第23話ステラside 契約書
私はドレッサーの前まで歩いて行った。呼吸を整えて感情を殺す。
結婚した時に二人で作った契約書を、彼に見せようと決めた。
『夜伽は妊娠する可能性のある一週間のみ。
必用のないスキンシップはしない。
事が終われば、寝室から出て行く』
彼はそれを受け取り目を通すと、驚いたような顔で私に説明を求めた。
「私たちは政略結婚であり、第一の目的は世継ぎをつくることです。それだけ叶えれば後はお互い自由にしようという取り決めでした」
「かなり合理的だな。言いづらいことだがこの契約書は理に適っている。この考えは私らしいと言えばそうなる。だが、いちいちこのような証書にする理由は何だったんだ」
「書面に書いておけば、約束を反故にできないでしょう。例えば閨の拒否だとか、必要以上の接触だとかをしなくても済みます」
それはお互いスキンシップをとらないという取り決めだ。触るのが嫌だという大変失礼な約束の証書。そこに愛はない。
「この約束事は守られませんでした。初めの数カ月は、この契約通りに過ごしていました。けれど、ある時点から接触は濃厚になり……すみません。なんだか恥ずかしい話ですね」
「いや、数カ月以降は接触が……なんというか、べたべた触りあったということだな」
表現が露骨だけれど、その通りだ。
「気持ちが通じ合ったと言うべきでしょうか。触れ合いを互いに求めました」
今のウィルには考えられないことだろう。
「私は、令嬢にべたべた触られるのが苦手だった。だが、君から触れられるのが嫌かと言えば、嫌ではないと感じる。記憶が戻ったわけではないが、ステラに触られても不快ではないと思う。だから、閨事も可能だ」
「それは……」
それは私にだけなのだろうか。ナージャに触られるのは大丈夫なのだろうか。
彼女とは夜伽を行えるのだろう。
そうだとすれば、私だけが特別というわけではない。勘違いはしてはならない。
このモヤモヤした感情は、王室に嫁いできた者として持ってはならないものだ。
割り切れない思いがあるが、側妃に嫉妬するような正妃であってはならない。
けれども、胸に痛みが走り、とても苦しい。
これほど悩んでしまう原因は、ナージャだった。
そして、愛するウィルの信頼が崩れたからだった。
ウィルはナージャは飾りの妃で、閨事は行わないと言っていた。
子ができない状態が数年続いた場合は、側妃を娶るかもしれないが、今はその時期ではないと。
なのにナージャは身ごもった。
何があったのか、きっとどうしようもない理由があるのだろう。
ウィリアムはナージャを抱いたのだ。
私はそのことが悔しかった。自分にはできなかったウィルの赤ちゃん。
悔しいと思う自分に嫌気がさす。
醜い嫉妬心、汚い感情を持ってしまって……ごめんなさい。
◇
今後はこの契約書通りにしばらく過ごしてみようということになった。
ウィルは私と意見が合って良かったと喜んだ。
あの証書を見せたことによって、彼の悩みが解決したようだった。
殿下は、側近や侍従たちに私を以前のように愛するようにと強要されていたのだろう。
私は安堵の表情を浮かべるウィルをみて、ショックを受け傷ついた。
けれど顔に微笑みを張り付けて、それでは今日はもう休みましょうと言った。
「営みを行わない日は自室で休むと書いてあるが、今日は朝まで夫婦の寝室で過ごしたい」
「それは構いませんが、ベッドが一つですので私が自室に戻りましょうか?」
「いや、寝室の前で待機している従者たちを安心させたいのだ。早々に部屋に戻ってしまうと、何かと心配される。それに、ジェイから必ず朝まで一緒にいるようにと言われている」
ジェイが……執務室の皆が私に気を遣ってくれたのだなと思った。
「殿下も私も大変寝相が良いです。ベッドも広いので互いに触れ合わず眠ることが可能なんですよ」
私はウィルに冗談っぽくそう告げた。
「では、一緒に眠ろう。私はステラと話ができて良かったと思っている。夫婦の寝室は夫婦の会話を持てる場所だな。閨を共にする為だけではない」
ウィルは心のわだかまりが解けたように、穏やかな表情でそう言うと明かりを消して目を閉じた。
暗くなった室内に、彼の寝息が聞こえる。
私は眠れなかった。久しぶりに感じる彼の存在。
少し離れてはいるが、彼の体温を感じる。嬉しいけれど凄く寂しかった。
私は彼に背中を向けると、声に出さないように、一人で泣いた。
『寂しかった』
『愛している』
『抱きしめて』
胸が苦しい。
涙が止まらない。
そしてやはり私はウィルを愛しているから、離れたくはなかったんだ。
彼が寝返りを打った。
私は驚いてびくんと反応してしまった。
私が動いたのに気がついた彼は眠そうな声で謝った。
「すまない。起こしてしまった」
返事をすると泣いているのに気付かれると思い、背中を向けたまま首を振った。
何を思ったのかウィルが私の首と枕の間に腕を入れて、背後からぎゅっと抱きしめた。
「な、んで……」
驚いて思わず声が出てしまう。
泣き声に気がついたのか、ウィルは私の髪を優しく撫でた。
「すまない……」
何に対する謝罪なのだろう。
私の肩が震えた。
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