第一章②


 一


 女王イデアの統治する北の大国、『ユラン=ブルクひようていこく』は、紅葉の季節も終わり、長い冬をむかえようとしていた。この国は一年を通して気温が低く、冬になれば国土のほとんどが雪にざされる。北の山脈をえれば、その向こうは氷の大地が広がっていた。

 この国の首都、セントグラードの中心に、そうおうきゆうという美しい王宮がある。その王宮内に、プリメロカデナというめいしようの庭園があった。国内だけでなく他国からも集められた様々な植物がしげる広い庭園だ。その庭園のも色づく季節を終えて落葉している。

 灰色の雲が日の光をさえぎり、風が強くなっていた。そんな中、ぼうをかぶった一人の少年が、ふんすいの前で熱心にじゆつの練習をしている。

「オドを集中します!」

 少年が魔導書に手をかざし、「ひようかいとなれ!」とじゆもんを唱える。冷気が周囲に広がり、噴水の水がこおりついてつららができていた。だが、すぐにけてまたもとの水にもどってしまう。赤や黄色の落ち葉がみなで回転したりしずんだりしていた。

「また、失敗してしまいました……難しいです」

 少年、ソーン=ユーリエフはがっかりした表情でため息をく。

 その様子をながめているのは、ベンチに座っている男だ。くたびれた黒いローブを着て、フードをぶかにかぶっている。鼻やほおが赤いのは、片手にしっかりにぎっているさかびんのせいだろう。

「我が、ソーンよ。あまりのんびりしていては、日が暮れてしまうではないか。噴水の水を凍らせられたら、今日の課題は終わりなのだ。できなければ、そなたの兄に酒代のツケをはらわせてやることになっている。がんらねば、あやつのさいの中身がすっからかんになってしまうぞ。わしとしては、それでも一向にかまわんがね」

 兄が聞けばちがいなく顔をしかめそうなことを言いながら、ソーンの魔術のしよう、アカンティラドは笑って酒瓶を口に運ぶ。

「お師匠様、どうしたらをうまく調節できるのでしょう? たくさんを込めると、噴水だけじゃなくまわりまでみんな凍らせてしまいそうになるし、少ないと今のようにうまく凍らせることができないのです」

 ソーンは困ったように首をかしげてたずねる。魔術を使うには、オドと呼ばれるりよくが必要だ。それをうまく調節し、あつかえるようにならなければ実戦では役に立たない。それどころか、暴走させてしまう危険もある。この前もうっかりを多く込めてしまい、噴水どころか周囲の木々まで凍らせてしまった。

 かといって、の量が足らなければ、今のようにうまく凍らせられない。体内のを集中し、ぎようしゆくさせて魔導書に込めるのだが、何度やっても術を発動する前にが拡散してしまう。

「それには、コツがあってな。の扱いとはせんさいなものなのだ。ほんの少しの力加減で変わってしまう。大事なのは、感覚を体に覚え込ませることだよ」

 ひざに手をついて立ち上がったアカンティラドは、後ろに手を回して歩き出す。ソーンは魔導書をかかえ、その後を小走りに追いかけてとなりに並んだ。

「感覚ですか?」

は教えたところでうまく扱えるわけではない。自分で感覚をつかみ、習得するしかないのだ。そのためには、経験を積むのが一番だ」

「お師匠様は、僕くらいのとしには魔術をうまく使えるようになっていたのですか?」

 隣を歩きながら尋ねると、アカンティラドがかいそうに笑う。

「わしはヨチヨチ歩きのころから、とっくに習得できておったよ」

「そんなに小さい頃から? すごいです!」

 尊敬のまなしを向けると、「そうだろう、そうだろう」とひげていねいでながらじようげんうなずいていた。

「兄様も今の僕より小さい頃から魔術が使えていたのに。僕はどうして、少しも上達しないのでしょう?」

 兄のアダム=ユーリエフは、女王陛下の近衛このえ団であるセントグラード騎士団所属の騎士で、その実力と功績を認められて、騎士団長にばつてきされた。騎士団のめ所も宿舎も王宮内にあるため、ソーンは兄と共にこの蒼王宮で暮らしている。

 兄が勤務しているあいだ、ソーンはこの庭園や図書室で、魔術の勉強をしていた。王宮の魔術師団に属する魔術師であり、黒滅導師の異名を持つアカンティラドを師匠につけてくれたのは女王イデアだ。ソーンが持っているこの魔導書『チェーニ』も、アカンティラドがくれたものである。

 を体内に宿している者はまれだ。ソーンも兄のアダムも、をもともと持って生まれてきた。兄はけんの才だけでなく魔術の才にもけているが、ソーンは何度練習してもうまくいかなくて、そのたびに自分にがっかりしてしまう。

「無意識におさえようとするからよ。よいか、ソーン。お前さんの頭はを込めようとしているのに、おそれから無意識にそれをこばもうとしてしまう」

 庭園の中を歩きながら、師匠はいばらのツルを払いけていた。歩くたび、まれたれ葉がクシャクシャと音をかなでる。

おのれの体の中にある大きなを、暴走させやしないかとおくびようになっておるのだ。それをこくふくせねば、いつまでってもうまくは扱えぬぞ」

 ソーンは「はいっ」と、真剣な顔で頷いた。

 アカンティラドは、まとわりついてくるはちわずらわしそうに手で追い払い、ツルや枯れ草のあいだを進んでいく。見えてきたのはリンゴの古木だ。

「それも、仕方ないことではあるがな……お前さんはとくしゆだからね」

 言葉をにごすようにつぶやくと、アカンティラドは木の前で足を止めた。不思議そうな顔をして師匠を見上げていたソーンも、同じように立ち止まる。

 この王宮で長く暮らしているけれど、ソーンが知らない場所も多い。王宮の庭園は広く、湖や森が広がっている場所もある。このリンゴの木はらくらいにあったらしく、初めて見るものだ。ソーンはかがんで、落ちている黒い木のへんを拾い上げる。

「この木は枯れてしまったんでしょうか?」

「さぁて。ただ……よい感じに魔物が入り込んでいるようだ」

 アカンティラドはペロッと舌なめずりすると、つえで木の周りにほうじんえがいていく。ソーンが初めて見る魔法陣だった。

「お師匠様、それはなにかを呼び出す魔法陣でしょうか?」

「ちょっとばかり違うな。まあ、見ておれ」

 アカンティラドがトントンと杖で地面をたたくと、魔法陣が光り始めた。呪文のえいしようを終えると、アカンティラドはばやく飛び退く。リンゴの木がうなり声を上げてれたかと思うと、幹がけ、枝が見る間にび始めた。

 っ立って眺めていたソーンは、「ぼんやりしていると、危ないぞ」というアカンティラドの声でハッとする。

「おっ、お師匠様。これはいったいなんですかっ!?」

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