第一章⑦


 三


 翌日の朝、大聖堂に出かけたソーンは、礼拝の後で聖歌連隊の子どもたちと一緒に礼拝堂に残っていた。『ミローディア』という名前がつけられている聖歌連隊に参加するのは、商家の子や、下町の職人のや子どもなど様々だ。歌の練習のほか、算数や文字の読み書きなど、基本的な勉強も教えてもらえるため、子どもを参加させる親は多い。

 歌の練習が始まる前、子どもたちはながに着席して、楽しそうに雑談している。歌の指導をしてくれる司祭は、まだ姿を見せていない。ソーンは通路で立ち止まり、空いている席を探していた。

 子どもたちはソーンと目が合うと、すぐに視線をらしてしまう。一人分空いていた後ろの席を見つけて座ろうとすると、となりにいた子どもはすぐに席を立ち、前の席へと移動してしまった。

 落ち込んでため息をくと、ソーンはその席に一人で座る。声をかけても、無視されることが多い。『あっちに行け!』と、追いはらわれたこともあった。

 ソーンがグラナートというじゆうをその身に宿していることは、子どもたちも知っている。そのせいでけられるため、打ち解ける機会を得られなかった。

 座って聖歌集を開いていたソーンは、隣にだれかが座るのに気づいて、ふと顔を上げた。ソーンより少し歳上の少年だ。その子は一人分あけて、通路側に座っている。同じパートの子だが、話をしたことはまだ一度もなかった。声をかけてみたかったけれど、また嫌がられてしまうかもしれない。そう思うと勇気が出なくて、ソーンは俯いた。

 そのうちに、歌の指揮をしてくれる青年の司祭と、ばんそうをしてくれるシスターが入ってくる。一言もかわせないまま、この日の練習が始まった。


 オルガンの前に移動し、それぞれのパートにわかれて半円形に並ぶ。ソーンも少しばかりきんちようしながら、音を外さないように歌っていた。んだ声は、ほかの子どもたちの歌声やオルガンの伴奏と一つになって、礼拝堂いっぱいに心地ここちよくひびく。

「はい、いいでしょう。ダニール君、また一番と二番の歌詞をちがえかけていたね。歌詞をよく覚えてくること。聖歌集を見ながらでもいい」

 そう注意されたのは、黒色のかみをした少年だ。ダニールというその少年は、「うへっ」と首をすくめる。周りの少年たちが笑って、彼の腕をひじで押していた。

「それと……ソーン君」

「はいっ!」

 名前を呼ばれたソーンは、ドキッとして返事をした。みんなが急に静かになって、ソーンに視線を向けている。

「もう少し自信を持って歌ってもいいんだよ。音は間違えていないから。ただ、声が小さくなる時があるね。家でも発声練習をやるように」

「はい……気をつけます」

 落ち込んでしまい、返事の声も小さくなってしまった。

「それじゃあ、もう一度歌ったら今日の練習は終わりにしよう」

 司祭がめんだいを軽くたたくと、ヒソヒソと小声で話をしていた子どもたちも顔を上げてちんもくする。ソーンも気を取り直して前を向いた。



 練習の後、ソーンは下を向いたままトボトボとかいろうを歩いていた。この後は学習室に移動して勉強することになっているが、気が重くて足がなかなか進まない。立ち止まって中庭に目をやると、秋には薔薇ばらいていた中庭も葉がれ落ちていた。

(僕が下手に歌えば兄様にまではじかせてしまうことになるんだから、頑張らないと)

 小さく首を横にっていると、不意ににぎやかな話し声が聞こえた。歩いてくるのは、聖歌連隊の子どもたちだ。練習の時に注意されていたダニールという少年が、ひときわ大きな声で話している。背が高く、聖歌連隊の中でも年長だ。そのため、みんなの中心になっていることが多い。

 ソーンは少しあせって、はしに移動しようとした。ダニールには、たまにからまれることがある。今もソーンに気づくと、ニヤッと笑って近付いてきた。

「おい、ソーン。ソロを歌わせてもらえるからって調子にのるなよ。お前の歌が認められたからじゃない。お前の兄貴がおえら団長様だから特別たいぐうなんだ。ったく、司祭様もズルいよな。聖歌連隊に入ったばかりのやつに、女王生誕祭の聖歌のソロを歌わせるなんてさ。えこひいきだせ!」

 ソーンの前に立つと、ダニールは周りにも聞こえるように言う。子どもたちも、「そーだ、そーだ!」と同調して声を上げていた。

「ごめんなさい……」

 ソーンはしょげたように俯いた。確かに、ソーンは聖歌連隊に一番後から入った。実力で選ばれたと胸を張って言えるほど、自分の歌声には自信がない。司祭に注意されたばかりでもあった。

「ダニールなんか、もう五年も聖歌連隊に入ってるのに、一度もソロを歌わせてもらえないんだからな!」

「そーそー。よく歌詞を間違えるしな!」

「お金持ちの奥様が顔をしかめそうな下品なえ歌にするからだろ?」

「礼拝中にいきなりこうだんの下から飛び出して、司教様がこしかしたこともあるぜ」

 ほかの子どもたちがおもしろがって言うと、「俺の悪口はいいんだよ!」と、ダニールは顔をしかめていた。

「いいか? ミローディアは実力主義だ。聖歌連隊で認められたかったら、この俺を打ち負かしてみせろ!」

 ジロッとにらまれて、ソーンはまどい気味にうなずいた。その時、笑う声が聞こえて、ソーンもダニールも中庭の木に視線を移す。

 枝に腰をかけていた少年が、ピョンッと飛び下りてくる。ソーンはその顔を見て、「あっ」と小さく声を漏らした。歌の練習の前、同じに座ってくれたのは彼だ。

「キリル……っ!」

 ダニールが身構えて、その少年の名前を呼ぶ。

「ダニール。偉そうなことは、まともに歌えるようになってから言うべきだと思うな」

 後ろで手を組みながら歩いてきたキリルは、ダニールに顔を寄せて意地悪く微笑ほほえむ。

「俺が下手くそだって言いたいのか!?」

「そこまでは言っていないさ。ただ、君よりソーンのほうが歌が上手うまいのは事実だ。ソロパートがもらえたのは実力だよ。ねぇ、君たちだってそう思わないか?」

 キリルはダニールといつしよにいた子どもたちのほうを見て、がおたずねる。

「まあ、そうかもな」

「まったくその通りだ」

 他の子どもたちは、顔を見合わせて頷き合っていた。

「おいっ、お前ら。キリルの口車にのせられんな!」

「みんなも、ソーンの歌は認めているようだよ? ミローディアが実力主義だというのなら、せめて君はもうちょっと真面目まじめに練習して、ソロを歌わせてもらえるようになるんだね。なんなら、ソーンに教えてもらうかい? 彼はとても耳がいいようだよ?」

「俺の美声は近所でも有名なんだ。今さら、教わることなんてないね。余計なお世話だぜ!」

 ダニールは「おい、行くぞ!」と、他の子どもらをうながして歩き出す。

 学習室の前で振り返ると、「お前らなんか、仲間に入れてやんねーよ!」と悪態を吐きながら舌を出していた。

「仲間に入れてくれなんて、たのんだ覚えはないけどね。こっちからお断りさ」

「キリル……あの、ありがとう!」

 キリルは同じパートなのに、今まで一度も話したことはない。キリルが誰かと話をしているところを見かけるのも、初めてなような気がした。いつも一人でいて、物静かにしている。歌の練習の時も、司祭様に注意されているところを見たことがなかった。

「ソーン、君は勉強会に出るの?」

「そのつもりだよ。むかえが来るまで時間があるから」

「ああ、そうか。王宮で暮らしているんだったね」

 キリルはあごに手をやってつぶやき、それからソーンの顔を見てニッコリ笑う。

「それじゃあ、僕と一緒にサボらないかい?」

 そんなさそいに、ソーンはおどろいて目を丸くした。

 サボるなんて、今まで一度も考えたことがなかったから。

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