第一章⑧


    ***


 日の当たる裏庭で、ソーンはキリルと並んで木箱に腰を下ろす。があり、すぐ後ろはちゆうぼうになっていた。せんたくものを干すロープが張ってあり、シーツが風にれている。

 キリルは上着のポケットからリンゴを二つ取り出し、その一つを「ほら」とソーンにくれた。いまごろ、他の子どもたちは学習室で勉強をしているだろう。こんなところでサボっているのをシスターに見つかったら、しかられて連れもどされるはずだ。

「いいのかな?」

だれもやってきやしないよ。ソーンは真面目だな」

 だらしなく足を投げ出してリンゴをかじりながら、キリルがククッと笑う。ソーンもリンゴを一口食べてみると、少し酸っぱくてかたかった。

「キリルは、いつも勉強会には出ないの?」

「知っていることをわざわざ学ぶ必要はないさ。ソーンだってそうだろう?」

 かたを竦めたキリルは、青空をながめながらリンゴをほおっている。

「勉強会に出たかったのなら、無理には引き留めたりしないよ? 今からでもおそくはない。顔を出してくるかい?」

 ソーンは少し考えてから、「今日は……いいや」とヘラッと笑って首を横に振った。勉強会に出るより、今はもう少しキリルと話をしてみたい。

 聖歌連隊の中で、ソーンに話しかけてくる子どもはそう多くない。キリルもソーンのうわさは耳にしているだろう。けれど、こうしてつうに話してくれる。

 礼拝堂で同じ椅子に座ってくれた時も、いやそうな態度は見せなかった。あまり噂を気にしないのだろうか。

「あいつに言われたことなんて、無視すればいい。ソーンがうらやましいだけなんだから」

「そうかな?」

「ダニールは来年には聖歌連隊をやめるからね。その前に、ソロを歌いたかったのさ。だけど、それがかないそうにないから八つ当たりしているんだよ」

「どうして、聖歌連隊をやめてしまうの?」

鍛冶かじ職人の親方のところで見習いをしているから、いつまでも歌の練習に通っていられないのさ」

 ダニールは歌の練習の時、音程を外してしまうことが多い。歌詞をちがえることもたびたびだ。そのせいで、笑われることもあるし、注意もされている。けれど、聖歌連隊で歌うことは好きなのだろう。大きな声でしっかり歌っている。

「僕じゃなくて、ダニールが選ばれたほうがよかったのかな?」

 事情を聞くと、なんだか申し訳ないような気持ちになる。ソーンはまたいずれ歌わせてもらう機会もあるだろう。ダニールにとっては、これが最後の機会かもしれないのだ。

「選ばれなかったほうがあいつにとっては幸運なことさ。君の代わりに選ばれていたら、女王生誕祭のおおたいで、おおはじをかくことになるんだ。そんな目にったら気の毒じゃないか。きっと、もう二度と人前で歌おうなんて気にはならないぞ」

 キリルはそう言って、かいそうに笑っていた。

「キリルはどうして聖歌連隊に入ったの?」

「親にほうり込まれたんだよ。歌うのはきらいじゃないからいいけどさ。ソーンはどうして、入ろうと思ったんだ?」

「僕はみんなと一緒に歌ってみたくなって。友達を作るいい機会だって、兄様もすすめてくれたんだ。でも、人と話すのが下手だから、あまりうまくやれないみたいだ」

 ソーンはリンゴをもう一口食べると、ぎこちなく笑みを作る。キリルのように話しやすい相手は初めてでもあった。それは、キリルが話し上手だからだろう。

「ソーンってさ。本当にじゆうに変身するのかい?」

 とうとつに尋ねられて、「えっ!」と驚いた声を上げた。キリルは興味深そうに、ソーンのことをジッと見ている。

「魔獣には変身しないし、できないよ!」

「夜になるとするどつめきば尻尾しつぽが生えてきて、魔獣になるって聞いたんだけど違うのか」

 ソーンは「そんなふうにはならないよっ!」と、頭をった。聖歌連隊の子どもたちは、その話を信じているから、こわがってはなれていたのだろうか。だとしたら、大きな誤解だ。

「もしそうなら、変身するところを見せてもらおうと思ってこっそり楽しみにしてたんだ」

「グラナートという魔獣がいるのは本当なんだけど、僕も見たことがないんだ」

 自分の中にねむるグラナートの気配やを感じられるだけだ。だから、ソーン自身、グラナートのことをほとんど知らない。自分がその魔獣を宿していると言われても、本当のところはよくわかっていなかった。

(兄様のけんは自由にしようかんできるんだけど……)

 ソーンの中の魔獣はそういうわけではない。以前、アカンティラドにグラナートを呼び出すことはできるのかと、質問してみたことがある。

『呼び出せたとしても、アレは人の言うことをなおにきくようなものではないだろう。大暴れするだけよ。それをせいぎよする方法がないから、ソーンの中で大人しく眠ってもらっておるのだよ。言ってみれば、お前さんはグラナートの〝ゆりかご〟なのだ』

 アカンティラドは、そう話してくれた。

 セントグラードのさんげきを知る大人たちは、グラナートを『さいやく』だと言う。まえれもなくあらわれて、なにもかもようしやなくこおりつかせ、かいしていくから──。

 ソーン自身、グラナートが顕れた時のことは、ほとんど覚えていない。幼いころおくでもあるし、高熱のせいで意識を失っていた。あの時のようにソーンがおさえられなくなれば、再びグラナートは顕れるだろう。

 そうでなくとも、を暴走させてしまえば、大惨事を引き起こしてしまう。そのことを、人々がおそれて不安がるのも当然だ。ソーン自身、不意に怖くなることがある。この体にグラナートをとどめておけるのだろうかと。

「キリルは、僕のことが怖くない?」

「どうして? ソーンはすごいよ。魔獣を宿している子どもなんてめつにいないんだ。それに、牙も鋭い爪も生えてこないんじゃ、怖がりようがないしね」

 キリルはソーンを見つめてニコッと笑う。

「そうか……そうだね。みんなも、そう思ってくれるといいけれど」

「よかったらさ。僕と友達にならない? 君とならうまくやれそうな気がするんだ」

 そんなキリルの提案に驚いてまばたきしてから、「うんっ!」とがおうなずいた。

「じゃあ、約束だ。僕はどんなことがあっても、ソーンの味方でいる」

 キリルはリンゴのしるがついた手を服でぬぐってから、差し出してくる。ソーンも手を服で拭ってから、しっかりその手をにぎった。

「僕も約束するよ!」

「君の暮らしている王宮の話を聞かせてよ。どんなところ?」

「僕がいつもいるのは庭園だよ。花や果物がたくさん植えられていて、真冬でも温室は花がいているんだ」

「そいつはすごい! 一度、その庭園の花を見てみたいな」

「うん、僕もキリルに見せてあげたい!」

 いつしよに王宮の庭園でお茶会ができれば楽しいだろう。兄にも初めてできた友達のキリルをしようかいできる。それがかなうのかどうかはわからないが、話しているだけで心がはずんでくる。

「君たち、こんなところで遊んでいたの!」

 急に大きな声がして、ソーンはギクッとして振り返る。やってくるのは、せんたくカゴをかかえたシスターだ。

「キリル。今日はソーンまで連れ出して、勉強会をサボるなんていけない子ね!」

「ごめんなさい。のがしてよ。ソーンと一緒に歌の練習をしていただけなんだ」

 キリルはまずいという顔をして木箱から下りる。目配せされたソーンも急いで立ち上がり、「ごめんなさい!」と謝りながら一緒にげ出した。

「二人とも、勉強会にはちゃんと出なさい!」

 キリルとソーンは「「はーいっ!」」と返事をしてから、顔を見合わせて笑い合った。


 約束するよ。いつだって、君の味方でいるって──。

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