第11話 燃焼泥水湖

 ショットガンスネークを倒してから、更に歩く事数十分。

 俺達はついに目的地である湖へと辿り着いた。


「ほう! ここが嬢ちゃんが言ってた湖とやらか」

「ええ。名前は燃焼泥水湖。この『竜の巣』ダンジョン唯一の湖です」

「これがダンジョンの湖……? 凄い大きさですね……っ」


 目の前に広がっていたのは、見渡す限り何処までも続く超巨大な湖だった。

 対岸はほとんど見えず、辛うじて向かいに陸があるのが分かる程度。


 琵琶湖と同等、もしかしたらそれ以上の規模があるのかもしれない。……という事は大体数百平方kmほどだろうか? 大きすぎて全容が上手くイメージ出来ない。


 とはいえ。気になるのは……。


「やっぱりここも燃えてるんですね……?」


 炎樹の森の樹々と同じように、この湖の水も激しく燃え盛っていた。

 黒く濁った泥のような水に灯る青白い炎。それが水の揺らめきと共に緩やかに形を変え続けている。外では目にした事のない光景に、俺は感嘆の吐息を漏らした。


「それはもちろん。それがこのダンジョンの基本属性ですから」


 幻想的なダンジョンの景色に見惚れる俺に、古川さんはそう言った。


 基本属性? なんだろう、古川さんの口から初めて聞く単語が出てきた。

 それとも俺が初めてなだけで、もしかしてダンジョンに纏わる基礎知識だったりするんだろうか? 基本属性というと、なんだかゲーム的な感じに聞こえるけれど。


「基本属性? ってなんですか? 俺、初めて聞きましたけど」

「ああ、失礼。これは国の機関でのみ共有されている情報でした」


 ただ、俺が尋ねると古川さんはそう言って軽く謝罪した。

 どうやら一般にはまだ出回っていない情報らしい。


「防衛軍のこれまでの調査により、ダンジョンには基本属性と象徴となる生物がそれぞれ一種ずつ設定されている事が分かっています。今のところ例外はありません」


 基本属性と象徴。ますますゲーム的だ。


「例えばこの『竜の巣』ダンジョンで言えば基本属性は火。そして象徴となる生物は竜です。これはお二人も既に実感されている事だとは思いますが……」

「そうさな。オレ達がこれまでに戦ったモンスターはどれも赤かったり、爬虫類系の奴ばかりだった。おまけにこのダンジョンの環境だってなんだか暑苦しいしな。要するにそういったの全部が、その基本属性と象徴ってやつの所為だったんだよな?」

「あの竜が炎っぽいブレスを吐いたのも基本属性が火だったからですか」


 ドラゴンに遭遇した時は逃げるのに必死でそこまで意識が回らなかったけれど。

 後になって考えてみれば、確かにあのドラゴンは炎のブレスを吐いていた。あれはそういうタイプのドラゴンたからじゃなく、基本属性が火だったからなんだな。


 ドラゴンと言えば炎のイメージがあっただけに、全然気付かなかった。


 それに獅子島さんの言う通り、俺達が遭遇したモンスターはどいつもこいつも爬虫類系かつ見た目が赤い奴ばかりだったな。あれも属性と象徴が関係してたのか。


「その通りです。お二人とも随分と理解が早いですね。素晴らしい事です」

「まあ俺はゲーム知識とかでその手の事にはある程度慣れてますから」

「オレは引退する前の仕事がダンジョンに関わりがあったからなあ。その縁で一般よりは幾らかダンジョンについての知識がある。きっとそのお陰だろうなあ」

「そうですか。……私の上司もそれくらい理解力があればよかったんですが」


 お、おう。なんだか古川さんの目が一瞬でハイライトを失った。


 言葉から察するに、上司の理解力がとても悪いのか? それを思いだしただけで一瞬で雰囲気がどんよりとしたものに変わるなんて、彼女の上司とやらは一体どれだけ理解力がないんだ。ちょっと理解が遅い程度ならこんな風にはならないだろうに。


 ……うん。もし仮に俺が就職を目指す事になったとしても、国家防衛軍に入るのだけはやめておこう。人一人の雰囲気をどんより落とす職場には入りたくない。

 まあ俺が入れるとは到底思えないけどな。仮にも国家の組織な訳だし。


「……それにしても、この水って飲めるんですか? 見るからに泥! って感じと言いますか、常時燃えている事もあって激ヤバな物質にしか見えないんですけど」


 燃料泥水湖とやらを覗き込みながら、古川さんに尋ねる。


 もし飲む事が出来ない水ですと言われても、すぐに信じてしまいそうだ。

 それくらいにドロドロしい見た目をしている。幸い? 匂いは特にしないけど。


「問題ありません。確かに見た目は少々悪いですが、防衛軍の方で安全は確認されていますから。例え一ヶ月間毎日飲み続けたとしても人体に影響はありません」


 古川さんはキッパリと言い切った。有無を言わせぬ断定口調だった。

 それだけ防衛軍の調査に自信を持っている、という事だろうか。


 ……うぅむ。まさかこんなに酷い見た目なのに人体に悪影響がないとは。

 とはいえ見た目が見た目なので、正直に言ってまったく飲む気はしない。


 これを飲むのはめちゃくちゃ勇気が要るだろうな……。


 見た目はハッキリと泥だ。しかもなんだがゴポゴポと煮立っているし、おまけに燃えている訳で。黒々しい事もあって、いっそ石油か何かにしか見えないんですが。


 というか最初にこれを飲もうと決めた人は何を考えていたんだろうか?

 どう考えても人間が飲むものではないっていうか、例え人間以外の生き物であろうと飲もうとは考えないだろうっていうか。正直に言って、頭がおかしいのでは?


 最初にこれを口にした人はまず間違いなく常人ではないだろう。


「まさか燃える泥みたいな水を飲む日が来るなんてなあ。人生分からんもんだ」

「流石にこれを予想するのは、ちょっと無理があると思いますけどね……?」





「さて。このまま水汲みと行きたいところですが……」


 一通り燃焼泥水湖を眺めた後、古川さんがそう話を切り出した。


 だが話を始めた割に、彼女は妙に歯切れが悪かった。

 とはいえ、その理由を俺と獅子島さんは既に知っている。言い辛そうにする古川さんを特に急かしたりはせず、彼女が言葉を続けるのをただ待っていた。


「……生憎と私達には容器がなく、このままでは水を汲む事が出来ません」

「そりゃそうだ。オレ達は全員、キャンプで荷物失くしてるからなあ」

「せめて一人分あればよかったんですけどね。けどドラゴンが来ましたから……」


 思い出されるのは昨日の事。忌々しくも恐ろしいドラゴンによる襲撃。

 あの大事件の直前にリザードマンのキャンプ襲撃があった事もあり、俺達は誰一人として自分の荷物を回収する事なく、森の中へと逃げ込む羽目になったのだ。


 今思い返すと……の話ではあるけれど。逃げながら古川さんを回収した時、彼女の近くには荷物があった気がする。多分、彼女の持ち物だったろうそれが。

 せめてあれだけでも回収出来ていれば、もう少し状況は違ったかもしれない。


 まあ戻れない“もしも”の話に、あまり意味なんてないけれど。


「ええ。しかし不幸を嘆いているだけでは現状は好転しません。私達自身が行動を起こさなければ。――そこでお二人には、この近くに群生しているであろうある植物を探してきて欲しいのです。その植物があれば、水を汲む事ができるでしょう」

「それはいいですけど……俺達だけですか? 古川さんは何を?」


 俺は古川さん自身が捜索要員に含まれていない事に気付き、彼女に質問した。


「私はその……水浴びをする時間を頂ければと」


 俺に質問された古川さんは、恥ずかしそうに身を縮こまらせそう言った。

 ――その瞬間、俺は自分がデリカシーのない質問をした事を悟った。


 そういえばそうだ。ここにはお風呂もシャワーもないから、ダンジョンに入って以来俺達は身体を綺麗にする事が出来ていない。それは古川さんも同じはずだ。

 そして彼女は女性。男よりずっと身嗜みには気を遣っているだろう。


 そんな彼女が満足に身体を洗えない環境で、出来る時に水浴びをしておきたいと考えるのは当たり前の事じゃないか! なんでそんな事に気付けないんだ俺!?


 やっぱりニート生活が長いと社交性というものは死んでいくらしい。

 しっかりしろ俺! 女性に恥ずかしい思いをさせるのはかっこわるいぞ!


「坊主、行こうぜ。オレ達がここに居ちゃあ嬢ちゃんがリラックス出来ねえだろ」

「それもそうですね。じゃあ古川さん、俺達は植物を探しに行くので」

「ゆっくり探してくっから。嬢ちゃんもあまり焦って出なくてもいいからな」


 最後に探す植物の詳細だけ教わって、俺達は湖から離れた。





「おおっ? おい坊主、容器になる植物ってのはこれじゃねえか?」

「あ、本当ですね。聞いてた特徴まんまだ。ありがとうございます獅子島さん」

「礼はいらねえよ。タイミングが違えば坊主が見つけてただろうしな」


 探し始めてから十数分。幸い、すぐに目的の植物を見つける事が出来た。

 見つけたのは獅子島さん。樹々の隙間に生えているのを発見したようだ。


 俺は見つけてくれた獅子島さんにお礼を言って、その植物を見た。

 水を入れる容器になるというだけあって、その植物はまるで大きめの水筒のような形をしていた。分かりやすい円柱状で底が深く、十分な量の水を入れられそう。


 防衛軍内で『水筒草』と呼ばれているらしいこの草が、俺達の目的だ。


「……こんな摩訶不思議な植物が普通に生えてるなんて、ダンジョンって本当によく分からない場所ですよね。探せばもっと面白い物もありそうですけど」

「わははっ。かもなあ。それまでに人類が滅んでなきゃ、ってのが世知辛えが」


 俺がこぼした呟きに反応した獅子島さんが、笑いながらそう言った。


 人類の滅亡――まったく有り得ない話ではない、のかもしれない。


 ダンジョンの出現から50年。ニッポンだけで見てもこの50年の間に滅んだ村や町は無数に存在し、中には地方都市すら住めなくなった場所すら存在している。

 世界規模で見れば、ニッポンより酷い状況の国が幾つもあるらしい。


 もし仮にニッポンが持ち直せたとしても、他国が耐えられなければ?


 大陸や他の国々で一斉にスタンピードが発生して、それがニッポンにまで及んだとしたらどうなる? 果たしてこの国はそれを乗り越える事が出来るだろうか?


 そんな事になれば、ニッポンどころか世界が終わるだろう。


 人類の滅亡……今はまだ遠い話だが、有り得ないと言い切る事は出来ない。


「だがまあ、今オレ達がそれを気にしたところでどうしようもねえわな。さっ、これ持ってさっさと嬢ちゃんの所に戻ろうぜ。あんま一人にするのもまずいだろ」

「そうですね。目的の物も見つかった事ですし、そろそろ戻りましょうか」


 獅子島さんに促され、俺達は水筒草を持って湖へと帰る事にした。


 ここに来るまでに十数分。探すのに十分程度。帰るのも同じくらいか。

 合わせて30分~40分程度。これだけあれば恐らくは古川さんの水浴びも終わっている事だろう。最中にバッティング、なんてことにはならないはずだ。


 頭の中でそんな試算をしながら、俺は湖までの道を歩いていた。





 俺と獅子島さんが湖へと戻ると、丁度、古川さんが出迎えてくれた。

 と同時に――俺は彼女の姿を見て凄まじい衝撃を受ける事になった。


「あぁお二人共、戻られたんですね。水筒草は見つかりましたか?」

「えっ、はっ、おっ、うぇっ、ええ……っ!?」


 普通に話し掛けてくる古川さん。しかし俺はそれどころではなかった。


 だって彼女は――何故か下着姿で俺達の前に立っていたから!


 というか本当に何故彼女は下着姿のまま俺達を出迎えたんだ!? 

 俺達が戻ってくるまでに十分着替えられる時間はあったはずなのに!


「……嬢ちゃん。年頃の女が下着姿で男を出迎えるのはどうかと思うぜ。ましてやオレ達は偶然一緒に行動してるだけの他人、少々不用心が過ぎるとオレは思うがね」

「? ……あぁ、これは失敬。少し後ろを向いていてください」


 獅子島さんに注意され、驚くほど淡々と受け答えする古川さん。


 反応的に意識していなかったからついそのままで来てしまったというのは分からなくもないけれど、気付いた後の態度があまりにも淡々とし過ぎている。もっと驚いたり恥ずかしがっても良さそうだけれど……そういう反応が正常なんだろうか?


 言われた通り彼女に背を向けて待つ俺と獅子島さん。


 後ろからゴソゴソシュルシュルと服を着る音が聞こえてきて、正直変な気分になりそうだった。女性経験極薄の俺に、このシチュエーションは難易度がとても高い。


「お待たせしました。もう大丈夫ですよ。獅子島さん、雨竜さん」


 少しして、古川さんから名前を呼ばれた。

 彼女の方を見る。今度はちゃんと服を着ていた。


「……はぁ。びっくりしたぁ。驚かせないでくださいよ古川さん」

「なんだって嬢ちゃんは下着姿なんかでオレ達を出迎えたりしたんだ」


 安心して安堵の溜息をこぼす俺。

 獅子島さんが古川さんに尋ねた。


「すみません。長年国家防衛軍で訓練を行っていると、自分が見られる側の人間であるという意識が薄れるもので。男性に見られた事を気にする時間があるなら、その分の時間を回せばより早く出動できますから。その方が救える人も増えますし」

「つまり職業病ってやつか。国の人も中々大変らしいなこりゃ」

「防衛軍に入ってるとそんな事になるんですか……。それはすごいな」


 下着姿で俺達を出迎えた理由が……まさかの職業病。

 あんまりな理由に驚く事も出来なかった。


 というか仕事をしてたら羞恥を感じなくなるとかどういう事だよ。

 こっわ。もしかして俺は仕事をしてなくて正解だったのか……?


「それよりお二人も戻って来た事ですし、早速水を汲んでしまいましょう。うかうかしていると、私達の気配に釣られてヌシが寄って来るでしょうから」

「そうさな。ついでに俺達の水浴びも済ませちまおう。ほら、行くぞ坊主」

「あっ、はい! じゃあこれ、古川さんの分の植物です」


 俺は持っていた古川さんの分の水筒草を彼女に渡した。


「ありがとうございます、雨竜さん。大切に使わせて頂きますね」


 古川さんに見送られ、俺達は彼女から少し離れた場所へと移動する。

 彼女に俺達のムサイ水浴び姿を見せる訳にはいかないからな。

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