第5話 ドラゴン

 獅子島さんを襲うリザードマンを上下に分断した俺。

 鉈を一旦鞘に戻し、彼と向き合う。


「ぼ、坊主。お前さん……」

「無事でよかったです、獅子島さん」


 唖然とした表情を浮かべる獅子島さん。


 無理もない、と思った。なにしろ戦闘中に話し掛けた俺のミスとはいえ、命の危機に瀕していたのだから。そこから一瞬で助けられたら、誰だって呆然くらいする。

 むしろ発端が発端だから、巻き込んでしまった彼に申し訳なく思う。


 だからせめて安心できるように――俺は獅子島さんに笑い掛けた。


 すると何故か彼は顔を下に向けてぷるぷると震え出した。

 なんだ!? 俺は何か気に入らない事でも言ってしまったのか!?


 そんな不安に囚われていた――次の瞬間。


 がばあっ、と。獅子島さんに激しく抱き締められた。


 ――なに!? なんだ、どういうこと!? why!?


 俺はちょっとだけ混乱してしまった。

 なにせいきなり抱き締められたのだから。


 しかし――“どうせ抱き締められるなら女の人がよかった”。


 混乱の最中、そんな事を思ったりもした。

 我ながら意外と冷静だったりするのかもしれない。


 ただ、すぐにその混乱も解けた。抱き締めてきた張本人である獅子島さんが、満面の笑みを浮かべている事に気付いたからだ。強張っていた肩から緊張が抜ける。


 きっとこれも彼なりのスキンシップというやつなんだろう。

 ちょっと――いやかなり、オーバー過ぎる気がしないでもないけれど。


 事実。獅子島さんはバシンバシンと俺の背中を叩いてきた。


「すっ――――――げええじゃねえか坊主っ!!! まさかあのリザードマンを一発でぶった切っちまうなんて、お前さんは一体どれだけ怪力なんだ! わははは! あれは見ていて痛快だった! 思わず目を疑っちまったよ!!」

「あはは。無我夢中だったので、自分でも何が何だかって感じなんですけど」


 あの瞬間の出来事は何故か曖昧にしか思い出す事が出来ない。

 まるで何年も昔の事のように記憶がぼやけてしまっている。あれからまだ30分すら経っていないというのに。若年性健忘症にでもなったのかと不安になる。


 けど一応でいいのなら、記憶が曖昧な理由は説明できる。


 あの瞬間、俺は思考能力を全て獅子島さんを助ける事に回していた。

 彼を助け、リザードマンを屠る。この二つだけが頭にあり、他はすべて身体の動きを最適化する事に使われていた。当然、見たものを記憶する余裕などない。

 だから数分前の出来事なのに記憶が曖昧なんだ……と思う。


 まああくまで推論だから、確証とかはまったくないんだけどな。


「もしかして坊主は武術とかやってたのか?」

「い、いえ。そういうのは特には……」

「そうなのか? にしてはやたら動きがよかったけどなあ」

「はあ。自分ではよく分かりませんが」


 獅子島さんは数分ほどうーん、と唸っていたが。

 しばらくすると考えるのを諦めたらしい。

 まあいいか、と気にしない事にしたようだった。


「ま! なんにせよ助かった。ありがとな、坊主!」

「……はい。俺も助けられてよかったです」


 獅子島さんからの感謝の言葉。俺も笑みを返す。


 誰かを助けて、感謝の言葉を受け取る。

 これだけで彼を助ける事が出来てよかったと心から思える。人は誰かを助ける事で幸せになれるなんて記述を読んだ覚えがあるが、あれは本当だったんだな。


 それに――彼のようないい人が居なくなるのは大きな損失だ。


「さて。戦い終わりだ。少しくらい休みたいもんだが――」

「ぎゃー!? 助けてくれぇえええええっ!?!?!?」

「――ま、そう都合よくはいかんわなあ。こればっかりはなあ」


 キャンプ中に轟く情けない悲鳴。獅子島さんが溜息をこぼす。


 見れば、リザードマンから逃げ回っている男がいた。


 必死の形相で走っている男。けれど追い掛けるリザードマンの方が遥かに速い。時間が経つ毎に徐々に距離も縮んでいる。男はそれを見て更に必死に走る。

 だがこのままでは、遠からず追い付かれる事になるだろう。時間の問題だ。


 男以外にも今まさに命の危機に瀕している者達が大勢いる。


 逃げ回る者。隠れている者。追い詰められている者。

 数人ほど何とか応戦しているが、辛うじて拮抗しているだけ。見ている限りでは彼らにも一切余裕がない。天秤が崩れればすぐにでも命を落とす事になるだろう。


 つまり――助けを求める人が大勢いる訳だ。


「坊主、お前さんまだやれるか?」

「問題ありません。まだまだいけますよ」


 襲われている彼らを鋭く見つめながら、獅子島さんは端的に尋ねてきた。


 その視線。この状況。すぐに彼が何をしたいのかを理解した。

 だから俺も自信満々に返事をした。胸を張ってなるべく頼もしく見えるように。この人の前ではなんとなく、カッコ悪いところを見せたくないからな。


 それに実際、無茶をしても大丈夫だという根拠もあった。

 リザードマン二体を倒してから、俺は更に調子が上がっている。まるで存在が拡張され、世界そのものを押し退けているような。そんな全能感に満ちている。


 ――今なら軽自動車くらいは持ち上げられるかもしれない。


 普通なら絶対に不可能なそんな事も、今なら本当に出来てしまいそうだ。


 やる気に満ち溢れた俺を見て。

 獅子島さんもニッ、と笑みを浮かべた。


「じゃあいっちょ、人助けといこうや」

「はい。トカゲモドキ共をぶちのめしてやりましょう」





「はあぁぁああああッ!!!」

『――!? ――――ッ!!!』


 力任せに鉈で一閃。一体のリザードマンを切り捨てる。

 血を振り払った後、素早く他のリザードマン達を牽制する。


「おい! 今のうちにここから逃げろ!」

「ひ、ひぃいいいいいっ!」

「あ、……おいおい。礼の一つもなしかい」


 俺が敵を引き付けている間、獅子島さんは攻略隊の面々を助けていた。


 大部分は手遅れ。けれど十数人だけだが助けられた者もいた。

 彼らは助かった事を泣いて喜び、俺達に感謝してくれた。


 全員は助けられなかった。けど救えた人達もいる。

 その事を獅子島さんと一緒に喜んだ。


 だが……何処にでも度し難い人間というのはいるらしい。


「まさか助けたのに罵倒される事になるとはなあ」

「……まあ、ここにいるのは大半が社会不適合者ですから」


 残念ながら、中には助けたのに文句を言ってくる連中もいた。


 曰く。“助けるのが遅い!”。とか“このノロマが!”とか。


 連中は一体どういうつもりで俺達を罵ったんだろうか。


 俺と獅子島さんには連中を助ける義務も義理もない。それどころか見捨てたところで非難すらされないだろう。ダンジョン攻略隊は大多数の国民の平和の為に、文字通り生贄としてダンジョンに捧げられた人間だ。死んでも誰も悲しんだりしない。


 だから何かあった時に頼れるのは同じ攻略隊の人間だけなんだが……。助けた人間を罵倒したりすれば、次は誰も助けてくれなくなるだろうに。想像力がないのか?


 とはいえ、俺達も黙って連中に罵られていた訳じゃない。


 ああいう奴らは調子に乗ると際限がないからな。

 一度痛い目を見せておく必要があった。


 もちろん暴力を振るった訳じゃない。そんな無駄な事はしない。

 ほんのちょっと彼らの前で血が付いた鉈を素振りしてみせただけだ。こう、びゅんびゅん! とな。それだけじゃ味気ないから近くの岩を切り裂いたりもしてみた。

 岩が豆腐みたいに切れるあの感触は中々面白い物があったよ。


 連中は顔を蒼褪めさせていた。自分達がどういう人間に喧嘩を売ったのか理解したんだろうな。中にはズボンを湿らせていた奴もいて、中々見物だった。

 まあ絵面は汚かったけどな。少なくとももう一回見たいものじゃない。


 あんな連中ばかりだと人を助けたくなくなりそうだ。


 そう思いつつも救助活動を続けていると、突然状況に変化が起きた。


「なんだ? 急にリザードマン共の動きが……」

「一斉に森へ逃げていく……?」


 攻略隊のキャンプを襲っていたリザードマン達が、急に引き上げ始めたのだ。


 それもただ引き上げようとしている訳じゃなさそうだった。

 撤退というよりは……逃走。一目散に何かから逃げているように見えた。


 俺がそれなりの数を倒したとはいえ、リザードマンはまだ大量にいた。

 こちらは戦闘を成立させられる人間すら数えられる程しかいない。状況はどう考えても向こうの方が有利だ。逃走を選択する理由なんて何処にもないはずだが……?


 リザードマン達の行動を不審に思っていた――その時。


「――!?!?!? ぐ、ぐぅぅぅぅぅぅぅ……ッ!?」

「ど、どうした坊主!? 大丈夫かっ!?」


 突然凄まじい頭痛に襲われ、俺は頭を抱えその場にうずくまった。

 ガンガンガン! とけたたましい音が頭の中で木霊する。


 激しい頭痛に苛まれる中、俺は気付いた。


 これはあれだ。宝石を見た時に感じたものと同じものだ。

 危険な怪物の逆鱗に触れたような――嫌な予感。


 今回は前回よりもずっと激しく警報を鳴らしてきているが。


 頭が割れそうなほど痛い。眩暈がする。全身の冷や汗が止まらない。平衡感覚さえままならない。吐き気も催してきた。俺は今、ちゃんと意識を保てているのか? 一瞬でも気を抜けば、今にも意識を失ってしまいそうだ。ただひたすらに辛い。


 だけどそんなものはどうでもいい。どうだっていいんだ。


 今すぐ行動しないと取り返しのつかない事になる。

 そんな凄まじい悪寒が、俺の全身を支配していた。


「……獅子島さん。すぐにこの場を離れましょう」

「離れる? 何を言ってんだ。それよりもお前さんの調子は……」

「――早く! 急がなきゃ手遅れになるんです!!!」


 俺の剣幕に獅子島さんは驚きの表情を浮かべた。


 ただ、危機的状況にある事は理解してくれたらしい。

 真剣な表情で分かった、と頷いてくれた。


「それだけやばいってこったな。オレはどうすりゃあいい?」

「森に逃げ込みましょう。恐らくはそこが一番安全……」


 ――けれどそこまで口にしたところで。

 残念ながら俺達は、状況に追い付かれてしまった。


「ありゃあ、まさか……!」

「間に合わなかった……っ」


 上空を過ぎる巨大な影。咄嗟に空を見上げると――はいた。


 10メートルを超える馬鹿げた巨体。全身を覆い尽くす真紅の鱗。翼は羽搏き一つで突風を発生させ、黄金に輝く瞳がギョロリと大地にいる有象無象を睥睨する。


【――――――――――ッッッッッ!!!!!!!!!!】


 衝撃波の如き爆音の咆哮が大気を揺らがせた。


「ぐっ、こりゃあまじかい……っ!?」

「ドラゴン……ッ!!!」


 大いなる空の覇者。ドラゴンが俺達の前に姿を現した。

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