第一章④

  

 ***


 庭園内にある温室は魔術によって温度管理がされており、一年中花がく。薬材として使うための花もあれば、観賞用や食用とするものもある。南の国から取り寄せためずらしい品種も多くさいばいされていた。それらの花をながめながら、アダムがいれてくれる紅茶を飲むのが、ソーンの日々の楽しみでもある。

 慣れた手つきでティーポットに湯を注ぐ兄の姿を、ソーンはに座り、ほおづえをつきながら眺めていた。

 白いテーブルにはクロスがかれていて、焼きたてのリンゴパイが甘酸っぱいリンゴとたっぷり練り込まれたバターのかおりをただよわせる。

「おしようさまもリンゴパイを食べていけばよかったのに」

 ソーンはどこかに行ってしまった気まぐれな師匠のことを考えながらつぶやいた。

「どうせ、またしよう……街に出かけたんだろう。ほうっておけ」

 茶葉をらすあいだ、アダムは考えるだけでもうんざりするとばかりにたんせいな顔をしかめていた。そんな兄の表情を見て小さく笑う。

(お師匠様は、お酒を飲みに行ったのかな?)

 それとも、魔道具か魔導書を探しに出かけたのかもしれない。しっかり宿題を出していったから、数日は王宮に顔を出さないつもりなのだろう。ああ見えて、遊び歩いてばかりいるわけではないようだ。

 アダムはゆっくりとていねいに紅茶をカップに注いでいる。

 見習いとして王宮に上がったばかりのころは、慣れない騎士の作法やれいを学ぶのにずいぶん苦労していた。その一つが紅茶のいれ方だ。

 剣術や魔術は得意であっという間に習得していたけれど、ダンスもお茶をいれるのも苦手だったようで、悪態を吐きながら宿舎で何度も練習していた。

せまい部屋でダンスの練習をして、机や椅子にぶつかっていたっけ)

 器用でなんでもこなすゆうしゆうな兄にも、苦手なことがあるんだなとおどろいたものだ。

(でも、兄様はあきらめたりしないで、ダンスもお茶のいれ方も、ずっと上手うまくなったんだ)


 王宮に来る前、アダムとソーンは二人きりではいおくで暮らしていた時期があった。

 両親のことは、ほとんどおくに残っていない。父はソーンが生まれて間もない頃に行方ゆくえがわからなくなり、しばらくして母も病にかかってくなった。

 その後、ソーンのめんどうを見てくれたのはアダムだ。食べるものや、まきを手に入れるために、アダムは子どもながらお金をかせぎに出かけていた。

 その頃のソーンは体が弱く、熱を出して寝込んでいることが多かったから、外に出ることもたまにしかできなかった。

 アダムはその頃のことをあまり話してくれないが、大人たちに加わりじゆう退治をして賞金を稼いでいたようだ。けんを持つ強い子どもがいるとうわさになっていたこともあり、女王イデアののもと、アダムは騎士見習いとなった。

 だが、騎士見習いになるのは、多くが貴族や騎士の家系の子どもたちだ。身分もなく、下町の学校にすら通ったことのなかったアダムは、王宮に上がってからもなかなかめなかったのか、毎日のようにケンカをして青あざや傷を作っていた。

 ソーンが心配して理由をたずねても、アダムは『ちょっとばかり、激しくけいをしただけさ』とか、『訓練できようぼうなメタルベアーと戦ったんだ』とか、はぐらかすばかりだった。

 見下す者や、笑いものにする者もいたようだが、アダムはほかの者を見返すだけの実力をつけ、最年少で騎士としてじよにんされた。

 戦場でも功績をあげ、魔獣やドラゴン退治でもかつやくし、騎士団長までになった。じることのない女王の騎士であるために、くやしさもくつじよくも全部のみ込んで、努力とたんれんを積み重ねてきたのだ。

(僕はいつも兄様に守られてばかりいたから)

 王宮に上がってからのソーンは、つらい目にったことがない。せいぎよできない自分が魔術の勉強をさせてもらえて、王宮に住むことを許されているのは兄がいればこそだ。

「どうしたんだ? 俺の顔ばかり見て」

「兄様が紅茶をいれる練習をしていた時のことを、思い出していたのです」

 頬杖をついたまま、ソーンはなつかしむようにみを作った。思いがけないことを言われたように、アダムは目を丸くしている。

「昔は下手だったからな」

「僕はいつでも兄様の紅茶は好きでしたよ。ちょっとばかり苦かったりもしましたけど、お薬に比べたらずっとおいしかったもの。ジャムやクリームをたっぷりといれてくれたでしょう? それに、えーと、ほのかな香りがするお茶だったり」

「最初の頃は茶葉の量もわかっていなくて、吐きそうなほどしぶかったり、湯のようにうすかったりしたからな。その頃に比べたら、今はずっとマシになった」

 アダムはクリームとジャムをえて、ソーンの前に紅茶のカップを置く。

「いただきますっ!」

 ソーンはカップを持ち、湯気と一緒に立ち上る香りをいだ。香りだけでもホッとして、心が落ち着く。一口飲んで、ソーンは笑みをかべた。

「とってもおいしいです!」

「そうか? 今日は茶葉を変えてみたんだ。リョーフキーのやつが、実家からくすね……もらってきた一級品の茶葉だそうだ」

 椅子にこしを下ろしたアダムは、ポットに残っていた紅茶を自分のカップに注ぐ。

 ソーンにいれてくれる時には丁寧だったのに、自分の分となると適当だ。カップの持ち手に指をかけて口に運び、口もとをゆるめていた。

「悪くないな」

 リョーフキーというのは兄と同じく、セントグラード騎士団に所属する騎士の一人で、騎士見習いの頃からの親友でもある。貴族の生まれで家はゆうふくらしく、貿易商から買った茶葉などをよく持ってきてくれた。

「リンゴのパイとよく合いますよ、兄様」

「ソーンがたおした魔物のほうしゆうのリンゴで作ったパイだからな。うまいに決まっている」

「最後に仕留めたのは兄様です。僕は失敗しちゃったから。あのまま、兄様が来てくれなかったら、危ないところでした」

 ソーンは先ほどの魔物との戦いを思い返して、ため息をいた。

「俺がいなくても、やれていたさ。だが、気を緩めるのが少し早かったな」

「はい、次は気をつけます。僕にも兄様みたいに才能があればよかったんだけど……」

「お前はだれよりも優秀だ。俺なんかよりずっとな」

 アダムは軽く驚きの表情を浮かべてから、眉間に皺を寄せる。

(それが本当だったらいいのに)

 自分がもっと優秀で、兄くらい色々なことができたら、いつまでも足を引っ張るお荷物ではなく、兄を守ることも、兄を助けて役に立つこともできるだろう。

 魔術を習おうと思ったのは、を暴走させないためだけではない。

 女王の庇護のもとにあるソーンは、簡単には王宮の外には出られない。体が弱かったせいで体力もないため、騎士見習いになることも難しい。

 兄やこの国のために役に立てそうなことと言えば、自分の中にあるこのを使い、魔術師となることくらいだ。師匠のアカンティラドに学ぶようになって、王宮の魔術師団に入るという目標ができた。そうなれば、兄と並んで戦うこともできるかもしれない。

 兄が騎士団長になったように、いずれは自分も魔術師団の団長となれたらどれだけいいだろうかと、想像することもある。ただ、それは遠い道のりだ。

「おおっ、いいにおいだな。リンゴのパイか?」

 そう声がしてり向くと、おおがらな男がそばに立っていた。

「ジェニトさん!」

 騎士団の副団長であるジェニトは、白銀のかみをした大柄な人だ。アダムはジェニトのもとで騎士見習いをしていたこともあり、騎士としての心得や、剣術を教えてくれた師匠でもある。

「せっかくのゆうなお茶会の最中に悪いが、ちょっとじやするぜ」

 ジェニトはニカッと笑って、空いているえんりよなく腰を下ろした。

「女王生誕祭の警備の配置図だ。かくにんしておいてくれ。まったく、どこもかしこも人手不足で手がまわらねぇ。使える人材がもっとほしいところだな」

 ジェニトはかたすくめ、「いただくぜ」とリンゴパイに手をばした。アダムがわたされた配置図を確認しているあいだに、ソーンは立ち上がって紅茶を用意する。

 手順を一つ一つ確かめながらいれるものだから、アダムよりもずっと時間がかかってしまう。そのカップを、慣れない手つきでジェニトに差し出した。

「ありがとよ、ソーン」

「僕にもなにか、お役に立てることがあればいいんだけど」

うれしいことを言ってくれるじゃねーか」

 ジェニトがごうかいに笑って頭をでてきたため、ぼうが落ちそうになる。

「ソーンが魔術師じゃなく、騎士を目指してくれるんならだいかんげいだけどな。いんけん魔術師どものそうくつみたいな魔術師団より、うちの騎士団のほうが気のいい連中が多いってもんよ」

「今年は十名ほどが騎士に叙任されると聞いています。優秀な者もいるのでは?」

 アダムは確認し終えた配置図を横に置いて、優雅にお茶をすする。

めい簿は見たが、ろくに使えねぇおぼつちゃんばかりだ。年々、質が下がりやがる。お前みたいなのを期待するほうがぜいたくってもんなんだろうけどな」

 ジェニトは紅茶を飲み、椅子の背にひじをかける。パイを二口で平らげ、その指をペロッとめていた。ジェニトは団の強化のため、兵士や騎士の教育や後進の育成に努めている。ゆうしゆうな人材を見つけ出して騎士団にすいせんするのも役目だ。

「貴族であろうと、平民であろうと、使える者は最初から使えます。あとは、適切な指導を受けられるかどうかの問題でしょう」

「言うことがずいぶんおだやかになったじゃねーか。騎士見習いとして俺のもとにやってきたころは、貴族だ金持ちだというだけでみついてやがったのに。成長したもんだなぁ」

 今は騎士団長になったアダムのほうが立場が上ではあるが、ジェニトは相変わらずアダムに対して遠慮がなく、気さくな態度で接する。

 アダムも、ジェニトにはれいただしく接しているが、子どもあつかいされるとムッとするようだ。ジェニトには半人前ではなく、一人前の騎士として見てほしいのだろう。ジェニトはそんなアダムを見てかいそうに笑っていた。

「兄様。僕は図書室にもどっていますね」

「そうか。ソーン、今夜は夜番だから戻れないが、だいじようか?」

「はいっ、一人でも大丈夫です」

「明日には帰る。そうしたら、夕食をいつしよにとろう」

「じゃあ、とびきりおいしいごそうを用意してもらいますね!」

 笑顔を作り、ジェニトにもあいさつをしてから、ソーンは魔導書をかかえて温室を後にした。


 再来月には、女王の誕生日を祝う式典、女王生誕祭が行われる。その日には、きんりんの国々からもこくひんおとずれて、盛大に祝賀会や夜会がもよおされる予定だ。

 一週間かけて行われる一年に一度の国を挙げての重要な行事だ。この日に合わせて、騎士叙任式やひようしようしき、トーナメントも催される。街でもパレードが行われたり、連日催し物やお祭りが行われたりするため、旅人や見物人も国の内外から集まってくる。

 警備を行うのは、騎士である兄たちの役目だ。はんぎやくくわだてたり、誰かの暗殺をねらったりする不届きな者がまぎれ込まないとも限らない。

 祝祭の日にさわぎが起こっては大問題だ。兄も他の騎士たちも念入りに準備を進めているし、ほんのさいな異変ものがすまいとけいかいしている。

 ジェニトが兄のもとにやってきたのも仕事の相談のためだ。アダムもぼうな合間をってソーンの様子を見に来てくれたのだから、あまり邪魔をするわけにはいかない。

 ソーンは小走りに図書室に向かう。枝に残っていた葉が風にかれて落ちると、かいろうい込んできた。

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