プロローグ③

    ***


「~~ッッ!!」

 目を見開いた私の瞳に、見慣れたてんじようが飛び込んでくる。吐く息はあらく、あせが全身をらしていた。

 ──何かしら、今の夢。

 夢というにはあまりにも生々しく、どくどくどく、と心臓がはやがねを打つ。はぁ、はぁ、と浅い息を吐きながら、私は額に手を当て上体を起こした。

 いや、夢であるはずがない。最後に閉じ込められていたカビくさい牢のにおいを、湿しめった毛布のかんしよくを、まだ覚えている。なのに、こうをくすぐるのはさわやかな生花の香りで、はだざわりの良いサラリとしたシーツが手にれた。

 いつの間に牢から部屋へ移動させられたのだろう?

 全くおくになくて、まゆひそめる。

 私が頭を押さえながら周りを見回したタイミングで、とびらをノックする音が聞こえた。けい確定の罪人に対してノックをするなんて、ずいぶんと気を配ってくれるものだと思いながら返事をする。

「はい」

 私の返事を受けて入室してきたじよは、水をせたぼんを持ったままにこやかに笑いけてきた。

「おはようございます、レア王女殿下。お水はいかがですか?」

「ありが……」

 お礼を言おうとして、水を持ってきた侍女の顔をぎようする。そんなわけがない。

「レア王女殿下? ……だいじようですか?」

 流石さすがにその侍女もぜんとしている私の様子が気になったようで、づかわしげに尋ねてくる。

「どうかなさいましたか?」

「……ロッティ?」

「はい、レア王女殿下」

 にこにこと笑っていたのは、私の目の前で首をねられた筈の専属侍女だった。

「ロッティ……」

 私がそろそろと手をばすと、ロッティはいぶかしがりながらもそっとその手をやさしく包んでくれる。

「レア王女殿下、お加減が悪いのですか?」

「いいえ、大丈夫よ。ごめんなさい、少し考えたいことがあって……一人にさせて貰えるかしら」

 混乱する頭を抱え、なみだこぼれないようにえ、私は彼女にそうお願いする。

 私の手を包み込むロッティのてのひらは、確かに血の通う人間の温かさだった。

「はい、かしこまりました。何かございましたら、すぐにお呼びください」

 再度心配そうにこちらを見ながら、それでも私の指示に従い部屋を出るロッティ。

 改めて自分のていた部屋を見回すと、そこは私の好きなものであふれていた。

 花にぬいぐるみにアンティークのオルゴール。部屋の一角には異国じようちよ溢れるかざり物が集められ、い掛けのしゆうほどこされたハンカチがテーブルの上に置きっぱなしになっていた。なつかしさがどっと胸に押し寄せる。

 しかし、そんな感傷にひたっているひまは、今の私にはない。

「どういうこと……?」

 自分の両手を見た。頭を押さえた時と、ロッティに手を握られた時に覚えたかん。そう、手にあるべき剣の感触がなかったのだ。私の視界に、よく手入れされた、傷ひとつなく苦労を知らない掌が映っている。まるで、時間があのころもどったかのようだ。

 自分が母から愛され、父と義弟と、これからもずっと幸せな家族でいられると信じていた頃に。

 まどいながら、姿見の前に立つ。そこには明らかに成人前の、一人の少女がいる。

「なぜ……」

 姿見を見ながら、目の前の自分に手を伸ばせば、鏡に映る私も、へきがんの瞳を大きく見開きながら同時にこちらへ手を伸ばした。

 れいに整えられた清潔なつめろうの中でくことの出来なかったパサついた黄金の長いかみは、つややかに光を反射しゆるやかなウェーブをえがいて背中へと流れている。カサカサにかんそうしていたはだは以前のうるおいと張りを取り戻していることがひとめでうかがえた。

「戻っている……死ぬまでのことは、夢だったの……?」

 そうつぶやきながらも、私は確信していた。

 夢などではない。母にあやつられるがままていけいしよう者争いをり広げ、その過程で国を混乱におとしいれた私は、確かにこうそくされ処刑されたのだ。

 何が原因で、時が逆行したのかはまだわからない。けれども、今の私が強く思うことはただひとつだ。

 私は鏡にえた手を固くにぎり、ひとみを強く、ぎゅ、と閉じる。

 ──もう、ちがえない。

 強く心にちかって、私はその瞳を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る