署の前で母はウインカーを出しながらハンドルを回した。
遠ざかる警察署の赤いランプを奈都芽は不思議そうな表情を浮かべ見つめていた。
母の車が止まったのは警察署のすぐ近くの場所だった。
どうやらそこは駐車場のようで車が数台止まっていた。窓から外を見ると、すぐ近くにはお城のようなものが見えた。
「——
遠足で来たことのある場所。奈都芽は記憶を辿った。あの城とその周囲の間にはたしか、池のようなものがあったはず。
駐車場の街灯が仄かに光っていた。暗闇の中で唯一の頼りとなるその明かりを奈都芽はじっと見つめていた。ハンドルを握ったままの母は、何も言わず前を見つめたままだった。どうしてここに来たのか。それを話すつもりはないようだった。
「お父さんに会いたい」
奈都芽は心の中でそう叫んだ。
不安からか、奈都芽の体は硬くなっていた。せめて母が何か声をかけてくれれば助かるのに。そう感じていた奈都芽の気持ちを察してか、それまで前を見ていた母が首を後ろに回し、奈都芽を見た。
その母の目を見た奈都芽は一層、体がこわばるのを感じた。
冷たい、突き放すような目だった。母も父のことを信じていると奈都芽は思っていた。だが、そうではなかった。その目から奈都芽は母の本当の気持ちを理解した。
「ちがう……母は、お父さんのこと、信じてなんかいない。お父さんが、あのお父さんがウソをついていると考えているんだ……母はお父さんが犯人だと考えているんだ」
そう思った奈都芽は母と車に乗っているのが怖くなった。
二人っきりでいるのが怖くなった。
何か自分も暗い深い闇に引きずり込まれるのではないか。不安になった奈都芽は外に逃げ出そうと、ドアハンドルを強く握った。早くこの車から逃げ出さなくては。
すぐにでも——。
だが、ドアを開けようとしたその瞬間、目の前に大きな黒い影が現れた。
さっきまで見えていた街灯を覆い隠すような巨大な影だった。その影は外からドアを開け、奈都芽の体を今にも捕まえようとした。
助けを求めるように、慌てて運転席の母を見た。
だが、助けてくれるはずの母は、その影が奈都芽を捕まえようとするのを横目で見ながら、何も言わず車をあとにした。
遠くの方でパトカーのサイレンが鳴るのが聞こえた。
すぐに泣き出してしまう奈都芽は、その音を聞くと、心臓がドクドクといつもより強く打つのを感じた。
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