2部

第8話 干し肉

 翌日。鳥が美しく歌う清々しい朝。俺は紅々しい森の中で目を覚ました。


 視界に映るのは空を埋め尽くす巨大な樹々。それも外の世界にあるようなごく普通の樹木ではなく、炎が燃え盛る葉を生やした摩訶不思議な樹だ。

 その非現実的な光景を見て、俺は自分がダンジョンにいる事を思い出した。


「ここは……そうか。俺はダンジョンに潜ったんだな」


 昨日の事は未だ鮮明に思い出す事ができる。


 ダンジョンへの突入から始まり。

 キャンプの設営。テント張り。

 宝石を見つけた攻略隊メンバーの暴走。

 リザードマンのキャンプ襲撃。


 そして――巨大なドラゴンの出現。


 どれもこれも強烈に過ぎる出来事だった。

 というか一日に起きていいトラブルの数じゃない。


 ダンジョンが厳しいのは常識だ。なにせ未だ一人も攻略達成者が出ていないくらいなのだから。けれど、もう少しくらい手加減とかないのだろうか? ……ないんだろうな。だってダンジョンだし。人間の常識などというものが通じるはずもなし。


「……さて。起きるとするか」


 俺は起き上がると、軽く周囲を歩いて見て回った。


 ――この『炎樹の森』は不思議な場所だ。


 ぱちぱちと弾ける音。ゆらゆらと揺れる火の穂。せめぎ合う光と影。しかしここに生える樹々は何の問題もなく聳え立っている。『炎』と『森』。外では両立し得ないこの二つが矛盾なく両立しているのだ。こんなに不思議な場所はないだろう。


 意外な事に、樹々の炎には触れる事もできる。

 触ったとしても火傷になったりはしない。

 まあ長時間触り続けた場合どうなるかは分からないが。


 幹は外の樹と比べると若干熱いかもしれない。

 それも所詮誤差程度の差でしかないけれど。


「二人は何処にいるんだろう?」


 獅子島さんと古川さんの姿がどこにも見えない。

 気になって探すと――幸い、すぐに見つける事が出来た。


 二人で火を囲んで何かを食べていた。


「おう。おはようさん、坊主。よく眠れたか?」

「……いえ。身体中が痛いです」

「わははは! そりゃあ災難だったな!」

「ここにはベッドがありませんから。仕方ありません」


 獅子島さんに笑われ、少々釈然としない気持ちになる。

 だが……こんな事で怒っても仕方がない。

 軽く息を吐き出し、モヤモヤした感情を消化した。


「ほら、坊主もこっちにこい。お前さんの分だ」

「はぁ。どうも……? あの、これはなんですか?」


 獅子島さんに誘われ、俺も火を囲む形で座った。


 手渡されたのは……黒々とした硬い何か。

 本当に硬い。まるで石みたいにカッチカチだ。


 こんなものを渡されてどうしろと言うのか。


「それが今朝の食事だ。味わって食えよ?」

「食事……。え、え!? これがご飯なんですか!?」

「そうだ。これが今日の“朝ごはん”だ」


 そう言われ、俺は黒い物体を二度見……いや三度見した。


 いやいやいやいや。これが朝ごはんって、えぇ……?

 だってこれどう考えたって食べ物になんか見えないぞ。

 精々がちょっと珍しい赤黒い石とか、そんな感じだ。


 硬さだってヤバい。叩くとコンコン音がする。食べ物なのに。

 これが食べ物だと言われて素直に信じられる人なんているのか?


「どうした坊主。食べないのか? 飯抜きはあまり勧められねえぞ」

「ダンジョンを攻略するのです。お腹に入れておかないと辛いですよ」


 そう言われてもこの見た目だ。躊躇なく食べられる訳がない。


 そこで俺は……二人の行動を確認する事にした。

 二人の食べ方を見て、参考にしようと考えたのだ。


 恐る恐る二人を見る。すると――二人は普通に食べていた。


「!?!?!?」

「うん? どうかしたか、坊主?」

「何か問題でもありました?」

「い、いや。なんでもない……です」


 そう言い訳をすると、二人は大人しく引き下がってくれた。

 少々腑に落ちないような表情はしていたけれど。


 そんな事よりも――なんなんだ、あの二人は!?

 この硬いのを普通に食べてた! 普通にだぞ!?


 ドン引きだ。マジで有り得ない。

 目玉が飛び出るかと思った。


 二人の歯は一体何で出来てるんだ。鉄か? ダイヤモンドか!?


 食べ物じゃなくて石。手に持った瞬間そんな感想が浮かぶような代物を軽々と食べるなんて、もしやこの二人の方がドラゴンよりも余程モンスターなのでは?

 ついついそんな事を考えてしまうくらい衝撃的な出来事だった。


「いや……案外普通に食べられたりするのか?」


 ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。


 食べる時だけは柔らかくなる、だとか。

 硬いのは外だけで中は意外と普通、だとか。


 実はそういう事なのかもしれない。


 こっちの方がまだ現実味があると思う。

 少なくとも二人の歯がダイヤモンド製よりかは。


 ゴクリ、と喉を鳴らす。


「な、何事も挑戦だよな……」


 大口を開け、食べる態勢を整える。


「あー……!」

「あ、おい坊主。これの食べ方なんだが――」


 寸前、獅子島さんが何かを言ってきた。

 だが――時すでに遅し。

 俺は勢いを付けてに噛み付いた。


 ガチン! 甲高い音が鳴る。


「!?!?!?!?!?!?!?」


 直後。真っ赤な森に俺の悲鳴が響き渡った――。





「いやあ、すまん! まさか坊主がこれの食い方を知らんかったとはなあ」

「……いえいいんですよ。俺が素直に食べ方を聞かなかったのが悪いんですから」


 食事を取り終えた後、獅子島さんからは謝られる事になった。


 食べ方を教えないまま放置しちまって悪い、と。


 とはいえ俺も食べ方を聞こうとしなかったのだ。どちらがより悪いかと言えば、間違いなく俺の方だ。だからこう何度も謝られると、なんだか罪悪感が物凄い。

 いい加減に謝るのをやめて欲しい。俺の精神衛生上とても悪影響がある。


「ですが一般人であれば無理もありません。余程本格的なサバイバルを趣味にでもしていない限り、現代で干し肉が必要になる場面など滅多にありませんから。元々ニートをしていたという雨竜さんが、干し肉の食べ方を知らないのは当然の事ですよ」


 やり取りを見た古川さんは、フォローするようにそう言ってくれた。


 ……いや、うん。フォローは嬉しいけど、逆にトドメ差されてる気がする。

 今回の件は結局のところ、俺の知識不足が原因だ。そして俺があまり知識を持っていないのは、ニート生活をしていて知識を得る機会がなかったからだ。なのでニートだったのだから仕方がないとか言われても、あんまり慰められてる気はしない。


 でも慰めてくれるその気持ち自体は素直に嬉しい。いやほんとに。


 あの後、俺は食べ方を教わりながら黒々とした石? ――干し肉を食べた。


 中々に貴重な経験だった。水やお湯で解さなければそもそも食べる事すら出来ない食べ物なんて経験した事がなかったし、しかも調味料を一切使わずに作られているものだから、味が薄いわ、もそもそしてるわでとても食べられたものじゃなかった。


 それでもなんとか完食はしたが……もう二度と食べたくないと思った。

 味が薄過ぎてもう、実は虚無を食べてるんじゃないかこれ、って気分になった。


 さて。そんな干し肉なのだが。

 実はこれ……古川さんが個人で持ってきたものらしい。


 理由はいざという時の非常食にする為、なのだとか。


「……なんでわざわざこれを持ってきたんですか? 美味しい保存食なんて今日日探せば幾らでもあるでしょうに。これじゃなきゃダメな理由でもあったんですか?」

「いえ、ただの趣味です。これじゃなきゃダメな理由などは特にありませんね」


 言い切られ、思わずポカンと口を開けて古川さんを見てしまった。


 趣味? 趣味と言ったかこの人。干し肉を食べるのが趣味……?

 一体どういう経緯を辿ればあれが趣味になるというんだ……!?


 分からない。彼女が何故そんな趣味を持ったのかまるで分からない。


「……坊主、難しく考えるな。時々いるんだよ。奇特な趣味を持った奴が」

「は、はぁ。いやそれにしたってなんで干し肉……?」


 美味しいなら分かるけど、あれは味とかほぼなかった。

 継続して食べたいかと聞かれれば、俺なら絶対にNOと答える。


「そんな事よりだ、坊主。オレ達が考えなきゃいかん事がある」

「考えなきゃいけない事、ですか? ……それは一体?」

「それはだな……食いもんが確保できなきゃ、オレ達はこれからもあの味がしない、食ってるかどうかもよく分からない干し肉を食べ続けなきゃならんって事だ」

「!? え、えぇ!? どうしてですか!? 何故そんな悲惨な状況に!?」


 これからもあれを食べ続けなきゃいけない!?

 なんだそれ! 一体どんな地獄だ!?


 そうなるくらいなら俺はその辺の草を毟って食べる!

 いや……最悪何も食べなくたって構わない!

 その方がまだマシだ! あれを食べる事に比べればな!?


「よく考えてみろ。オレ達の物資は全部キャンプだ。手持ちにはない。当然、その中には食料だって含まれてる。そして――ここにある食料は嬢ちゃんの干し肉だけだ」

「ハッ――――!?!?!? なんて事だ、その通りじゃないですかッ!!!」


 まさか我が軍の兵糧がそこまでの危機に瀕していたとは……!

 読めなかった……!! この俺の目をもってしても……ッ!!!


「オレ達は……何としてでも食いもんを手に入れる必要がある……!!!」

「はい! あんな味のしないものを何回も食べたくなんかないです!!!」

「慣れたら意外と癖になるんですけどね、干し肉」


 騒ぐ俺達を横目に、古川さんがぽつりと呟いた。


「いやいや! 慣れるほど食いたくなんかねえって!」

「そうですよ! あれは耐えられません!」

「……ふぅ。まったく。これだから真の美食を知らない人達は」


 やれやれ、と古川さんは首を左右に振った。

 まるで子供の我が儘に振り回される母親の如く。


「え、えぇー……?」「いやいや、いやいやいやいや……」


 俺と獅子島さんはなんだか釈然としない気持ちになった。


 いや、あれを美食と言われても――と。


 美食ってのはもっとこう、美味しい料理のはずだ。

 対してあの干し肉は虚無を食べてるようなものだ。


 まったく比べ物にならない。

 比べたら失礼でさえある。


 それなのに“これだから味が貧弱な凡人は”みたいに首を振られても、正直微妙な気分にしかならない。むしろどうしてそんなに自信満々なのかと疑問にすら思う。


「そういえば物資と聞いて思い出したんですけど」


 古川さんからこそこそと距離を置き。

 俺は微妙な顔をした獅子島さんに話し掛けた。


「急にどうしたってんだ、坊主」

「いえ。ちょっと気になった事がありまして」


 怪訝な表情を浮かべた獅子島さん。

 そんな彼に、俺は頭に浮かんだ疑問を口にした。


「彼女は一体、どこに干し肉を隠し持っていたんでしょうか?」

「そりゃあどこってお前さん……はて? どこに持ってたんだろうな?」

「全然分かりませんよね? おかしいと思いませんか」


 少し考えて、思い至らなかったらしく首を捻った獅子島さん。

 仲間を得た気分で俺は自分の考えを彼に話した。


「よく考えなくてもおかしいですよね? 俺が見つけた時、彼女は意識を失っていました。その後ドラゴンの暴れる岩場から背負って連れ出しましたが……当然、荷物を持ってくる余裕なんてありません。彼女も俺達と同じように、物資なんて持っていなかったはずです。なのに今も干し肉だけは持っている。これはなんとも不自然だ」


 ふむ。と獅子島さんが頷いた。


「状況から考えれば、服の中にでも干し肉をしまってたんじゃねえか?」

「幾ら干し肉が好きでもそこまでしますかね? わざわざリュックに入れずに?」

「やるかもしれねえぞ。好きって感情は理屈じゃ説明し切れねえからな」


 干し肉を服の中に隠し持つ古川さん。……少し想像してみる。


 ……うわぁ。かなりハッキリと想像できてしまった。

 普段から干し肉を携帯し、時折取り出して食べる彼女の姿が。


 とても美人なだけに、なんだか残念臭が凄い。


 そろ~り、と。二人揃って古川さんの方を見やる。

 彼女は俺達が見ている事に気付き、ハテナマークを頭の上に浮かべた。


「……なあ坊主。この話題は終わりにしねえか?」

「……そうですね。世の中には知らない方がいいこともある」

「ああ。これはオレ達には早い世界だったんだ」


 俺と獅子島さんは話題を切り替え、攻略について話し合う事にした。

 干し肉についてはなかった事にした。……少々の疑問を残して。

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