第2章 星に願いを・不都合な結末②
父の容疑は、『殺人』と『放火』だった。
被害者は父の会社の社長で、自宅で殺害され、そのまま火をつけられたとのことだった。素早い消火活動のおかげで、焼け跡から発見された遺体は消失を逃れ、犯人逮捕の大きな手掛かりとなった。
解剖の結果、顔面を中心に全身いたるところを、強く殴られたり、蹴られたりしたことがその死因であることがわかった。加害者は相当強い力の持ち主のようで、数ヶ所、骨折のあとが見られた。その傷跡から、犯人は格闘技の経験者であると推測された。殺害後、灯油に火を点け、逃走したものと考えられた。
たまたま子供の習い事の送り迎えに行っていた妻やその子どもたちは被害を免れたが、その場に家族がいたとすると一家全員が被害者になっていた可能性があった、と犯罪心理学の専門家が指摘をした。
金銭の物色が見られないことから怨恨の可能性が高いものとされた。
事件発生後、すぐに警察は聞き込みを開始した。会社関係者を中心に行われたが、そのなかで重大な証言をするものが現れた。証言者は父が普段から可愛がっている後輩・三沢という人物で、事件のあった昼間、被害者宅で起こった父と社長のいざこざについて詳細に語った。
その日、仕事中に呼ばれたその後輩は社長の家に向かうことになった。
「買い物をしてこい」
携帯電話にかかってきたその言葉を隣で聞いた父は黙っておくことができなかった。
「三沢、俺も一緒に行ってやる。そして、仕事中はこういうプライベートな買い物は控えて欲しい、って言ってやるよ」
弱いものが強いものにいじめられるその姿を父は見過ごすことができなかった。それは小さい頃から一貫して持ち続けてきた父の哲学のようなものだった。
数年前に就任した社長は三代目で、社員全員が尊敬してやまなかった先代の社長とは似ても似つかぬ横暴な経営者だった。定評ある自社の技術には一切興味がなく、その上、公私の区別がまったくない男だった。会社の資金を海外旅行やその旅先で行う賭博に流用しているという噂すら社内でささやかれていた。
会社のことや世話になった先代社長のことを思い、父は何度もこの社長と衝突を繰り返していたとのことだった。
仕事場の軽自動車に荷物を載せた父とその後輩は社長の自宅に着き、それを家の中に運びこんだ。部屋に着くなり、父の大きな声が響いた。
「社長、こういうことは困ります! 家の買い物を仕事中に社員に届けさせるのはやめてください!」
そのあまりの迫力に社長は少し驚いた。だが、すぐにこう怒鳴り返した。
「なるほど、おまえの言うことはもっともだ。以後、仕事中に呼び出すのはやめにしよう。よし、じゃあ三沢——」
そう言いながら、後輩を指さした。
「これからは、毎週日曜日、買い物をしてきてくれ」
「なっ、なに!」
父の声はさらに大きくなった。「あんた、なに言ってるんだ!」
「……」社長は何も言わず、父の顔を睨みつけた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「あんた? 社長に向かって、なんだその口のききかたは!」
そう言われた父はとっさに社長の胸倉を掴んだ。掴まれた社長も応戦したことから、二人は激しくもみあった。
後輩である三沢は慌てて、二人の間に割って入り、父をなだめ、何度も社長に頭を下げた。怒りのやり場に困った父は無言で家を出ていった。
その後、車に戻った二人は、後部座席に灯油があったことを思い出し、それをガレージへと運んだ。証言によると、その際、ガレージで
「あいつだけは許せない。いつか、痛い目にあわさなければ……まあ、そのうち天罰がくだるだろうが」
と、父が言った、とのことだった。
つまり、父には被害者を殺害する強い『動機』があった。そう警察は断定した。
『動機』だけではなかった。父が犯人と思われることが他にもあった。
犯行時刻は逮捕される二日前の夜七時から九時とされた。その時刻の『アリバイ』が父にはなかった。夕食をすませた父は、小説のアイデアを考えるためにその約二時間散歩をしていた。ひとりで歩いていたことからもちろん『アリバイ』はなかったが、その上、父の歩いたコースに社長宅の前が含まれていたことが判明した。
さらに被害者宅の近隣者が
「長身の大男を見かけた」
と、証言したことが逮捕を後押しした。
『動機』と『アリバイ』、それに『目撃者』。
これだけでも犯人であると疑惑の目を向けられうるのだが、それだけではなかった。
犯人逮捕の最大の『証・拠・』は被害者宅のリビングに落ちていたライターだった。
灯油に火を点けるために使われたと考えられたが、それはシルバーのライターでイニシャルの入ったものだった。そのライターの所有者は誰がどう見ても(それは父を心の底から愛する奈都芽が見たとしても)父だった。
マスコミは連日この事件を取りあげた。
自宅に多数の記者やマスコミ関係者が押しかけたことから、奈都芽は学校を休まざるをえなかった。テレビをつけると、画面には『容疑者』として、父の顔が映し出された。
初めてそれを見たとき、ショックのあまり、奈都芽は涙が止まらなくなった。あまりに泣きすぎて、息ができなくなり、気を失ってしまった。ようやく正気を取り戻したが、その後しばらく
「ヒーヒー」
という変な音を立てながら、肩で息をした。
だが、何度もテレビを見ているうちに奈都芽の中に様々な考えが浮かびはじめた。
たしかに、お父さんはあの夜、あの時刻に散歩に出ていた。帰ってきたのは九時過ぎで、犯行時刻と一致する。それは確かなことだ。さらに、あの晩、お父さんは愛用のシルバーのライターを持っていなかった。後輩の証言からすると、社長に怒りを抱いていたことも事実だろう。
「おまえの父さんは怒ると鬼になる」
かつて父の友人に言われた言葉だが、二年前のあの冬、例のウソをついたときに見た顔は今でも忘れることができない。弱い者いじめが大嫌いな父が暴力を振るったとしてもおかしくはない。しかも、犯人は格闘技の経験者であるとされている。祖父に仕込まれた父は空手の有段者だ。
「でも……」
と、奈都芽は思った。
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