第一章③


 リンゴの木の根が盛り上がり、歩くように近付いてきた。口のように幹が裂けると、風が巻き起こり、辺りの落ち葉がいっせいにき上がる。

 ソーンはあたふたしながらこうげきけようとしたものの、り回される枝に引っかかって派手にてんとうしてしまった。膝をりむいたらしく、赤くなっている。

「そいつは、古いリンゴの木に宿るめずらしい魔物の一種でな。多少きようぼうではあるが人をまるみにしたという記述はないから安心せい。稀に踏みつぶされた者はおるがな」

 アカンティラドはいつの間にか、はなれた木の上になんしてケラケラと笑っていた。そこで見物しているつもりなのだろう。

「それでは、少しも安心できません。どうすれば!?」

 起き上がったソーンは、なわびのようにピョンピョンと木の枝を避ける。いつまでも攻撃が終わらないため、ちゆうからすっかり息が上がってしまい、額のあせを服のそでぬぐう。

 そのあいだも、「オオオオオ────!!」とリンゴの古木は空に向かってたけだけしくえている。木の根で地面を踏み鳴らしながらとつしんしてくるので、ソーンはたまらず身をひるがえしてげ出した。

「うわああっ!」

 枝と枝がからみ合ってむちのようになり、り出される攻撃もりよくが増している。地面がえぐれて、近くの木もなぎたおされていた。一撃でもくらえばおおしそうだ。

「お前さんにあたえた魔導書は、子どもの絵本ではないのだぞ。強力な魔導書なのだ。うまくやれ。踏み潰されぬようにな。それと、その魔物は倒すとごくじようのリンゴを吐き出すのだ。そいつで作るリンゴ酒の味は格別でなぁ。楽しみにしておるぞ」

「僕はまだうまくこの魔導書を使いこなせませんっ!」

 ソーンはあたふたしながら答える。ふんすいこおらせる練習などより、ずっと難易度が高い。

「コツなら先ほど教えてやっただろう。多少、ちやをしてを暴走させたところで、わしがいるのだ。安心して向かっていくがよい」

「アブローラ! スィーニィ!」

 魔導書を開いて手をかざし、立て続けに短い詠唱を行うと、するどとがった氷のつぶてがリンゴの古木に突きさる。しかし、それほど効いている様子はなく、魔物は手がつけられないほど暴れまわるばかりだ。

「お師匠様、やっぱり僕にはまだ難しいですっ!」

容易たやすく倒せては、おもしろくなかろう。逃げてばかりいては、やられてしまうぞ」

 あと退ずさりしたソーンは、気を引きめて顔を上げた。

(そうだ、こんなことじゃ、いつまで経っても兄様の足手まといにしかならないんだ)

 目を閉じて、体内のに意識を集中する。

「オドを集中しますっ! ひようかいとなれ!」

 力強く唱えたしゆんかん、枝を振り回していたリンゴの古木が凍りついて動きを止めた。

「やっ……やった!」

 成功したことをかくにんして、ソーンはこぶしにぎりながら会心のみをかべる。

「おしよう様、やりましたっ!!」

 木の上を見上げて報告すると、アカンティラドが「まだ終わっておらん。気をくな!」と、あわてたように声を上げた。

 振り向いた瞬間、れつの入った氷のかたまりがパリンッと割れる。振り下ろされた太い枝の攻撃をかわすゆうがなく、とつに目をつぶってうでで顔をかばった。

「カラドボルク!」

 次の瞬間、耳に入ってきたのは落ち着いた声だ。目を開くと、ソーンの前には氷の魔剣を手にした兄のアダムが立っている。剣から繰り出された一撃で、リンゴの古木はくだけ散っていた。

 力が抜けたようにペタンと座ったソーンのそばに、赤く色づいたつやつやのリンゴが転がってきた。砕けた古木の周りには、熟した実がいくつも散らばっている。

「兄様……っ!」

「いつもの温室にいないから、さがしたぞ」

 振り向いたアダムが、軽くかがんで手を差し出してきた。その手を借りて立ち上がったソーンは、服についている落ち葉をはらう。

「お師匠様にの調節の仕方を教わっていたのです。でも、この魔物はごわくて……さすが兄様です! 一撃で仕留めてしまうんですから」

「この程度の魔物を倒せないようでは、団長は務まらないからな」

 アダムは氷の魔剣を軽く払う。剣が消えると、氷のつぶが光に当たってきらめいていた。

 兄のアダムはいくほんもの氷の魔剣を宿し、しようかんすることができる。アダムが生まれ持っている特性だ。その氷の魔剣で、アダムは凶暴なじゆうであれ、ドラゴンであれ打ち倒すし、敵陣をとつしていく。それも、兄のたくえつした剣技があってこそだ。

 このセントグラード、いやこの国において、剣術で兄にかなう者はいない。その実力と功績によって、アダムは若くして騎士団の団長に抜擢された。それがソーンにはほこらしくあるけれど、まだまだ遠くおよばないと落ち込みそうにもなる。

「それよりも……先生、ソーンにあまり無茶なことをさせないでください。まったく、目を離すとろくなことを教えない」

 アダムは顔をしかめ、木の上から降りてきたアカンティラドをにらむ。

「ソーンが噴水でお遊びをするのはもうきた、もっと難易度の高い実戦をやってみたいというのでな。ちょっとばかり、いい練習台を用意してやっただけよ」

「教え子に怪我をさせるなんて、指導者失格では?」

 かたひざをついたアダムは、ソーンの膝に手を当てる。膝が温かくなったかと思うと、すり傷がすっかりえていた。

「兄様、ありがとうございます。ごめんなさい。僕が無茶をしてしまったんです」

しかったな。もう少しで倒せていた」

 アダムは立ち上がると、しょげているソーンの頭をクシャクシャとでる。ぼうを拾い、手で払ってからかぶせてくれた。

「もしかして、見ていたんですか?」

「弟の成長ぶりを見守っていただけだ」

「わしという天才魔術師が指導しているのに、成長しないわけがなかろう」

 ローブのこしに手をやったアカンティラドが、心外だとばかりに顔をしかめる。

ぱらいながららないでください。それと職務中くらい禁酒したらどうです。……女王陛下に報告させてもらいます」

「女王陛下ならば、とっくにご存じだとも。酒を飲むなと言われるくらいなら、王宮勤めなどやめたほうがマシさ。そうなれば、困るのはお前さんのほうではないかね? ソーンの師となれるような魔術師など、そう多くはおらんぞ」

 アカンティラドは意地の悪い笑みをニヤッと浮かべていた。

「いかさま飲んだくれ魔術師……っ!」

「お前さんに魔術のを教えてやったのも、このわしということを忘れたわけではないだろう。アダムよ。師はもう少し、敬うものだぞ」

 ムッとしてき捨てたアダムに、アカンティラドは笑いながらリンゴを投げる。それを、アダムは片手で受け止めていた。

「師である自負があるのであれば、少しは尊敬できる態度を見せてください」

「面白味のないやつめ。ソーンよ、よいか。兄のようにしんくさいやつになるのではないぞ。そやつを見習うのは、せいぜい顔だけにしておけ」

「ソーン、ごとに耳を貸す必要はないからな」

 アダムはリンゴをソーンにわたし、冷ややかな目をアカンティラドに向ける。

 ソーンはまばたきしてから、リンゴを手に微笑ほほえんだ。

「これで、おいしいリンゴパイを焼いてもらいますね!」

「おおそうだ。忘れるところだったぞ。わしのリンゴ酒も仕込んでもらってきてくれ。最高の酒ができそうだ」

「余ったリンゴは、ジャムにしてもらおう。行くぞ、ソーン」

 アダムはソーンのかたに手をまわし、さっさと歩き出す。

「なんだ、ケチなやつめ」

 不満そうな顔をするアカンティラドと、そっぽを向いているアダムをこうに見て、ソーンはクスッと笑う。

「お師匠様、兄様がきっとおいしい紅茶をいれてくれますよ」

「酔っ払いにいれてやる紅茶なんてない。茶葉がもったいないからな」

「お前さんのいれた茶なんぞより、こいつのほうが百倍うまいさ」

 アカンティラドは、ローブの中からさかびんを取り出す。いつも酒瓶を空にすると、ローブの中から新しい酒瓶を取り出してくるのだ。

(お師匠様のあのローブ、どうなってるのかな?)

 ソーンは不思議に思いながら、首をかしげた。

 アカンティラドの魔術に関する知識の深さは、国ずいいちと言ってもいい。禁書に類するようなしような魔導書も所持しているし、国の保管庫に収蔵されている危険な魔道具の持ち出しも許されている。それだけ、女王イデアにしんらいされているのだろう。

「ソーンが噴水を凍らせられなかったから、今夜の酒代はお前さん持ちだぞ。アダムよ」

「人の名前を使って、酒場で酒代をツケるのはやめてください」

「授業料ではないか。なんなら、いつしよに出かけるかね? お前さんが一緒だと、人気者になれそうだ」

 アカンティラドはあごひげに手をやってニヤッと笑う。アダムはかいそうにけんしわを寄せたまま、「お断りします」とそっぽを向いていた。

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