第一章⑤


 二


 アダムは小走りに立ち去る弟の後ろ姿を目で追う。ここ最近、いそがしくて宿舎に戻れない日も多かった。戻れても深夜を過ぎているため、ソーンはねむっている。朝食の時に顔を合わせることもあるが、すぐにたくをして出かけなければならないから、ゆっくりと話をすることもできなかった。

 ようやく時間が空いたため、庭園にいるソーンの様子を見にいくと、例の魔物が宿っていたリンゴの古木とかくとう中だったというわけだ。

 まったく、アカンティラドもちやをさせる。アダムはけんしわを寄せ、カップを取った。

 魔術のしようとしては優秀な人であることは認めているが、ソーンがあくえいきようを受けはしないかと心配でもある。だが、アカンティラド以上の師匠が見つからないため、任せておくしかない。それに、これは女王イデアの意向でもある。

 生まれた時から、アダムは氷のけんを、弟のソーンはじゆうグラナートを体の内に宿している。アダムは子どもの頃からその魔剣を使い、大人にまじって魔獣退治を行っていた。両親が早くにくなり、弟と共に生きていかなければならなかったからだ。

 ソーンは体が弱く、熱を出してむことが多かった。グラナートの大きすぎるを抱えているからだろう。グラナートはただの魔獣ではなく、天候を変えるほどの力を持っている。

 王宮に上がる前、寝込んでいたソーンの病状が悪化した際、力をおさえ切れなくてグラナートがあらわれたことがあり、セントグラードに大きながいをもたらした。人はその時のことを〝セントグラードのさんげき〟と呼ぶ。

 女王イデアに保護されて王宮で暮らすようになってから、ソーンは魔術を学ぶようになった。ソーン自身の希望でもあったが、せいぎよできれば、体にかかる負担も軽減できる。再びグラナートが顕れるような事態もけられるだろう。

「ソーンは、魔術師団に入るつもりなのか?」

 ジェニトが紅茶のカップをゆっくりとらしながらたずねる。

「魔術師団長になりたいとは、以前話していましたが……まだはっきりとは決めていないようです」

「目標がでかいところは、やっぱりお前の弟だな」

 ジェニトは肩を揺らして笑ってから、「魔術の勉強は順調なのか?」ときいてきた。

「以前に比べたら、の制御もうまくなってはいます。暴走させることもありません。術式も多く使えるようになってきているのですが、習得に時間がかかるのは仕方ないことです」

「やっぱり、グラナートののせいか」

 ジェニトは言葉をにごすようにつぶやく。アダムは無言で視線を下げた。ソーンがなぜ、グラナートを宿しているのか、理由はわからない。自ら望んで得た力でもなかった。


 はいおくの冷たいゆかに横たわって、どんどんすいじやくしていく弟の手を必死にさすり続けていた時のおくが頭をよぎる。

 割れた窓から、雪まじりの風が吹き込んでいて、だんまきなどとっくに燃えきてしまっていた。生きていくことが難しくて、つらくて、必死だった日々の、ふうじ込めてしまいたいほどの苦い記憶だ──。


 苦境にあった自分たち兄弟二人を救ってくれたのは、女王イデアだった。けれど、この国でのソーンの立場はあやうい。王宮にソーンがいることを不満に思っていたり、ねんを示したりする重臣もいる。

 いつまたソーンのが暴走し、以前の惨劇のようなことが再び起きるかわからないからだ。その可能性がないとは、アダムも言い切れない。実際に、王宮に来てからも一度、を暴走させたことがある。一歩ちがえば、グラナートが再び顕れていただろう。

 アダムの顔をジッと見ていたジェニトが、グシャグシャと頭を撫でてくる。不意をつかれたものだからけられず、顔をしかめて乱れたかみを手で直す。

「今日の夜番、代わってやるよ。今日はさっさと宿舎に戻って、はらいつぱい食って寝ろ。寝不足のやつに正常な判断ができるか」

 ジェニトはニカッと笑って立ち上がった。複雑な表情をかべたアダムは、座ったまま彼を見上げる。

「まだ、目を通していない報告書があります。そういうわけにはいきません」

「お前は仕事を抱えすぎだ。少しはほかの者をしんらいして任せろ。それも大事なことだ」

 ジェニトはヒラヒラと手をって、温室のとびらに向かう。


(信頼か……)

 王宮に上がる前は、自分と弟以外、だれも信じられなかった。他の誰もが敵で、自分たちに危害を加えたり、だましたりしようとしていると思えた。

 実際、そうだっただろう。戦場と同じだ。誰もが必死で、どんなことでもやる。そうしなければ、生きていけない場所だった。

 今でも、心から人を信頼しているかと言えば、そうではないのかもしれない。ただ、協力の必要性や、結束が大事だということは理解している。それを教えてくれたのは、騎士見習いだった頃に指導してくれたジェニトでもある。

 本当なら、団長の役目は、ジェニトのほうがずっと相応ふさわしいのだろう。経験も人望も、あの人のほうがずっとある。冷静な判断力もあり、戦場では何度も助けられた。けれど、ジェニトは団長になることを固辞し、アダムをすいせんした。自分は騎士の教育や育成をにないたいと言っていたようだ。

 剣術においては騎士団でアダムの右に出る者はいない。だが、人の上に立ってまとめる役目は、自分に向いているとは思えない。それなのに、ジェニトは『お前なら、十分やれるさ』と、笑ってアダムの背中をたたいた。

 最初こそ反発していた騎士たちも、今ではアダムのことを認めてくれている。後から騎士団に入団した騎士たちはえいゆうでも見るように尊敬のまなしを向けてくる。

 寄せられる信頼がたまに重いと感じてしまうこともあるが、ここからげるわけにはいかないから背負うしかない。それに、騎士団長としての役割を果たすことが、女王イデアの恩にむくいることにもなるのだろう。

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