第26話ローズ宮殿では
「どういうことなの?公務も通常に戻ったって言ってたじゃない!」
ナージャはテーブルに置かれたティーカップを床に投げつけた。
「どうか落ち着いてください!ナージャ様」
「なぜウィリアムはローズ宮へ来ないの!」
侍女たちはナージャをなだめる。
私はウィリアムの子を身ごもっている。一番大切にされるはずの妃だろう。
なのに会いに来ないなんて有り得ない。
苛立ちはもう限界まできている。
「お腹のお子様に何かあってはいけません。大事なお身体です」
ナージャは言い聞かせようとする侍女長を睨みつける。
「時間ができたら様子を見に来るってあんたが言ったじゃない!本当に無能ね、使えない!誰のおかげでローズ宮で侍女長をやっていられるか分かっているの?」
侍女長を怒鳴りつける。
この女がちゃんと仕事をしないから私がこんな思いをするのよ。
むしゃくしゃしてテーブルをガンッと叩いた。
『リハビリがてら庭園を散歩しませんか』
『久しぶりに、夕食をご一緒させて下さい』
『胎動を感じるようになりました。安定期に入りましたので一度お顔を見せに来てください』
『体調が良くないので、見舞いに来ていただきたいです』
私からのどんな誘いにも応じられないという返事がくる。仕事が忙しいとか時間がないとか言い訳ばかり。怪我をした時、あんなに献身的に看病したというのにウィリアムは冷たすぎる。
『大事がないよう、ローズ宮殿で静養するように』
王宮からの返事は素っ気ないものばかりだった。
ここ最近は彼の顔を見ていない。
「ローズ宮は王宮から離れた場所に建てられています。簡単に足を運ぶには距離があるので、時間ができなければ殿下もいらっしゃらないのではないでしょうか」
距離?
距離って何よ……
「馬車だったら大して時間はかからないでしょう!私はちゃんと言いつけを守っているのよ。彼の仕事の邪魔をしないように会いに行ってないじゃない。なのに、ウィリアムは夫婦の寝室で毎晩寝ているってどういうこと?」
「夫婦の寝室は宮殿内にあり、殿下の私室に近いですし……」
「あの女には会っているのよね?私はウィリアムの子を身ごもっているのよ。王族の血を引く世継ぎが、お腹の中にいるの!」
「そうです。殿下の大切な御子を身ごもられたのはナージャ様です。どうか冷静になって下さい」
侍女長はナージャを必死でなだめる。
興奮しすぎるのはお腹の子に影響する。そんなことは分かっている。興奮させないようにするのが使用人の務めでしょう。
このままだったら、彼は子が産まれるまでローズ宮に来ないかもしれない。
あの女が近くにいるからいけないのよ。
私の部屋が宮殿内にあれば、彼は私のもとへ来るかもしれない。
なぜ自分だけローズ宮に閉じこもっていなければならないのよ。
妊娠しているからって何もできないなんて不公平だわ。
華やかな場所にもいけないし、パーティーやお茶会も開けない。
「ステラ妃をお茶に誘います。忙しそうで時間がなかったようだけど、今は政務の手伝いをしていないと聞いたわ。彼女は暇にしているでしょう。それに、正妃の代わりに私がウィルの子を産んであげるんだから、感謝すべきよね?あの女は産めないんだから」
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、床に散らばったティーカップの残骸を見た。
それからウィリアムに手紙を書いた。
『ステラ様とお茶をすることになりました。殿下はお忙しいでしょうから、王太子妃同士で、仲良くできたらと思います。どうぞご心配なく』
手紙の返事はすぐに来た。
宮殿から使いの者がやってきて『時間と場所を知らせるように』と言われた。
なにを焦っていらっしゃるのかしら。
妊婦を放置するウィリアムが悪いのよ。
ステラ様が絡むと彼の行動力は迅速に発動されるようだ。
舌打ちして、彼からの手紙を握りつぶした。
【ステラside】
何度もしつこいくらいにナージャからお茶の誘いがくる。
「断るのもこれで何度目でしょう。いいかげん諦めればいいのに」
サリーはナージャからの手紙を見て憤慨する。
「でも、もう断る言い訳を考えるのもしんどくなってきたわね。いつまでも忙しいからとは言えないでしょう」
私も深くため息をついた。
「確かに、公務を手伝わなくなったことは知られているようです。ローズ宮殿の侍女は、子を身ごもったナージャ様に嫉妬して会いに来ないんだと言ってます」
「様子を見に行くべきなんでしょうね。けれど、楽しく話ができるとでも思っているのかしら」
「そうですよね。避妊薬入りの茶葉を飲ませていた人ですよ。お茶会で出されるお茶なんて、ステラ様が飲めるわけがないでしょう。恐怖でしかないです」
ナージャから子を孕みやすいお茶だと言って飲まされていたものは、避妊薬入りのお茶だった。
ママミアに茶葉の成分分析を頼んだら、受精を阻害する薬草が混入しているという結果が出た。
ただ、この茶葉は妊娠していない普通の人が飲む分には問題がないという。
「ナージャに飲まされていたお茶を、ボルナットの薬師に調べてもらったけど、無害だと言われたからね。薬草の一種で、健康に問題がないという結果しか出なかった」
この国の分析では無害とされる茶葉。
ボルナットの薬学のレベルが低い現状を目の当たりしたに過ぎない結果だった。
「悔しいですが、ナージャ様は罪に問えません。言い逃れができます。狡賢いというか、用意周到というか」
「私もいろいろ勉強して調べたけど、東洋でしか栽培されていない物らしいわ。輸入専門の商人も手に入らない茶葉だって言ってたしね」
それを手に入れるルートを彼女は持っているということ。
そのルートを探すのは難しかった。
「この国の薬草研究は遅れています。専門家も信用できないわ。薬だって言って毒を渡されても分からないし、お茶会だなんて危険すぎます。今回もお誘いはお断りしましょう」
サリーはそう言うが、そう何度も断るわけにはいかないだろう。
「一度だけは顔を出しましょう。御子が誕生すれば、王室も国民もナージャを母堂として崇めるでしょう。それまでは機嫌を損ねないようにしなくちゃね」
「嫌です……」
「ええ。嫌よね」
顔をしかめるサリーに、苦笑いで答えた。
「ナージャ様はステラ様に、今更何を求めてるんでしょうか」
確かにサリーの言うように、彼女は私をどうしたいのだろう。
ナージャは妊娠したのだから、もう私のことはほっといてもらいたい。
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