第4話 リザードマン
突如として攻略隊のキャンプに出現した、トカゲのような姿の亜人。
手には鋭利な槍。先端には攻略隊の女性が***を刺し貫かれている。彼女は逃げようと藻掻いているが、力が入らないのか碌な抵抗が出来ていない。
そして――どさり、と。身体から槍が引き抜かれ、女性が地面に落とされる。
明らかに致命傷だ。身体に中心に穴が開き、大量の血が流れている。
治療したとしても意味はないだろう。穴が大きすぎる。例え塞いだところで焼け石に水にすらならないし、あの大きさだと臓器が幾つも傷付けられているはずだ。こんな場所では傷付いた臓器を取り換えるなんて真似も出来ない。……手遅れだ。
何より……あの女性の傍にはまだ、危険なモンスターが立っている。
「ひ、ひぃいいいっ!? トカゲの化け物だぁあああっ!?!?!?」
――次の瞬間。攻略隊メンバーの一人が大きな悲鳴を上げた。
悲鳴を皮切りに大パニックが発生する。我先に逃げ出そうとする攻略隊の面々。
押し合いへし合い。他者を押し退けてでもモンスターから離れようとしている。
まるで暴動だ。統制なんて一切きいていない。誰も彼もが、自分が生き残る事だけを考えて動いている。誰よりも前へ。とにかくあの怪物から遠い場所へ。そこに他者への気遣いなんてものはなく、生存本能に呑まれた獣の如き行進だけがあった。
「あれがモンスター!? 想像よりもずっと大きい!」
「あれはリザードマンだ坊主! 一度だけ写真で見た事がある!」
「リザードマン! あれが……!?」
リザードマン。噂だけなら俺もその存在を聞いた事があった。
曰く。身体の表面には硬い鱗。人を素手で引き裂ける異様に発達した筋肉。文明の利器を扱えるだけの知性をも併せ持ち、ドラゴンやリザード系のダンジョンに頻繁に出現する、トカゲ人間のような姿をした非常に厄介なモンスターの一種だと。
まさか今日見る事になるとは夢にも思っていなかったけれど。
「ぎゃああああああ!? 助けてくれぇっ!!!」
「やめろ、やめろぉおおおっ!?」
「いやだっ、殺さないでくれぇっ!?!?!?」
しかもどうやら、来ていたリザードマンは一体だけじゃなかったらしい。
何十体ものリザードマンが次々と姿を現し、攻略隊を襲っている。
ある者は槍で貫かれ、ある者は切り裂かれ、ある者は素手で引き千切られる。政府から支給された武器で応戦する者もいるが……あえなく殺されている。
僅かな間にキャンプは悲鳴と断末魔が飛び交う地獄へと一変してしまった。
「ちっ、こっちにも来やがったか!」
その言葉に視線を動かせば、二体のリザードマンが俺達の方へ来ていた。
どちらも他の個体より幾らか図体が大きく見える。
「坊主! 支給された武器は持ってるな!?」
「はい! ずっと腰に提げていました!」
「よっしゃ! なら一体ずつだ。あいつらを倒して、なんとかここから離脱する機会を伺う。お前さんはまだ若いんだ、こんな所でくたばるんじゃねえぞ!?」
「当然ですよ! あんなトカゲモドキ如きに、俺は絶対にやられたりしません!」
その意気だ、わははは! と。獅子島さんは大笑いして。
次の瞬間――一体を引き連れ、俺から離れて行った。
「勝てよ!」
「もちろん!」
残ったリザードマンと俺との睨み合いが始まった。
地獄絵図が広がるキャンプ。俺は大柄なリザードマンと睨み合いをしていた。
緊迫した空気。滴り落ちる汗。周囲の喧噪が遠い世界の事に感じられる。
俺は睨み合いをしたまま一歩も動けないでいた。一瞬でも相手から目を離せば次の瞬間、自分の命は無くなっている――そんな予感が脳裏でやかましく騒ぐからだ。
俺の手には鉈。これが政府から支給された唯一の武器だ。
これ一つで勝つ事が出来るのか……? 疑問が浮かぶ。リザードマンの鱗は如何にも頑丈そうだ。この鉈は本当に通用するのか、少しばかり疑わしく感じる。
……いいや。勝てるのか、じゃあない。
勝つんだ。それしか生き残る道はない。
俺は必死に委縮する自身の心を鼓舞した。
周りを見る限りリザードマン達の足はかなり速い。逃げ切るのは恐らく不可能。負ければ他の連中のように捕まって殺される。だから――なんとしても勝つしかない。
『――――! ――――ッ!!』
「来るか――!?」
最初に仕掛けたのはリザードマンの方からだった。
『――――ッ!!!』
「おも――いや、軽いっ!?」
鋭い槍の一突き。咄嗟に鉈の腹で受け止めた……が。
俺は思わず戸惑ってしまった。
受け止めた敵の攻撃が異様に軽く感じる。
そんな事有り得るのか? リザードマンは見た目からして恵まれた巨体と筋肉量を誇っている。そんな奴の攻撃を、碌に運動していない俺が軽く感じるなんて。
だが現に、俺は奴の攻撃を軽々と受け止める事が出来た。
『――――――ッ!!』
「う、うぉおおおっ!?」
――しかし、戸惑っている間にも時間は進んでいく。
リザードマンが槍を横に薙ぎ払う。
俺はそれを反射的に転がって躱した。
そのままリザードマンから幾らかの距離を取る。
違和感がある。思えば俺がリザードマンの動きに反応できているのもおかしい。俺は運動神経が悪い訳じゃないが、決して良い訳でもない。微妙だ。そしてその微妙な運動神経は、数年のニート生活の間に間違いなく錆び付いていたはずなんだ。
対照的に、奴の肉体は戦う為に生まれましたと言わんばかりだ。
これだけの差があって、一度ならず二度までも反射的に攻撃を避ける? 偶然にしては出来過ぎている。有り得ないだろう。どんな奇跡だ。俺の身体は一体どうなってしまったというんだ。知らない内に何かやばいものでも食べてしまったのか?
……いや。今はそんな事を考えている場合じゃないな。
今のところは不思議と余裕だが、このまま後手に回り続ければいつか必ず限界は来るはずだ。ニートだった俺に持久力なんてないんだから。だから体力が尽きる前にこちらから打って出て、相手を打倒する必要がある。それ以外に生き残る道はない。
意識を切り替える。リザードマンの隙を見つけ、突く為に。
俺はその後も相手の攻撃をいなし、躱し、受け続けた。
突き、薙ぎ払い、振り下ろし、噛み付き、蹴り。
どれもこれもまともに喰らえば命を落とすような一撃だ。
しかしその全てに対処してみせた。
すべてはダンジョンから生きて出る為に。
そして――
「! ――ここだぁあああああッ!!!」
『――――――ッ!?!?!?』
敵が見せた一瞬の隙。気付いた瞬間、俺は全力で動いた。
一歩。槍の一突きを躱し。鉈の柄を両手で握り締め。
二歩。敵の懐に潜り込み。鉈を頭上に振り上げ。
三歩。鉈を――リザードマンに向けて振り下ろす。
相手との距離はゼロ。槍で防ぐには近過ぎて、動揺から避ける事も叶わない。
故に――リザードマンは俺の攻撃をまともに受ける事になった。
『――、――――、――……』
ずるり。身体の中心から真っ二つに裂け。
最期に何かを呟いて。リザードマンはバラバラに倒れた。
「ふぅぅぅぅぅぅぅ…………っ」
いつの間にか肺に溜まっていた空気をすべて吐き出す。
ギリギリの戦いだった。どちらが勝ってもおかしくない勝負だった。
何か一つでも条件が違っていれば、死んでいたのは俺だった。俺が今も生き残っているのは、理解できない領域で動いていた運によるものだ。
だが――最終的に相手を打ち破り、立って呼吸をしているのは俺だ。
その事実だけは今もこの目に映る現実によって証明されている。
「俺の身体は一体どうなってるんだ……?」
己の手を見つめながら、ぽつりと呟く。
昨日……いやダンジョンに入るまでは、俺は間違い普通の人間だった。
モンスターの動きに反応できる反射神経なんてなかったし、モンスターの攻撃を受け切れる耐久力も、モンスターを鉈一本で真っ二つにできる膂力もなかった。
特別優れた能力もないどこにでもいるニートの一人でしかなかった。
なのにこれは……明らかに俺の身体に何かしらの変化が起こっている。
果たしてこの変化はいいものなのか? それとも悪いものなのか? もしこれがダンジョンからの悪い影響を受けた結果だとすれば、俺は一体どうすれば……。
「って、こんな事を考えてる場合じゃない! 獅子島さんはどうなった!?」
リザードマンはかなり手強かった。攻略隊の連中はかなりやられている。
何故か強くなっている俺だから倒す事ができたけど、あの人が同じように強くなっていると楽観的に考える事はできない。むしろ周囲の状況を見れば、一切強化されていないと考える方が自然だ。つまり……獅子島さんは素の力で戦う事になる。
甘く考えても状況は厳しいはず。手遅れになる前に手助けしなければ!
そう考え慌てて駆け付ければ、案の定。獅子島さんは防戦一方になっていた。
「ぐぅ……っ! こんな事なら、荊の言う事ちゃんと聞いて少しくらい運動しときゃあよかったなあ……っ。まさかモンスターと戦っている最中に、運動不足を実感する事になるとはっ。わははっ。オレもそういう歳になったって事か……っ!?」
『――――ッ!! ――――――ッ!!!!』
「そう叫ばずとも聞こえてらあな。悪いが、もうちょっと付き合ってくれや」
獅子島さんは持っている薙刀を使い、上手く相手を遠ざけている。
戦い方が非常に上手い。縦横無尽に繰り出される攻撃が、リザードマンの攻撃しようとする意志を見事に封じ込めている。
状況は有利。一見するとこのまま何時間でも戦えそうに見えた。
ただ……よく目を凝らすと見た目ほど状況は良くない事が分かる。
確かにパッと見だと獅子島さんが完璧に状況を制しているように見える。
けどそうじゃない。疲労からか、所々動きに精彩を欠く場面があるのだ。その所為で時折、リザードマンの攻撃が獅子島さんの身体を掠めている。この状況が続けば、遠からず相手の攻撃を避け切れずに致命傷を負う事になっていただろう。
でも、まだ間に合う。まだ間に合うんだ。
「獅子島さん! 手助けします!」
「――坊主っ!?」
俺が声を掛けると、獅子島さんが驚いた表情でこちらを見た。
それに対して――まずい! と思った。
彼はまだ戦闘中だ。なのに眼前の敵から視線を逸らしてしまっている!
リザードマンは敵が隙を晒したのを見て、すかさず槍を構えた。槍を腰に溜め、獅子島さんに向かって突き出そうとしているのだろう。二人の距離を考えると当たるまでには2秒も掛からない。
そして俺のいる場所からは二人までは、まだほんの少しだけ距離があった。
「うぉおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!!」
ぼうぎょ。むり。はしる。まにあわ。かばえな。――たおす!
「くたばれぇえええええええッッッ!!!!!」
『!? ――――ッ!?』
そして――ぶつん! 勢い任せにリザードマンの上半身を刎ね飛ばした。
切り離された上半身はどちゃっと音を立てて地面へ落ち、上を失った下半身は命令を行なう部位を失った事で機能を喪失し、何も出来ないままバタリと倒れた。
残っているのは目を見開いた獅子島さんと……鉈を構えた俺。
「ぼ、坊主。お前さん……」
「無事でよかったです、獅子島さん」
唖然とした表情を浮かべている獅子島さん。
構えを解いた俺は、そんな彼に笑い掛けた。
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