8月8日8時8分

洞貝 渉

8月8日8時8分

 8月8日8時8分に学校の裏手にある、何を祀っているのかわからない小さな祠に願い事をすると、それが叶うまでずっと8月8日をループする、らしい。


 じゃあ、叶わなければずっと8月8日から抜け出せないのだろうか。

 願いを叶えてくれるのではなく、叶えないといけない、というのはちょっと不思議だと思ったのを覚えている。


 仮に、その学校へ通う児童AとBとCがいたとする。

 夏休みに入る直前、Aが面白そうだと言って、BとCを誘って夏休み中の学校へ忍び込む計画を立てた。

 BとCは大はしゃぎでその計画に乗った。

 大人や他校の児童なら無理かもしれないが、この学校に通うABCなら抜け道も知っているし、たとえ先生に見つかっても忘れ物をしたとでも言って適当に誤魔化せるだろうし。

 三人は当日、何を願うか夢中になって話し合った。噂にある『8月8日をループする』の意味はよくわからなかったけれど、夏休みは長い。もし8月8日に閉じ込められたら何日も8月8日から帰れなくなり、8月8日にお泊りすることになるのかも、という話になり、当日はお腹が空かないようにお菓子も持ち寄ろう、なんて危機感があるのかないのかわからないことを半ば真剣に、半ば懐疑的に意見し合った。


 夏休みに入り、指折り数えて、遂に8月8日になる。当時スマホもフューチャーホンもまだなかった。当日に連絡を取り合う手段もないままに、ABCはそれぞれ、噂への期待とみんなちゃんと来ているかという不安を胸に、早朝から待ち合わせ場所に向かった。


 待ち合わせ場所に最初に来たのはA、次いでC、最後に時間を5分ほど遅れてBがやって来た。全員が集合した所で、子どもしか通り抜け出来ない抜け道を使って学内に侵入する。

 AとBはお願い事についてや持ってきたお菓子のことなどを楽し気に話していたけれど、Cは正直、楽しい気分より眠たさが勝っていた。せっかくの夏休みで寝坊し放題なのに、いつも通りの時間に起きて、こんな朝っぱらから学校なんかに来て、私は一体なにをしているんだろう。

 たかが噂なのに。しかも、願うと叶うんじゃない。願うと叶えるまで8月8日がループするんだ。


 火のない所に煙は立たないと言うが、この噂の火元は、この地域で定期的に起こる神隠しなのだという。それこそ、ABCが生まれるずっと前からこの辺りの地域では小学生の行方不明が後を絶たないらしい。

 幸い今のところ、ABCたちのクラスメイトや他校の知り合いに行方不明者は出ていなかったが、数年前にこの学校の児童が一人、行方不明になっているそうだ。

 みんなあの祠に願い事をして、叶えられずにループする時間の檻に閉じ込められてしまったのだとか。


 もちろん、そんな非現実的なことなんてあるわけはない。

 AもBもCも、頭ではそう思っていた。それでも、万が一のこともあるし、願い事は簡単に叶えられることにしようと話し合いで決めていた。

 Aはチョコが食べたい。そのために、今日はちゃんとチョコレートを持参してきていた。

 Bは楽しくおしゃべりがしたい。別に願わなくても現在進行形でいつもしていることだ。

 CもAとBの願いと似たりよったりで、ちょっとしたことを願うつもりだった。


 小さな祠の前に着いたのは、8時5分。時間ギリギリだ。

 みんなで一緒に願おうということになり、AとBとCは横並びで目を瞑り、手を合わせた。

 AとBが実際に決めてきた願い事をしているのかは定かではなかったが、Cは特に何も願っていなかった。朝食を食いっぱぐれてお腹が空いていたので、早く8時8分が過ぎてくれないかとそればかり考えていた。

 だから、集中したAとBより先にそれに気が付けた。


 何かが近づいてくる。

 目を開け、空を見上げる。

 憎たらしいくらいに清々しい空だった。

 夏の虫が忙しそうに鳴いていたが、徐々に別の音にかき消されていく。

 点くらいの大きさだったものが、次第にその形を明確にしてゆき、細部が見えてきた。普段は遠巻きに見るだけなので、こんなに裏側からそれを見つめたのは初めてだった。影が無遠慮にABCを飲み込んで、はるかかなたにあったはずのヘリコプターが猛スピードで落下して……。


 Cはとっさにイヤダと思った。助けてと願った。ナンデとも考えた。

 全てのことはほんの一瞬の出来事だ。そのほんの一瞬に凝縮された感情や思考がいっぺんに頭を、体中を駆け抜けた。


 Cは悲鳴を上げて、自分のベットの上で飛び起きた。

 びっしょりと汗をかいていたが、夢だったのだと気が付き、ほっと脱力した。

 母親がCを呼ぶ。お友だちと約束があるんでしょう、そろそろ出なくていいの? と。Cの顔はさっと青ざめた。日めくりのカレンダーは今日が8月8日だと告げている。


 行かない、体調悪いの。震える声で母親に伝え、肌掛けを頭からかぶってその日一日、Cはベットから動かなかった。


 ……そう、ここまで話せばわかると思うけれど、Cは私のこと。

 夏休みが終わり、学校に登校してからAとBが行方不明になったことを聞いた。

 さらに裏の小さな祠はヘリコプターの墜落でぺしゃんこになってた。絶妙な位置に落ちたおかげで、校舎にはかすりもしなかったって。

 夏休み中だったおかげで児童や学校関係者にも死傷者はいなかったそうだよ。

 しばらくはAとB、それからヘリ墜落の話で騒然としていたけれど、時間と共に話題に上らなくなり、すっかりみんな、AのこともBのことも祠のことも忘れてしまったかのように過ごしてる。




 8月8日8時8分に学校の裏手にある、何を祀っているのかわからない小さな祠に願い事をすると、それが叶うまでずっと8月8日をループする。


 じゃあ、叶わなければずっとその時間から抜け出せないのか。

 私はあの時とっさに助けてと願って、助かった。願いが叶ったから今もこうしてループしない時間の中を生きている。

 でも、AとBは?

 たわいない願い事をしたはずなのに、何が起こったのか把握できないままに8月8日の朝に戻され、学校へ向かい、叶える間もない願い事を繰り返しているのだろうか?


 なんで今になってこんな話をするのかって?

 さあ、なんでだろう。ただ誰かに聞いてもらいたかったのかも。

 私自身でさえ、時々あれは本当にただの夢だったんじゃないかって思うんだよね。

 それで、だんだん不安になってくる。

 肯定して欲しいわけでも否定して欲しいわけでもないんだけど、ただ、風化させたくなかったのかな。


 ただ、今でも時々、あの祠が夢に出てくるんだ。

 AもBもいない、ただ祠だけが。

 私は必死に何も願うまいと歯を食いしばって、じっと祠を見つめ続けている、そんな夢を。

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8月8日8時8分 洞貝 渉 @horagai

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