26.十七日目。腕の中で眠る私

 結局私たちは三日もの間、温泉のある村で過ごしてしまった。

 毎夜、月下の踊り子をつけて……。


 そして建国祭まであと五日に迫った今日、ようやく小屋に帰ってきた。

 外はもう暗く、今日はもう眠るだけ。

 移動するだけで疲れてしまって情けないけれども。どうしてイライジャ様はこんなにも元気なのか。


「クラリス、今日も月下の踊り子を」

「つけません!!」


 どうしてイライジャ様はこんなにもお元気なのか!!


「はは、冗談だ……」


 いえ、今冗談ではなかったですよね?? とても落ち込んでらっしゃいますよね!?

 つい可哀想になってしまう私も私だけれど、今日はさすがに無理ですから!


「あの村で過ごした時間は、夢のようであったな」


 イライジャ様の腕が伸びてきて、私を包み込む。優しく抱き寄せられると、そのままゆっくりとマットの上へと押し倒された。

 目と目が合うと、どちらからともなく、くちびるが寄せられる。

 ああ、小屋を出た時はこんな関係になるなんて、思いもしていなかったというのに。

 この数日で、気持ちが大きく変わってしまった。


 イライジャ様と一緒に過ごしたい。

 そんな未来を望んでしまっている自分がいる。

 ダメだとわかっているのに、思いは消えてくれなくて。

 今が幸せ過ぎて、どうにかなってしまいそうだ。


「雨が降ってきたみたいだな」


 屋根をぽつんと叩く音が聞こえた。

 雲行きが怪しくなっていたから、もしかしたらとは思っていたけれど。


「降る前に帰ってこられてようございました」

「そうだな。酷くならなければいいが」


 夏の雨は大きな嵐になることもある。

 嫌な風も吹いていたし、不安で体を震わせてしまう。


「大丈夫だ、クラリス。俺がいる」


 私の頭を撫でながら、イライジャ様はそう微笑んでいて。


「私もおりますからね、イライジャ様」


 そう伝えると、王子はエメラルド色の瞳を細ませた後、私にキスをしてくれた。




 そのまま夜が更け、私たちはマットの上で密着していた。

 ギシギシと小屋の軋む音が強くなる。


「クラリス……」

「イライジャ様……」


 私がぎゅっと抱きしめると、イライジャ様も抱き締め返してくれる。

 その間も、軋む音は絶え間なく続いていた。


「こんな、激しく……」

「大丈夫か?」

「私は平気でございま……っ」


 一段と大きく軋み、私はさらに強くイライジャ様に抱きついてしまう。


「無理はするな。不安になるのも仕方ない」


 イライジャ様が私の髪を撫でてキスをしてくれる。

 少し安心するけれど……やはり怖くて……


「ああっ!」

「クラリス!」


 思わず声を上げてしまった私に、イライジャ様が驚いて名前を呼んでくれる。

 私の顔に落ちてきた液体。それは……


「つ、冷たい……っ」

「なに? まさか……」


 屋根を叩きつける雨音が大きくなり、激しさが増しているとは思っていたけれど。


「雨漏りでございます……!」

「っく、なんてことだ!」


 思った以上に風も強くなっていて、家はガタガタと揺れている。軋む音は大きくなるばかりだ。

 私たちは体を起こしランプに火を灯すと、雨漏りしている箇所を確認して鍋をおいた。しかし一箇所だけではなく、あちこちから雨が侵入してきている。

 コップや、ありとあらゆるもので雨を受けるけれど、それでも足りない。雨漏りの音で家の中は一気に賑やかになって、寝られるわけもない。

 そのうちにゴォオオオオオッという風の音がさらに強く唸りを上げた。


「イライジャ様……」

「大丈夫だ」

「しかしこの小屋の強度では……」

「保たぬかもな」

「大丈夫ではないではないですか!」

「そなたは俺が守るから、大丈夫だ」


 王子が私を守ってどうするのですか!

 守らねばならぬのは、私の方だというのに!


 ミシッ! と大きな音を立てて家が何度も軋む。

 強固な王宮にいたならば気にも止めない嵐でも、頼りない小屋のような家では不安しか感じない。

 隙間から入る風で、家の中が膨張しているような気さえする。外に繋いでいる馬たちも心配だ。


「これだけ雨漏りしていては、横にもなれぬな」


 雨漏りのしないスペースに、私とイライジャ様は肩を寄せて座った。

 ジョージ様とエミリィも、嵐の日はこんな風にして過ごしたのだろうか。


「寒くはないか?」

「冬ではないのですから、大丈夫です。暑いくらい」

「しかし濡れると冷えるからな。そこも雨漏りが始まった。もっとこっちに」


 ぐっと肩を抱き寄せられて、イライジャ様と密着する。

 長距離移動で疲れたというのに、横になることもできない。風の音と雨漏りの音と不安で、眠ることなど到底不可能。

 あふ……とあくびを噛み殺すと、イライジャ様も同じようにあくびを見せていた。


「クラリスにつられた」

「申し訳ありません、つい……」

「あくびくらいで謝るな。どんな姿であっても、俺はそなたを愛おしいと思っているのだから」


 ああ、イライジャ様の瞳は闇夜でも美しいエメラルド色の光を放ち、金の髪もキラキラと輝いていらっしゃる。

 それを私に向けてくださっているとは、なんという贅沢か。


「俺に体を預けて、目を瞑るといい。少しは楽になるだろう」

「では、イライジャ様がそうなさってくださいまし。私は大丈夫ですから」

「まったく、そなたは……こういう時は甘えてくれれば良いのだ」


 イライジャ様がそう言ったかと思うと、私は後ろからすっぽり抱きかかえられてしまった。私の右頬に、イライジャ様の左頬が当たる。


「クラリスと一緒ならば、どんな状況でも俺は楽しめる。そなたは少し眠ってくれ」


 どうしてイライジャ様の声はこんなにも安心してしまうのか。

 雨漏りの音も風の音も鳴り止んでいないというのに、なぜか気にならなくなってしまった。

 と同時に、ものすごい眠気が私を襲ってくる。


「では……少し、だけ……」

「ああ、ゆっくり眠ってくれ」


 イライジャ様の吐息を聞きながら、私は夢の住人に誘われるようにすうっと寝入ってしまった。

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